カテゴリ:長崎での小学生殺人事件
長崎の小学校での同級生殺害事件から一年。
(この事件そのものについてはここを参照のこと) この事件について昨年以下の発言があった。 >被害者の子にはほとんど怒りに近い感情を抱いてるし、加害者の子には「よくやった!」とブラボゥを送ってしまう。 発言をしたのはこの人。 私の指摘によりこの人は発言を謝罪して、削除した。 その時こう述べている。 >確かに心無い言葉でした。ご遺族を責める気持ちは毛頭ないのですが、申し訳ありません。 こうも言っている。 ただ極言すれば >「娘が悪口書いたのだから殺されても仕方ない」 という解釈は多分そのままズバリになります。 この人は問題発言を反省していないようだ。 悪口言ったら殺されても仕方ないのか? どこの親が子どもを悪口が原因で殺されて納得する? 「殺されても仕方ない」という考えが通用しないからこそ、この事件は大きな問題になった。 この「ブラボー発言」についてはここで語っており、すでに解決したものを思っていた。 長崎の事件での「ブラボー発言」その後(2004年10月の日記) ところがまたしてもこの人は以下の日記で「ブラボー発言」を正当化している。 願・悪霊退散 >刺激的な文言ではあったのでその点に関しては謝罪したが、基本路線は変えた覚えはないね。 そして、他人はともかくアンタに言われて変えなければならない必要性も感じないね。 今更矛盾していると言われても、私はそっちの読解力不足を哂うぐらいが関の山だ。残念ながら、そのくらいじゃ私は傷つかないよ。 この人は事件の重大さをまったく理解できていない。 一度は私に指摘で謝罪し、削除した発言を私の「読解力」のせいにする。 その感覚がまったく理解できない。 こうした発言もある。 >彼女からは、りゅうちゃんミストラルさんには殺人賛美者だと思われても構いません、という内容のコメントを頂きました (これは隼瀬氏の証言。詳しくはここに書いてあります) もちろんここで言う彼女とは「ブラボー発言」をした本人だ。 「殺人賛美者だと思われても構いません」とのことなので、 私はブラボー発言をこの人がまったく反省していないと判断した。 本人が認めていることを、私が否定はできまい。 この人「ブラボー発言は誤りだった」と素直に言えばいいのに。 どうしても自分を正当化したいらしい。 また、メッセージを勝手に日記掲載することに対してこの人は、 私に承諾を得ていない。 何を勘違いしたのかブラボー発言の人はこんなこと言っている。 >「メールを載せることに同意してない」なんて言ってるが、あれだけ私の文を勝手に引用しておいて自分のはダメというその身勝手さに呆れますね。 私はあらかじめブラボー発言をした人にメールで承諾を得た。 「勝手に引用」というブラボー氏の指摘は意味がない。 向こうは私の承諾を得ていない。この違いがブラボーさんには理解できないのだろう。 殺人者に向かって「ブラボー」と言っておいて、それを謝罪しながら反省がない。 この人、いつまでたっても成長しないねえ(笑い)。 この日記でも書いたが長崎の同級生殺害事件などでは、 ネットで多くの暴言が飛び交った。 こうした暴言は一年経過して減ったのか?私にはそうは思えない。 何も変わらないのでは、犯罪被害者も浮かばれないだろう。 向こうも私の日記にトラックバックしてきた。 一度謝罪しておきながら、それを後に正当化しようというのはすごい。 「殺人賛美者だと思われても構いません」 とのことなので、私は今でもそう思っている。 バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。 意見があればメッセージでどうぞ。 今のところメッセージは全て読んでいます。 トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.06.10 17:15:58
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