2006/03/31(金)10:19
割りばし死亡事件で医師無罪
幼稚園児がわたあめの棒を咽喉に刺した。
1999年、楽しいはずの夏祭りでの出来事だった。
この子が運ばれた病院では傷口の消毒だけで帰宅させた。
このことで子どもの両親が裁判所へ訴えた。
しかし東京地裁は無罪の判断。
この判決は不作為では有罪にならないということなのか?
[解説]「割りばし死」医師無罪(読売新聞)
私が思い出すのはドラマにもなった「ブラックジャックによろしく」の主人公、研修医である斉藤英二郎。
彼は研修医の賃金では生活できないので夜間救急病院でアルバイトをする。
その病院は交通事故患者を受け入れを拒否しない。。
なぜなら自由診療での金が目当てだからだ。
ブラックジャックによろしく・1
もしあなたが夜歩いていて交通事故に遭ったとしよう。
救急車で運ばれるあなたは救急病院のベッドで今にも死にそうだ。
だがそこには医師免許は持っていても実技がほとんど出来ない研修医しかいなかった。
あなたが生きるか死ぬかはその研修医が握っている。
これは何も漫画やドラマの世界だけではない。
現実の話だ。
最初に紹介した裁判も、交通事故ではないだけで状況は似通っている。
どうしてこんなことになってしまうのか?
原因の大半は日本の医療制度にあるといってもいい。
経験、技術の無い医師が存在すること。研修医の制度としての問題。
そして自由診療制度。医師の人数に対する病院の多さ。
これらの問題を語らずにこの裁判も語るべきではないと考える。
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News23 多事争論 3月28日(火)「人(仁)術」
>「割り箸の刺さった園児は、いずれは助からなかったのだから医師は無罪」ということになりますと、「いずれは助からない」患者に対して延命治療の中止をした医師も罪を問われないということになるのか? 実はそんなに簡単な問題ではないだろうと思います。
>司法の医療問題についての判断もずいぶん別れておりますし、何よりも人の命にかかわるのが医療という行為です。しかも、その医療を施すのも人間でありまして、かつては「人術」というのは別の字「仁術」も使われた時代もありますけれども、いずれにしても人間のやることで、しかも、それが密室の中で、しかも医師はしばしば神に近い存在になってしまうということもあります。
>たいへん難しい世界で、これをどう扱うかというのは軽々にはできませんが、まず第一に医師のモラル・倫理というものも問われるだろうと思いますが、それよりも今起きている「尊厳死」や「安楽死」やそういう問題についての議論、それから実際の対応を見ておりますと、いろんなことが非常にあやふやなグラウンドの上に立って議論をされている。議論の整理もされていなければ、法律もそれについて明確な指針を示しているわけではないという部分がずいぶんあります。
割り箸死亡事故 1審無罪判決
割りばし事故無罪判決の理論と現実
割りばし死亡事故判決要旨を読んで
どうでもいいことだが、以下の意見には賛成できない。
>患者側も誤診、失敗、不成功の可能性の存在、言い換えれば手塚治虫氏が描いたブラックジャックのような完璧な医療は必ずしも期待できないということを認める必要があると思います。
手塚治虫の原作を正しく理解されている方なら理解できようが、
ブラックジャックは完璧な医療など実現できていない。
だからブラックジャックは悩む。
そしてそれこそが読者を引きつける。
割り箸事故
以下の意見は私と同じ視線であるように感じる。
こんなこと書くとまた「冷たい!」と批判されるんだろうな。
>亡くなった子の命を無駄にしないように、やるべきことといえば。
>救急医療体制や、小児医療を充実させるようをする働きかけ、
じゃないでしょうかね?
でも今回の裁判の結果、
子供に関わる医療に進みたいという医学生は、どんどん減っている。
(この事故だけが原因ではないだろうけど)
これって、喜ばしいことではないと思うんだけどな。
割りばしを見つけられなかったのは「医療ミス」なんだろうか?
蛇足判決?
割りばし事故死!!
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