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カテゴリ:教育
このところ毎日報道されている履修漏れ問題。
必修科目の履修漏れが発覚した茨城県の公立高校校長が自殺した。 必修漏れ校長自殺か 県教委に衝撃走る(東京新聞) この校長が山中で死亡した30日は保護者を集めた説明会がある日だった。 遺書には「生徒に瑕疵はない」などと書かれていた。 このため履修漏れ問題が自殺に影響していると見るべきだろう。 「生徒に瑕疵はない」…自殺の校長、遺書に記す(iza) この高校でも、進路希望先に提出する調査書の記述をどうするか話し合っていたところだという。 私はすでにこの調査書の問題については以下の記事で指摘した。 未履修400校!補習の意味 履修漏れがある高校では、大学などに出す調査書に頭を悩ませる。 なぜなら、事実をありのまま書けば大学に「門前払い」される恐れがある。 必修科目の単位不足で「高校卒業見込み」の認定がされないためだ。 逆に「高校卒業見込み」のために調査書を書くと、「虚偽記載」として犯罪になりかねない。 この校長の場合、自殺の動機がはっきりしているわけではない。 履修問題での自殺であるなら、最後まで校長として対応してほしかった。 この記事でも書いたが、校長らしい、教育者らしい責任の取り方を考えるべきだった。 厳しいようだが校長が自殺しても何か解決するわけではない。 たとえ履修問題で悩んでいたとしても、残された高校生のことを考えてほしかった。 それが教育者というものではないのか。 *********************** 関連記事 校長先生、自殺までしなくても… ↑教育の現場にいた方の記事。 賛成できる部分もあるが、以下の記述は理解できない。 >要りもしない教科を勉強させられるのはナンセンスだ!と叫んでいませんでしたか。白髪頭の素人の校長を取り囲んで、マスコミの餌食にして何が楽しいのですか? >普通科高校の学習が、受験至上主義に走っていることが問題なのです。それを煽ってきたのもマスコミじゃないですか。専門学校なんかまったく論外の、「大学至上主義」、どこかが狂っているのではないですか。 これは責任転嫁ではないか。 いくらマスコミが騒ごうとも、学校が「規則だから」と原則を守るべきだった。 今回の履修漏れ問題で規則を破ったのは高校。 そしてその高校での責任は校長にある。 マスコミを批判するのは勝手。 だが、本当に批判されるべきは高校だ。 問題なのは普通科高校の受験至上主義ではない。 規則を教えるはずの高校で規則破りをしたこと。 そしてそれを認めようとせず、「生徒のため、受験のため」と責任逃れをしている校長たち。 これこそが問題だ。 高校生に対して「規則を守れ」「素直になれ」そう指導してきたのは誰か。 教育者が聞いて呆れる。 私はこの記事を読んでそう感じた。 佐竹高校長自殺 履修不足影響か? ≪履修単位不足問題≫茨城県立佐竹高校の校長が自殺 「必修逃れ」を苦に自殺 茨城県立高の校長が自殺 #1489 未履修問題。ついに死者まで・・・。 未履修発覚の校長の首つり自殺に思う 大人の保身の影で子供たちは・・・。お手本なき子供たち 未履修発覚高の校長自殺 「また自殺者が、、、」 責任感てなんやねん
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最終更新日
2006.11.01 10:06:58
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