対談企画「村上龍×矢沢永吉」
ロックンロール・ニューズメーカー(創刊号)
1988/7/18ビクター音楽産業(株)発行 (A4版120p程度) 「村上龍×矢沢永吉」
カタギの人がこの対談現場にいたら、ほとんどが酸欠状態で倒れるのではないでしょうか。笑
知性を持った人喰い鮫と肉食恐竜が談笑しているようなものです。爆
今回の御紹介は「ロックンロール・ニューズメーカー」という21年前の古い音楽雑誌の創刊号です。
その創刊号の目玉企画がこのビッグ対談ということになり、まさに2009年現在でも十分に読み応えのある記事になりました。
当時、矢沢さん39歳、龍氏37歳です。
そして矢沢永吉さんは、この9月で還暦を迎えられます。
「龍」「永ちゃん」と呼び合うほどの仲の良さを発揮するお二人の、この対談は
今まで発行された村上龍対談関連本では収蔵されておらず(たぶん)、矢沢ファン/龍ファンにとっては貴重な一冊だと思います。
対談内容は、ほぼ矢沢さんが喋くりまくりの"RYU`S BAR状態"ですが、その一部を御紹介します。
--------------以下、一部転載-------------------------
ロンドンで、これは永遠だなって思った。
何が!?ロックさ。
(前略)
矢沢「闘いながら湧き出るパワーね。これは面白いよ。
今の話から聞けば分かってくれると思うんだけどね、龍。
オレこの間ロンドンに行ってさ、、ちょっと恥ずかしいんだけど、オレ、もう革のジャンパーが着たくてしょうがなかったのね。それで即、店に飛び込んで革の上下を買ってさ。まるっきりキャロルだよね。で、カウボーイブーツをはいて、頭は床屋に行ってボーズにしようと。バリカンでギューッっとやってもらって、ツルキンよ。(笑)。それでヒゲぼーぼー。もうハッピーでハッピーで仕方ないの。で、レコーディングして、週末酒をガバガバ飲んで、その最中、これは永遠だなって思ったことは何かっていうと、ロックなの。
ファッションに取らないで。周りの流れとか関係なく、心の底からオレはこれからはロックしかないと思ったもん。
村上「へえー。」
矢沢「オレ、その前には体力から言って、あと五年歌えるかなって考えていたのね、実は。妥協までして歌いたくねえと思って。だったらオレ、バラードが得意だからジャパニーズ・フランク・シナトラになってみせるってウチのスタッフに言ってたの。
村上「フフフ(笑)。」
矢沢「四十五、五十になってもバラードのきっちり歌える男になろうと。でもロンドン行ったじゃん。『シナトラ?バッキャロー、それは五木ひろしかなんかがやればいい。』(笑)と思ったよ。
村上「それは永ちゃんに波がきたんだね。ガーッと。」
矢沢「この時期にもう全てが来たって感じ。オレちょっとキザだけど、使命感じたよ。今、日本中でオレが現役でロックやってる最年長になってきたけど、オレがギンギンやっていかないで誰がやるんだと思ったもん。シナトラ、完全返上。トシ取れば取るほど、セクシーなロックを歌い続けなくちゃダメと。」
トシ取ったら巨匠じゃなくて、
ワンパクにならなきゃ
--------以上--------------------------
このインタビューから21年。
60歳を迎える矢沢永吉さんは”有言実行のロックンローラー”だった!
その2009コンサートツアータイトルは「Rock`n Roll」
9/19東京ドームよりスタート~!