カテゴリ:読書
重松清の「舞姫通信」を読んだ。
(この記事はネタバレあり) 重松は多くの作品で家族を描いている。 中年の父親がいて、息子はいじめなどで悩んでいることが多い。 タイトルの「舞姫通信」とは、女子高で誰かが製作している新聞。 舞姫というのは以前、この高校で飛び降り自殺した生徒のこと。 すでに校内では伝説化している存在だ。 この高校に赴任してきた古文教師岸田宏海。 舞姫通信と自殺について振り回される。 彼にも5年前に双子の兄を自殺でなくすという過去がある。 「朝まで生テレビ」のような討論番組が、この作品では描かれる。 内容は自殺について。 しかし「常識人」であるパネリストたちは、下らない議論で時間を浪費する。 そこに現れたのは城真吾という若者。 彼は恋人と心中騒動を起こしたものの、彼女は死に彼だけ生き残った。 彼が「自殺志願者」であることを告白することで、一躍時の人になる。 だが、彼こそはプロダクションに作られた偶像だった。 多くの人は「生きる理由」があって生きているわけではない。 そんなこと深く考えずに生きているといっても過言ではない。 それでも日本では毎年3万人もの自殺者が出る。 多くの人が一度は自殺を考えたはずだ。 「舞姫通信」の第6号は、「自殺する権利」について書いている。 前にも別の記事で書いたと思うが、自殺する権利は法律家も考えている。 ある刑法学者は言った。自殺が犯罪でない理由について。 そのひとつが「自殺権説」だ。 人は生まれる時と場所、そして環境を選ぶことができない。 だから死ぬ時にはその権利を認めようとする考え方。 この説に批判はあるだろうが、考え方自体が存在するのは事実。 もうひとつが「自殺者無能力説」。 この作品でもそのことが描かれている。 終盤、城真吾が少女にナイフを向けられた時、彼はこう叫んだ。 「助けてくれ!殺される!」 これが自殺者といえども本能が出た瞬間だと言える。 「自殺」と「他殺」の違いはあるが、人はこのように反応してしまう。 ところが飛び降り自殺の場合、途中で自殺志願者が何かに引っかかったら。 同じように「助けてくれ!」と叫んでしまうのだそうだ。 つまり、自殺志願者は自殺を決行する場合、まともな判断力がなくなっている。 だからこそ、自殺を犯罪として考えないのだそうだ。 ついでながら、もし心中に失敗して城真吾のように生き残った場合。 その人は罪に問われるのか? 先程紹介したの刑法学者は刑罰の対象になることがあると語っていた。 (そう言うと、文学者はその話を聞いて、「法学者は頭が固い!」と批判するという) だが実際問題として、生き残った人が起訴猶予になることが多いとも語った。 起訴猶予を狙った保険金詐欺なども可能性としては残る。 その点は警察関係者による事情聴取を信用するしかない。 ところで素朴な疑問。 この作品を読んで、自殺を考えた人はどれだけいるのだろうか? 作品が発表されてから、かなり時間が経過している。 だが社会問題になっているという話は耳にしない。 それだけ読者はクールに対応しているのか? それとも重松の表現力に問題があるのか? 自殺を肯定するわけではないが気になった。 *********************** 関連記事 重松清「舞姫通信」 ↑「舞姫通信」について書かれた記事。参考にさせていただいた。 バナーにクリック願います。 楽天フォトの容量を増やしてください。 ***トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。 その場合リンクは必要とはしません。 意見があればメッセージでどうぞ。 ただし荒らしと挨拶できない人はお断りです。 今のところメッセージは全て読んでいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.01.05 18:50:19
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