矢口竜二のブログ

2017/02/19(日)08:46

今年も戯言2月(またもや戯言・・)

私は、人との交流を大切にしたいと思って居る。私は40数年以上コンピュータと付き合って来たがコンピュータの発展と供に仕事をこなして来た。人間としての部分では勉強不足であるが。 今騒がられているAIであるが、AIに関しては初期の頃からAIに注目して、それに近いシステムを作りたいと思って30数年前に自動仕訳システムを作った経験がある。 その頃に初めてAIと言う言葉が言われ出した頃であり私も若かりし頃だったので、AI学会に入り、人が如何に楽くして、データを入力するかを考えて作ったが、現在の様にメモリーと記憶容量が大きくないので、プログラムでカバーした事を思い出す。 その頃から、私はコンピュータに対して道具と見なすようになって来たし、あくまでも便利な道具ではあるがそれは人が如何に便利に使うかだけであり、そこには愛はない事を知ったのである。 私は事務系システムのSEとしては、それなりに多くの企業のシステムを構築して来た。コンピュータには、人が入力したデータが必要であり人は間違いを犯すものと考えて、システムを作って居たのである。 その間違いを、如何にチェックして正確な帳票を出しそれで企業が効率化出来るかが、コンピュータが生きる道だと自負してシステムを作り上げていた。 また、同じようなデータを再入力する事は、当たり前の時代であった。それを1度の入力で、コンピュータが蓄えたデータと照合させて再度入力しなくても良いと思って、AI機能に注目したのである。 AIも3次代に入り、メモリーも容量もビックデータと言われ色んな方面で使えるようになって来た時代に入りつつあるがそこには使い方を間違うという不安はある。 幾度もブログに書くが、人は便利さだけを追求して使う。だが、人は感情を持っているし、それぞれが生活水準や活動も違うのである。 前に高齢者や子供達に対して、それなりのシステムを考えたいと書いた。 ただ、便利さだけでなく判断材料として使うだけを考えているだけで、人間本来の感性に関してはシステム化は出来ないと思って居る。 ましてや高齢者の方に関しては、色々な状況があるのでそれを把握して行くには大変である。 だが、ビックデータ時代に成ったので、それを活かして判断材料として使う事は可能になったのでAIも活用出来るであろう。 私は、便利さは認めるが、使えるシステムでなければ只のゴミに成りかねないと思って居るのであり同時に、その場限りの一時的なシステムを構築しても使える物は出来ないであろう。 これはコンピュータだけでなく、制度にも言える事である。

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