脱線事故 運転士の遺体収容。死者107人。
25日の日記にも書いたが、福知山線の脱線事故はすごいことになっている。最終的に死者107人になった。そして運転士と見られる遺体を収容した。「運転士がいなくなったことで証言が取れない。事故原因が特定できない」ということを多くの人は考えるかもしれない。だが私は少し違う。運転士にも事故を悲しむ家族がいただろう。若い運転士にも希望があったに違いない。そのことが何より悲しい。一部に「運転士は死んでいたほうが幸せ」との意見があるようだが、私はあえて反論したい。purinお気楽日記(4月28日の日記。その後削除してから別の日記を掲載)>不謹慎かもしれないが、昨日ニュースを見ていて、夫と2人・・・申し訳ないけれど、運転手さん、先頭だから頑丈にしている可能性もあるけれど、亡くなっていたほうが幸せかもしれない、と思ったりした。この世に「死んだほうが幸せな命」なんてあるのだろうか?現在、社会的に死を迎えるのは死刑囚だけだ。今回の運転士は確かに事故を起こした列車を運転していた。スピードオーバーも明らかになっている。しかし彼は今現在死刑囚ではない。彼が死ぬことに意味はない。もう十分に犠牲者は出た。運転士であろうがあるまいが死者は必要ない。しかも、彼の証言で今後の大事故が防げるかもしれない。彼には生きてほしかった。最初のニュース速報からはこんな大事故になるとは思えなかった。これが地震や火事、台風ではなく、「鉄道は人間が作ったもの」であるところが大きな問題だ。自然災害でない以上、諦めはつかない。改めて事故で亡くなられた方のご冥福を心からお祈りします。今日(27日)でもまだ車内に取り残されている人がいるようなので、その人たちの早期の救出が待たれる。テレビで見る限り、「どうしてレスキューはエンジンカッターを使わないのか?」と思っていたが、その後の報道ではマンション近くにあった車のガソリンが漏れていて、火花の出る作業用機械が使えなかったとのこと。レスキュー隊は不安定な現場、マンションに食い込んだ車体、そしてガソリンと救助には不利な状況で作業をした。その努力には頭が下がる。強い意志と体力がなければとても出来ないことだ。テレビで見ると、救出作業がとても遅く感じられるが、救助する側がわざとゆっくり動いているわけがない。救出を待つ人も必死なら、救助する側も必死だ。何よりレスキュー隊は救助のプロだ。我々は信じるしかない。彼らレスキュー隊は何と困難な状況で、いつ果てるとも知れない救助をしていたのかと改めて思う。そして結果は絶望しかなくとも誰にも文句は言えない。救助が終わればすぐに次の救助に備えて訓練の連続だ。二次災害を防ぎ、「救助される者が死んではならない」という大前提の中、見事な活躍ぶりだ。現代の黒子はここにいた。ありがとう!乗客の話では、事故直後に助かった(軽症の)乗客が率先して列車のクッションを運び、重症患者を助けようと努力したという。近くにいた人も何とかできることをしようと集まった。こんな時にしか人の親切心がはっきりと見えないのはいかにも残念だ。本当は多くの人が「役に立てるものなら立ちたい」と思っているに違いない。今回の事故について以下の文章が見つかった。JR福知山線快速電車脱線転覆事故についての声明(JR総連)今回の事故原因はまだ特定されていないが私鉄との競争、定時運行など、やはり運転士には重いプレッシャーがかかっていたと思われる。特に関西圏では、「スピードのJR。安さの私鉄」ということが一般的になっていたと聞く。いくらスピードが売りだとしても都市部になればなるほど定時運行は困難な面が出てくる。いつも「定時運行が当たり前」と思っている我々にも、責任の一端がある。1、連絡する列車との接続に間に合わせる。2、一本の列車の遅れが次の列車の遅れに結びつく。3、怖い上司とペナルティー、そして運転士としてのプライド。4、曲芸のような技を必要とする過密ダイヤ。事故を教訓としてJRはどのような改善策を打ち出すのだろうか?JR西日本は運転士と置き石に責任があると言いたいようだが、いろいろなことが明らかになるにつれて、何だか運転士とその家族が不憫になってきた。もちろん原因が特定されていない現在、彼(運転士)は被害者の一人だ。