矢口竜二のブログ

2015/11/22(日)06:47

勝手な事を言う(相互間違いは?)

人には、それぞれの歩んで来た道がある。 それは相反する部分があるし、互いに理解する部分もある。 理解する場合は、互いに自分たちの歩んで来た道とは 違う部分を分かり合い、譲り合わなければならない事が 多いのである。 それを自分が歩んで来た道を押し通すと理解出来ない事に成る。 確かに自分が歩んで来た持ちは、簡単には変えられないし 理解者が居ても、自分の歩んで来た道が違っていたとは 認めたくないのが人間であろう。 それは、その工程での多くの環境の違いがあるから 簡単に認める事も出来ないであろうし、受け入れる事も 出来ないであろう。 だが、人は多くの方達から学び、それを少しでも自分の中に 受け入れて行く事が大切であると思う。 そこには相手の思いやりもあり、労わりもあるから 関わってくれる事も考慮すべきであると思う。 だが人間は年齢と供に自己主張をする部分が強くなり それらを素直に受け入れ難くなるのである。 私もその一人であろう。 私の歩んで来た道で経験した事を、自分なりに解釈して 色んな方と交わり、そこで主張する事があるが それは自己満足な部分なのだと感じる事がある。 その経験は別な部分で生きている事もあるが、 それも生きない事もあると言う事を経験した。 関わるが当初は相手も分かって貰えたと思うが 慣れ合いに成ると、それが互いの甘えが出てしまい 相互間で隔たりが出来てしまう。 その隔たりを埋めようとするが、互いの甘えが先行して 噛み合わない部分が広がり、自己主張が強く出て 隔たりが埋まらない状態に成ってしまった。 これは社会生活をしていると、何度も経験する事であるが それを乗り越えて来たのが経験となっているはずが 自分なりには、まだ未熟な部分があったのと、 それを見抜けなかった自分が悲しいと思えた。 やはり思いやりも労わりの気持ちも、最終的には 自己満足なだけである事を感じ取った出来事であった。 これからは、又、この経験を生かして、 別な部分で学んで行かなければならないと思う事が 出来ただけ良かったのかもしれない。

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