矢口竜二のブログ

2017/06/18(日)07:15

今年も戯言6月(くだらない愚痴・・)

どうも私の考え方が可笑しいのか、周りと調和が取れているようで実際は取れていないではないかと思ってしまう。 実際、色々と言われる事が多くなって来たのであるが無償で人の事をやってあげる事が、皆さんには不思議に思うのであろう。 良く最近は「何故、どうして」と聞かれる事が多くなった。私個人としては、当たり前だと思っていて、単なるお節介焼きなだけであるのと、人としての感性だと思って行動しているであるが私の考え方の違いを感じている。 だが、人は「そこまでやるか」と思うのであろうし、何か目的があるのではと思うのであろう。私の今までの歩んで来た道は、他人とは大きく、かけ離れた部分が多いから、やるならやる、やらないなら中途半端で行う事が嫌なのである。 これは仕事でもそうであるが、中途半端な気持ちでやると人は信用してくれないし、自分も中途半端な行動しか出来ない。 この性格は、もう変わる事が無いであろう。元来、お金の事を考えて行動するタイプではなく、技術的な事を追求して行くタイプなので、仕事に対しては完全を目指していたと自分では思っていた。 だが、そこには一般的に通用しない部分が出て来る事は間違いない。ブログに幾度も書くが、私の感性は遊びの無いブレーキであり、やり出したら早く終わらせて、問題点を洗い出して修正を考える。 だから多少の問題では、多くの方は仕方が無いと考えるのであろうがそれを許せない自分が出てしまう傾向が強い。 これは、技術は完全が無いと思って居るし、人は完全な人が居ない事も分かっているが、完全に近い物を少しでも求めるから、その様な私に成ったのであろう。                   そこには他の人とのズレが出て来る事は多かったと思う。ただ、その様に考えると自分に厳しくして行かなければならなった。 また同時に、他人に甘える事が出来ない性格であり、自分が言った事には責任を感じてしまう事が多いがそれは自分を背伸びさせている事も分かっているのである。 その様な性格であるから、自分が関わって問題が起きた場合は相手に非が多くても、自分にも何かが欠けている部分があって問題が起きたと思う傾向が強い。 特に私が携わって来た仕事は見える物を作る事ではなく結果が出て評価されるものであり、その結果も私の思考能力を問われるものであり、出来上がってから善し悪しが問われるから、見えない物を作るのが仕事でありそれにより私自身が評価を受けるので、その怖さから逃れるのには、私自身を少しでも格上げして行かなければ成らない。 それも影響しているのか、人の評価が気になってしまう。同時に使う立場で考えながら、思考する事が当たり前でありそれを行わなければ、只のゴミに成り兼ねない仕事であった。 現代は、そこまでやる工程は殆ど無くなったが、私達の仕事の初期の頃は全体像を把握して、頭から最後まで作り上げる事で完成であり、完全に見えるのが最後であるから、出来上がる工程が見えるなら、他人の評価で修正が出来るが、完成して始めて評価される仕事の為に、この様な性格に成った部分もあると思う。 すなわち結果は出来上がってからの為に、工程が見えない部分がある為に如何に早く、如何に相手の要望を入れているかそれを使う立場を分析しながら行うが、最終段階で修正が加わる事が当たり前の仕事であった。 これが今の私の性格を作り上げ、他の人と違う部分を感じるのであろうと思う。

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