2005/04/29(金)21:42
列車脱線事故(特に報道)でいらないもの
列車脱線事故をテレビで見ていて素朴に思う。
こんな意見もあるのに・・・
「事故取材の改善を」/中華機事故遺族が申し入れ(四国新聞社)
私には以下のものは不必要です。
みなさんは必要ですか?
1、運転士が昔に書いた文集の紹介。事故と関係なし。
2、事故現場を舞うヘリコプター(救助の邪魔)。
3、車掌の奥さんへのインタビュー。
(奥さんは列車には乗っていない。奥さんに何を言わせたい?)
4、遺族にまとわりつく無遠慮なマイク。そのマイクを持って来る人。
事故原因はこうして解明される?関係ないだろ。
5、JRの記者会見で何もまだ事実が分かっていないのに、
「人が死んでいるんだ!」とキレる記者。何を聞きたいの?
会見場で記者の横暴ぶりがだんだんエスカレートしていないか?
報道する側にも問題はあった。その検証はできている?
6、血を流して苦しむ被害者を平気で撮影するテレビ。
7、そのテレビを面白がって見る人。そんなの映画だけにしたら?
8、「運転士は死んでよかった」という意見。
死んでいい命なんてこの世にあるの? 死刑囚でもないのに。
脱線事故の運転士は死んだほうが幸せ?(4月29日の日記)
9、ここぞとばかりに運転士の家族へ嫌がらせをする奴。
いるんだこういう人(泣)。
JRの職員に対する暴力は犯罪でしかない。
嫌がらせも意味がない。
10、面白がって今から置き石をする奴。
ちっとも事故の大きさが理解できていない。置き石は犯罪だ。
置き石を見かけたらすぐに警察へ通報しよう。
11、「置き石が事故原因」だと言いたげなJR西日本の幹部。
報道は被害者家族の傷を深くするために存在?
それとも救助作業を妨害するため?
ところで事故原因は追究するの?
大きな事故が起こったら、また同じことになるの?
もう不必要な報道はやめない?
追記
今回の列車脱線事故は、報道についても大きな問題を残した。
その中に、「報道はそんな偉そうにJR西日本を批判できるのか?」
という意見がある。
確かに今回の報道はいろんな面で問題山積だった。
しかし、JR西日本に対する批判は必要であり、誰かがしなければならないものであると考える。
逆に107人もの人が亡くなって、批判がないほうが異常ではないか?
この世に完全な人などいない。
しかし批判すべき時に誰かが批判しなければならない場面はある。
つまり、「不完全な人がもっと不完全なこと、人を批判する」
というのは報道の宿命であると私は判断する。
「民間会社が利益優先で何が悪い!」という意見もある。
確かに利益優先は当たり前だ。
しかし、今回の脱線事故でJR西日本は何を得たか?
無理な利益優先が多くの人からの信頼を失う結果となった。
金銭面でも大きな損失がJR西日本には残る。
もちろん死んだ人たちはいくら金を積んでも戻らない。
問題は安全と利益のバランスであって、
安全なしの利益優先など問題外だ。
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