知的漫遊紀行

2009/04/26(日)09:33

「宮本武蔵」魚住孝至著・岩波新書赤本・08年12月刊

歴史(270)

                            宮本武蔵 私:転居のときに、売却せずに持ってきた本の中に吉川英治の「宮本武蔵」があるね。   装丁本の立派な箱入り本で、6巻ものだね。   それに、徳川無声が朗読した「宮本武蔵」のカセットテープ20巻がある。    これも捨てずに持ってきたね。   徳川無声の「宮本武蔵」の朗読はテレビのないラジオ時代のシリーズもので、小学校、中学校からよく聞いていて、このラジオ放送で「宮本武蔵」を知ったと思う。   この本と放送での武蔵の生き方は俺の人生に影響を与えたね。A氏:吉川英治の「宮本武蔵」は佐々木小次郎との巌流島の試合で勝って終わっているね。私:武蔵が29歳のときだという。   これが真剣勝負の最後になったようだね。   著者の魚住氏は1953年(昭和28年)生まれだから、徳川無声のラジオ放送で武蔵を知ったという世代ではないね。   著者はむしろ「五輪書」を読む機会があり、そのショックで武蔵に入り込む。   そのせいか、この岩波新書赤本の「宮本武蔵」は、巌流島以降の武蔵、特に「五輪書」に焦点をあてている。  武蔵の「五輪書」に至る道だが、それに至る人生は吉川英治の「宮本武蔵」と違った研究者、求道者としての人生だね。   このほうも素晴らしい人生だね。A氏:宮本武蔵は絵でも一流だね。私:高校生ぐらいのときに、武蔵の「もず」が一本の枯れ木の頂点にとまって、獲物をにらんでいる絵を見て、背筋に寒気を感じるほど感動したね。   「一芸に通ずる者は、万芸に通ず」だね。   「五輪書」の考えでもあるね。    この書は武蔵の最後の書だが、今でいう論文だね。   しかし、参考文献などない。A氏:自分の経験と独自の思考の産物だね。私:死ぬとき、手元にあったのは「五輪書」と「独行道」だけだね。    A氏:君は昨日のブログで死ぬときは、1冊の本を残して死ぬのが理想だと言っていたが、武蔵は2冊を残したのかね。私:もっとも死期を察して、「五輪書」の草稿を死の2,3日前に弟子に渡しているというから、正確には、手元にあったのは、「独行道」くらいなのかね。  武蔵の人生の圧縮の書だね。   「身ひとつに美食をたしなまず、末代物なる古き道具を所持せず」   まさに「独行道」の人生だね。      こういう日本人が増えて欲しいね。 

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