2014/09/15(月)09:40
戯言(愚痴・・・)
私は決して裕福ではない、むしろ貧困層に属する。
そんな人間が、生意気な事を書いている。
同時に被災地に自腹で行っているのであるから、
他人から見ると馬鹿な人間に見えるであろう。
月10万ちょっとで家賃から、その他の食事関係を賄う。
毎月、月末はピンチであり、食を考えながらの生活である。
だが、それも面白いと思っている。
私は政府批判や貧困、高齢者、被災地批判を書くが、
自分が経験しているから書けるし、批判も出来ると思っている。
この生活は改善できるかと言えば、出来ないであろう。
高齢になった私には働き口などないし、新たな収入源も出てはこない。
でも被災地、高齢者のお手伝いは続けて行こうと思っている。
私なりに出来る範囲しか行う事は出来ないが、
それが私の信念として、私を支えているからである。
私は若い頃から、良く考えていた事がある。
それは「人間とは」である。
人は心であり、人は優しさと労わりを持たなければ、
人間として成長は無いと思っている。
私自体、子供の頃から色々な経験をし、その経験から
自分なりの信念を持つ事が出来た。
それは多くの人に助けられた部分が大きいし、
学ばせて貰った部分もあり、そこから這い上がる事に夢中になり
ある時は人をも蹴落として来た事もある。
それは生活の為ではあったが、そこから学んだ部分も大きい。
同時に海外などに行き、貧しさを見て、それから見ると
私は幸福な部分を味わっている。
本来自分は経験して意見を言う事を、
若い頃からの自分のやり方として行って来たし、
それでなければ相手の立場を
本当に分からないと思っている。
基本的に人間は心と心で分かり合うのが本来の姿であり
それを金をちらつかせて、人の弱味に付けいる人を
私は毛嫌いするし、蔑んでいる。
人は心が無ければならないと思う気持ちが強い。
同時に私は運が良かったのかもしれない。
裕福ではないが、食べて住む事には、あまり苦労しなかった。
人は何かが良ければ、何かが欠けているのが人間のように思える。
私の欠けている事は、愛する人を二人亡くした事であろう。
母と私が愛した女性である。
でも、その二人が私を見守っていてくれて、
今の自分があるのだと、自分では思っているし、
その分は、自分は何かをして行きたいと思って行動しているし、
その二人が私の後押しをしてくれて、
今の自分が居るのだと感じる。
だから二人の分も頑張って行動して行きたい。
それが他の人を支えて行きたいし、
これからも政治批判も貧困も
被災地等の事を書き、経験して行きたいと思っている。