前にも書いたが、運転士と彼の家族に対する誹謗中傷はやめるべきだ。聞けばJR西日本ではミスをした運転士に日勤教育(日勤勤務)なるものを課していた。これはもちろん運転に関する基本的な考え方や動作を再認識するためのものだが、業務規則を書き写させたり、反省文を書かせたりする以外に、草むしりやペンキ塗りをさせたりしたと聞く。これは人権侵害だと他の人も問題にしていたらしい。全日本鉄道労働組合総連合会JR西日本・尼崎電車区の異常な職場管理に対し神戸地方法務局に是正勧告を求めるついに国会でも問題にJR西日本・尼崎電車区の異常な職場管理服部さん損害賠償請求訴状彼もオーバーランをした後、いろんな意味で恐怖感があったに違いない。そしてミスが多ければ給料が減る。確かにミスをした運転士をそのまま勤務させることはできないだろうが、運転士にプレッシャーをかけることだけが安全運転を実現する方法とはとても思えない。運転士の勤務状況を報道で知ったが、二日続けた勤務で睡眠時間が実質3時間しかないとのこと。もちろんこうした勤務の背景にはコストダウンと私鉄との競争があるのだろうと容易に推測できる。果たしてこんな勤務で安全に多くの人を運べるのか?乗客はこんな勤務をしてまで列車に定時運行を求めるのか?かつて国鉄は「人が多すぎる」との批判を受けた。民営化以前はずいぶんと叩かれたものだ。そして民営化で会社に批判的な職員は新会社JRには採用されなかった。今言われているのは「JRでは運転士が足りない」ということだ。話が飛躍しすぎるかもしれないがもし彼が民営化の犠牲になったとするならば、人の犠牲の上に成り立っている便利さ、効率化では乗客もうれしくはない。今議論されている郵政に民営化だって、列車のように580人を危険にさらすことはないだろうが、利用者にとって不便になるのだったら再考が必要なのではないか?そんなことをふと考えた。さらに言えば、今でも多くの病院で問題になっている医療過誤、そして警察の腐敗など、「命に関係する」職業の人は、今回の列車事故を対岸の火事として見てほしくない。救出作業が続く現在、改善策について語るのはまだ早いのかもしれないが、今現在も日本全国で列車は走っている。福知山線で起こったことが他の線でも起こらないという保証はない。JRに限らず私鉄各社も安全について再点検が必要だ。何度も言うが、事故から教訓を学べ!そうしないと亡くなった方も浮かばれないぞ!報道関係者にも一言。遺族のところにコメントをもらいに行きいたいのは気持ちとしては理解できる。しかし、時として報道被害は遺族の「そっとしておいてほしい」という気持ちを考えないところから始まる。「もし自分が被害者の家族だったら」ということを考えた上で取材をするべきだ。心理的外傷を深くすることが報道の目的ではあるまい。「事故取材の改善を」/中華機事故遺族が申し入れ(四国新聞社) 報道関係者には是非とも、「どうすれば事故は防げるか?」ということをもっと掘り下げてもらいたい。家族の安否を確認すべく走り回っている人たちの中には、「まだ家族が被害者かどうかわからない」という人たちもいたことだろう。そうした人たちは悲しむことすらできずに病院を回っていたりする。「何でもいいから情報がほしい」という人に向かって無慈悲にもマイクを向けるのは、テレビで見ていても気持ちがいいものではない。もちろん話して楽になる人もいる。しかしそうでない人も確実にいる。報道が救助活動を妨害していないか。そう考えている人って実は多いのではないか?みなさんはどうですか?***この日記は詳しい事故報告の前に書かれています。そのため今後書き直すことがありますし、事実認識に正確さを欠いているかもしれません。また、この日記を読んで今回の事故のことをより深く考えていただきたいと考え、多くのところにトラックバックを送っています。その時には物理的にお知らせを送れませんのでどうかご了承ください。トラックバックが不要な方はどうか削除願います。もし、トラックバックが重複した場合にはどうかご容赦願います。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。メッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。