矢口竜二のブログ

2017/06/26(月)06:07

今年も戯言6月(愛する人を亡くする事は1・・)

今回の乳がんで亡くなった方に対して、お悔やみとその現実を受け入れた方の気持ちを察すると、何とも言えない自分が居る。 私の場合もブログでも書いたが、母を小学6年の初めに亡くし20代前半で、結婚まで考えた人を脳腫瘍で亡くした事を思い出してしまう。 私は二人の愛する人を亡くした事により、自分は何も出来ない事を痛いほど味わった。それを忘れる為に、私は仕事に逃げた部分があると、今でも思って居る。 愛する人の苦痛を見ながら、何も出来ない自分の虚しさを多くの人も味わっているであろうが、その心の痛みから抜け出す事の厳しさは、私にも分かるように思う。 私の場合は、母を尊敬していたし、愛していたのであるが小学6年では母を助ける事が出来なかった。 また、結婚まで考えた女性は、私が愛した人としては母と同じように思える、愛する人であった。 最初は彼女からの告白であったが、自分は学びたいので断った。これは、相当前にブログに書いたが、私の場合は母の死により女性に対する考え方が偏っていたのと、女性の考え方が理解出来ない少年時代を過ごして来たので、臆病になって居たのである。 また、貧しさから抜け出したい自分が居て、学んで自分がそれなりの地位に就きたいと思う気持ちもあり、断ったが彼女が涙を流したので、友達としてならと答えていた。 その頃で女性からの告白は殆どなかったし、告白は男性がするもので、女性がすると言う事がない時代であった。 その様な状況下で、付き合って行く内に彼女を好きに成り、彼女の魅力を感じ、彼女の境遇も聞いて、俺が守ってあげたいと、今、思えば生意気な事を感じていたのである。 彼女は母が日本人で、父が北朝鮮の方であり戦争当時に強制労働でつれてこられたのであろう。 私が付きあった頃には、彼女の父親はいなく、何処かに行ってしまって、母の手で育てられたが、あの頃の偏見は、今では考えられない状況で彼女も小さい頃から、イジメに合っていたのである。 そんな彼女であったが、明るい子であり、微塵も、その様な態度を見せないで、誰とでも気さくに話をして好かれる人であったので、私も癒される部分があったのである。 また、彼女は母親想いで、休日は必ず母親の所に行って居たし母に対しての感謝の気持ちを持っていたのである。 前に書いたが、彼女との付き合いは辞めた方が良いよと周りから言われて、彼女の国籍が北朝鮮であるからと言う事が分かり反対されたが、私は差別や偏見を子供時代に味わっていたのでむしろ反発して付き合っていたのである。 あの頃の、あちらの方に対する偏見は、今より凄いし、あからさまにイジメと取れる事を平気で行っていた。 私は彼女と自然に結ばれて、同棲生活をしていたのであるが彼女の異変に気が付かないで、仕事に没頭して、上を目指していた。 そんなある日、彼女が頭が痛いと言い出して、その痛さが収まらないので、夜間に病院へ連れて行ったが、診断は風邪との事でそのまま帰って来たのである。 だが、彼女は翌日に頭が割れそうに痛いと言って仕事も休んだ。彼女は仕事を簡単に休むタイプで無かったので、相当な痛さであったのであろう。 私は彼女を寝かせて仕事に出たが、私が帰って来た時に異変を感じたのである。 続きは明日・・・

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