知的漫遊紀行

2017/08/14(月)21:03

「教育勅語・森友問題で注目、『憲法に反する』指摘 戦後72年、生き返る教育勅語」編集委員・渡辺勉筆・14日朝日新聞・「MONDAY解説」欄

私:「教育勅語」が関心を集めるようになった発端は、安倍首相の妻、昭恵氏で、幼稚園児に「教育勅語」を暗唱させていた森友学園を昭恵氏が称賛し、同学園が新設するはずだった小学校の名誉校長に就任。 こうした問題が2月から国会で取り上げられ、論争が起きた。  森友学園によると、「教育勅語」の暗唱を始めた契機は、第1次安倍内閣による2006年の教育基本法改正で、同法2条の「我が国と郷土を愛する(中略)態度を養う」という教育目標を生かそうとした籠池泰典前理事長の「努力と工夫の結果」という。  安倍首相がまいた種が森友学園を動かし、昭恵氏を巻き込み、論争になり、その結果が3月末の政府答弁書の閣議決定で、「『教育勅語』が憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」、肯定的に扱われかねない懸念が広がっていった。   A氏:一方、「教育勅語」のシンポジウムが6月、都内で、教育や教育学に関する国内最大規模の学会、日本教育学会と教育史学が相次いで開かれた。 報告者らは、「教育勅語」は「神話的国体観」に基づき、主権者である明治天皇が臣民に徳目を示したもので、国民を主権者とする日本国憲法に反すると指摘した。  そのうえで、戦後は1948年の国会決議で「指導原理としての性格」が否定されたことを確認。 日本教育学会は「教育勅語」を学校現場で肯定的に取り扱わないように指針を作り、9月にも公表する。   私:しかし、森友学園や3月末の政府答弁書の閣議決定で、表舞台に出てきた「教育勅語」に対し、参加者からは「『教育勅語』は48年の国会決議で本当に死んだのか」という危機感が示された。   A氏:明治維新後、急速に入ってきた近代西洋思想と旧来の儒教的徳育が対立する中、1890年の地方長官会議(知事会議)が徳育の根本方針を示すよう内閣に建議したのが契機で、大日本帝国憲法の起草にかかわった法制局長官の井上毅が原案を書き、天皇側近の儒学者、元田永孚が手を入れて315文字にまとめた。  同年10月に明治天皇の名で発布された「教育勅語」は、臣民教育の基本とされ、小学校の祝祭日の儀式で奉読が必須となり、軍国主義が強まるとともに、学校を戦時動員体制に組み込む手立てとなっていった。   私:もっとも井上毅は「天皇は国民の良心に介入できない」として、「教育勅語」は天皇個人の考えの伝達にとどめたいと考えていたのが、うまくいかず、強制的なものになったことは、この編集委員・渡辺勉氏の記事ではふれていない。 終戦後の46年10月、文部省は勅語を「我が国教育の唯一の淵源(根源)」とせず、学校での奉読を廃止、謄本等を神格化しないよう通達を出す。 47年3月には戦後教育の柱となる教育基本法が、日本国憲法と一体のものとして制定され、「教育勅語」が完全に否定されたのは48年6月。   A氏:だが、保守派はこれをよしとせず、日本国憲法と教育基本法を、GHQの占領下で制定された「占領遺制のシンボル」とみなし、改正運動を展開してきた。 「教育勅語」もGHQによって否定されたとして、再評価を求めた。  こうした底流は絶えることなく続き、政界では、安倍首相の祖父、岸信介元首相の流れをくむ自民党の派閥が一角を担い、2000年代に入ると動きは加速していく。   私:「『教育勅語』の中にはいいところもあった」と、首相在任中にそう発言した森喜朗氏は退任後、岸氏の流れをくむ森派(清和政策研究会)で教育提言をまとめ、教育基本法改正を掲げ、「教育勅語」の「目指すべき教育のあり方」は「けっして間違ったものではなかった」と記す。  底流を結実させたのが、同派出身の安倍氏で、06年、第1次内閣で教育基本法改正へとつなげ、「豊かな情操と道徳心を培う」「我が国と郷土を愛する(中略)態度を養う」などと明記した。   A氏:その先にあるのは、改憲をめざす運動団体「日本会議」で、当時、会長だった三好達元最高裁長官は、「教育基本法を改正し、国民意識を立て直した上で憲法改正に臨むべきだ」と語る。   私:靖国神社にある展示施設「遊就館」の2階中央の特別陳列室には明治、大正、昭和三代の天皇の品々とともに、軍人勅諭と「教育勅語」が並ぶ。  「教育勅語」の徳目だけ見れば、親孝行など今でも通じるようにも見えるが、神話的国体観に基づく構成は、これらの徳目で「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」とし、「天と地とともに無限に続く皇室の運命を翼賛すべきである」という意味で、主権在民に反しているというのが学会の通説。   A氏:しかし、保守派の視点は異なっていて、安倍首相の政策ブレーン、八木秀次・麗沢大教授(憲法学)は「『教育勅語』にうたわれた十二の徳目は近代教育のベースであり、それが今の教育基本法第2条にも流れている」と主張するが、「『教育勅語』を復活させるのではなく、代わるものが必要だ」ともいう。   私:深刻ないじめなどを受け、来春から道徳が小学校で教科になり、社会で生きていくうえで道徳は必要だが、教育現場ではどう教えるか戸惑いが広がる。  主権が天皇にあった主権「在君」の大日本帝国憲法下で作られた「教育勅語」を基本とするわけにいかないが、主権「在民」の日本国憲法にふさわしい個人の尊厳に立脚した道徳のあり方とは何かという、憲法も含め、戦後築いてきた価値観を鍛えあげるときに来ていると、編集委員・渡辺勉氏は最後にいう。    「憲法改正」同様に、「教育勅語」問題は底流に共通したものがあるね。  

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