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テーマ:ひとり言・・?(16711)
カテゴリ:社会問題
卒業式のシーズンになると、気になることがある。それは、君が代拒否騒動。
君が代拒否する教師と五輪で話題となった「国母騒動」について書く。 ![]() 国母選手の騒動について、すでにいくつかの記事に書いた。 スノボ国母、めざすは朝青龍? バンクーバー五輪開幕 国母よソチを目指せ! 2月28日の神奈川新聞「照明灯」が気になった。 国母選手の騒動について書かれたコラムだ。 2月28日付け照明灯(神奈川新聞) 筆箱に入れる鉛筆の本数や赤鉛筆の本数まで決められている小学校。 私なら気持ち悪くて通いたくない。 「みんな一緒は安心」ということを示すために、小学校の例えを出した。 私はそう解釈している。 この記事、九州の小学校と五輪選手を同列に扱うことに私は疑問がある。 寛容さが現代社会で失われているという点は、確かにそうだ。 服装は「自分らしさ」の表現かもしれない。 記事はこうも書いている。 ヒップホップの音楽が流れるスノーボード競技者には自然なファッションなのだ (太字部分、上の「照明灯」から引用) そしてこう締めくくられている。 服装は「自分らしさ」の表現でもある。賛否両論があってよかった。国母選手の気持ちに寄り添う意見は少ない。そうした反応に危うさはないだろうか。 (同じく太字部分、上の「照明灯」から引用) 今どき、かなり極端な意見でも賛否両論となる。 逆に、みんなが同じ意見だったとしたら。 それこそ気持ち悪い。 ところで、私は04年に国旗と国歌について以下のページを書いた。 国旗と国歌について 神奈川新聞のコラムは誰が書いているのか。 誰でもいいが、「国旗と国歌について」で書いたことをもう一度述べる。 記者の中に、このコラムについて批判的な意見は出なかったのか? もし出なかったとしたら、神奈川新聞は偏った危険な新聞で気持ち悪い。 無理を承知で書くが、記者の中で議論になったことを記事にする。 それもまた、新聞記者の役目ではないだろうか? 今回の国母騒動では、賛否両論になったことで日本の健全さは証明された。 そう解釈することができる。 国母選手の気持ちに寄り添う意見は少ないから危ういのか。 ならば、その割合は半々でなければならないのか。 話はここで終わらない。 卒業式といえば、最近では君が代の拒否をする教師が騒動となっている。 上で紹介した「国旗と国歌について」に書いたとおりだ。 もし神奈川新聞の意見が正しいとするなら。 卒業式で君が代に反発する教師は「自分らしさ」の表現ではないのか? 公の場での行動は大事だ。 大事な卒業式を乱したのに、反省する教師は少ないはず。 だが、君が代が戦争でどう使われたのか。 それを考えた教師にとって、君が代拒否は自然なことなのだ。 君が代に反発した教師の気持ちに寄り添う意見は少ない。 そうした反応に危うさはないだろうか。 すでに書いたように、小学校と五輪選手を同列に扱うことへの疑問。 私にはそれがある。 ならば、教師と五輪選手は同列に扱えるのか。 そうした疑問が出てくるはず。 小学校は何のために存在しているのか? オリンピックは国のためなのか?それとも個人のためのものなのか。 そして卒業式は何のために行われるのか? さらに、君が代は何のために卒業式で使われるのか。 疑問は尽きない。 *********************** 関連記事 ルールと価値観 ↑国会議員の河野太郎が国母問題について書いた記事。 もしルールがあれば国母を処分することに賛成なのか? だったら国旗、国歌法案について議論の際。 「強制はしない」と説明していたのは何だったのか。 「ルールがあるから君が代拒否の教師を処分する」ということか。 国旗、国歌法はまさに教師を処分する。 生徒を従わせるためのものではないか。 *********************** ※トラックバックは管理人が承認した後に表示されます。 バナーにクリック願います。 ***トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。 その場合リンクは必要とはしません。 意見があればメッセージでどうぞ。 ただし荒らしと挨拶できない人はお断りです。 今のところメッセージは全て読んでいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.03.02 18:00:43
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