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りゅうちゃんミストラル

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2005.10.05
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テーマ:戦争反対(1187)
カテゴリ:戦争
最近、フジモリ元大統領が南米へ向かったとの報道がある。
彼はチリで身柄を拘束された。

日本政府、フジモリ氏と面会(日経ネット)

フジモリ氏は日本国籍を持っている。
そのため、日本政府としても彼の動向については看過できない。

彼はペルーにとって救世主だったのか?
それとも犯罪者なのか?
(彼には市民を虐殺したとの疑惑がある)
それを書き出すとここではスペースが足りない。

今回は彼が大統領だった時に起こった日本大使公邸人質事件と「テロとの戦い」について考える。

フジモリ氏はテロ撲滅とペルー経済の再生を政治課題に掲げて1990年に大統領に就任した。

事件は1996年12月17日に起こった。
まだ事件を覚えている人も多いだろう。事件後、青木大使もタバコを吸う姿などが批判された。
天皇誕生日を祝うパーティーでMRTA(トゥパク・アマル革命運動)が日本大使公邸を占拠した。
この時には800人を超える人が事件現場にいた。
あまりに多すぎる人質に、犯人側も女性と老人200人以上を解放した。
その中にはフジモリ大統領の母もいた。
この占拠事件は127日にわたって続いた。
大使公邸へ特殊部隊が突入したのが97年4月22日だった。

犯人はネストルセルパが率いていた。
全部で14人と伝えられている。
彼らが出した要求は以下の通り。

1、服役している仲間450人の釈放。
2、身代金の支払い。
3、ペルーの社会変革。
4、ジャングルへ逃亡するまで人質の連行。


特にMRTAは幹部であるビクトルポライ(92年逮捕)の身柄を必要としていた。

結局、武力による突入により、この事件は一応解決した。
フジモリ大統領は、「テロリストとは一切交渉はしない」との決定をした。
作戦は大使公邸地下にトンネルを掘り、特殊爆弾(爆風の向きを指定できる)を使って犯人数名を爆死させるというものだ。
その後、特殊部隊が大使公邸へ突入。人質を救出。
この突入作戦による犠牲者は3人。

最高裁判事が二階から飛び降り、後に死亡した。
人質を守ろうとしたファンバレル少佐が殉職。
ラウルヒメネス中佐はMRTAの銃撃で死亡。

武力による解決の是非はともかく、この三人の冥福を祈る。
犯人側は14人全員が爆死、または射殺された。
これは作戦に余裕がなかったこともあるが「見せしめ」ということなのだろう。
つまり「テロリストの最期はこうなる」というペルー政府(と言うよりはフジモリ大統領の)思惑だと私は考える。

「この事件から何を学ぶか」ということは人によって違うだろう。
私は北オセチアで起こった学校占拠事件に関連して以下のような記事を書いた。

テロを育てる国の指導者(2004年9月7日)

私はこの時の考えを今も変えていない。
武力で事件を解決しようとすると、新たな因縁が発生する。
アメリカもそれで今苦しんでいるではないか?
アメリカはいつでも「正義」を口にする。
ところがそのアメリカはイラク戦争でも大量破壊兵器の存在を戦争の口実にした。
実際に大量破壊兵器が見つからなくてもだ。
例えばアメリカが支援するイスラエルには核兵器が存在すると言われている。
無理を承知で言うが、アメリカは核兵器の拡散を防ぐことに神経を尖らせているのにイスラエルには強硬な対応をしない。
これはアメリカ政府のダブルスタンダードだ。
イラクや北朝鮮には強硬に出るのに、イスラエルは問題にされない。
アメリカ型の「テロとの戦い」は矛盾に満ちている。

日本大使公邸人質事件で言うならば、シプリアーニ司教、ミニグ国際赤十字委員、ビンセントカナダ大使の三人からなる保証人委員会が結成され、開放作戦の時も交渉途中だった。
犯人側リーダーのセルパもシプリアーニ司教を信頼していたと伝えられている。
私は今も思い出す。
シプリアーニ司教は武力による解決には反対だった。
人質解放後も武力による解決を嘆いていた。
もちろん大使公邸占拠事件を起こしたMRTAが最も悪い。
このことは論を待たない。
しかし事件を武力解決したのでは、何の解決にもならない。
また、犯人側は投降したにもかかわらず容赦なく射殺してしまっては、
事件の真相に迫ることはできない。

※この事件については「大使館」という記述が見られるが、これは「大使公邸」が正しい。
どちらでも大きな差はないが私も最初の記述で「大使館」と書いた。
ここで訂正する。




参考になった記事

テロとの戦い(アメリカ大使館)

「テロとの戦い」を標榜するアメリカ大使館の資料集。

あの9.11から4年、「テロとの戦い」のツケがまわってきました(平和さいじき)

結局アメリカは「テロとの戦い」に多くの若者の命と金を投入した。
しかしニューオリンズをハリケーンカトリーナから救うことすらできなかった。
この事実にはアメリカ人でなくとも多くの人が疑問を感じたはずだ。

ペルー日本大使公邸人質事件

この事件が解決する前に書かれた論文。
この事件について詳しく書かれていて参考になる。

ペルー日本大使公邸占拠事件(Wikipedia)

詳しく事件の内容を知りたい人にはいいページ。

ペルー日本大使館人質事件

「実力行使か平和解決か」というのは永遠のテーマかもしれない。

ペルー事件調査委員会の報告についての池田外務大臣記者会見(外務省)

在ペルー日本大使公邸人質事件解決に対する各国の反応(外務省)

各国の反応が一覧表になっている。

青木大使記者会見(外務省)

インターネットで見るペルー日本大使公邸占拠事件・人質解放報道

この事件に関するリンク集。

フジモリ大統領拘束(Bingo!の日記)

フジモリ元大統領の拘束について詳しく書いている。

リマ症候群

リマ症候群とは、ストックホルム症候群とは逆の症状。
犯人側は、日本人の人質に対して飲酒を認めるなど親近感を持っていたと伝えられている。

アルベルト・フジモリ(Wikipedia)

フジモリ氏についての基本情報。

フジモリと日本

フジモリ氏と二重国籍、その存在と国際的背景などについて言及。

ペルーの人権問題とフジモリ元大統領の責任を考える会

↓↑フジモリ氏の疑惑について追求したページ

フジモリにペルーでの法的裁きを求める国際連帯行動を!

フジモリ元ペルー大統領は二重国籍(諸悪の根源は物理的)

↑フジモリ氏の二重国籍について言及。
日本政府がどうして二重国籍を是正しないのか?
私にも理解できない。
「テロとの戦い」とは直接関係ないことだが気になることではある。




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最終更新日  2005.11.10 14:51:12


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