矢口竜二のブログ

2017/06/19(月)06:50

今年も戯言6月(疑問に思う教科・・・)

2020年には小学校でもプログラミングの授業を行うようであるがこれもAIを意識した文科省の考え方なのであろう。 私から考えると応用力を付ける為であり、私は、これをプログラミングと考える人を笑ってしまいそうになる。 確かに現在の教育では、応用力や想像力が欠如している事は私のブログに書いた事があるが、AIを意識する事は時代の流れであり、初期のAIが叫ばれた頃から、私も興味を持ち如何に人が楽にシステムを使えるかと思って、自動仕訳システムを作った事がある。 それは30数年前であり、その頃はメモリーも小さく大容量のDISKも出ていない頃で、プログラムで判断させて仕訳を自動的に行うもので、借方が3仕訳出来るのや貸方が同様に3仕訳までしか出来なかった。 現在ではビックデータ時代であり、それにより判断をさせる事は簡単になって来ているが、本来のプログラミングとは違う様に思える私が居るが、そんな私が古いのかも知れないがこれでは思考能力が高まるとは思えない部分があると私は思う。 現在のシステム構築は、あくまでも繋ぎ合わせを行って居るだけで自ら考えだしてコンピュータを動かす事を行って来た、私だから、その様に考えるのであろうと思う。 確かに今の時代はデータ量が豊富なのと、大容量のメモリーやDISK関係が出来ているので、それを利用する事が出来るから色んな方法でデータを使える時代である。 今やAIは騒がられているから、それに準じた事を教えると言う安易さが見え隠れするのであり、官僚の考えそうな事だと私からすると考えてしまう。 それもアリではあるが、その前に教育とは何かを考えるべきなのが官僚であり、話題性があるからとか、創造性が衰えているとかでその場凌ぎの教育を作るよりは、人間性を求める事を重点して貰いたいと思う。 文科省が言うプログラミングとは、単なる組み合わせでありそれをプログラミングと言うには無理がある様に思うしそれを鵜呑みにするのが父兄であろうが、私からすると言葉遊びに感じてしまう。 今の子供達は、確かにITの発達やゲームなどでPC関係にはある程度慣れている事は間違いないが、私がブログに良く書く事だがコンピュータは、あくまでも便利な道具であり、人間教育には向かない部分がある事を危惧してしまう。 今の時代の流れから、コンピュータは当たり前の事であるがその前に人としての部分では、弊害も出て来ている事を気が付かない人が多過ぎる。 また、教育現場で、それだけの知識がある人材が居るのかも疑問だし使うだけで、プログラムの構造的な事も分からない人が教えてもプログラミングとは言えないと思う。 調べる事や組み合わせは出来るかもしれないが、知らべる為の工程や内容を理解して居ないで、組み合わせだけを教えてもプログラミングとは言えない。 それでは創造性は伸びないで、応用力は付くが、それをプログラミングと言うにはお粗末すぎる様に思う。 システム屋が長い私には、その場の繁栄だけを考えている人が作り上げた教科の様に思えてならない。

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