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カテゴリ:癌
きのう母は岡崎大五の「添乗員騒動記」を読んだ。
その中に、春だというのに大雪のアトラス山脈を越え、メルズーガ砂丘まで強行軍で訪れる話があり、行ったことがあったので印象に残ったらしい。 いきおい、モロッコを旅したときの話になる。 母とモロッコを旅したのは97年。母が70歳のときだ。 ゴールデンウィークを含む1ヶ月、その中の一週間ほどをモロッコに費やしたのだったと思う。 数えてみると、母と旅した外国は15ヶ国。そのほかに何度か母はひとりで外国に行っている。 その中で、いちばん面白かった国を聞くと、やはりモロッコだという。 タイやネパールもよかったが、日本人にとっては文化が似ていてあまり外国という感じがしない。 中米はけっこう欧米化されていたし、欧米のことは日本にかなり情報が入っているので、カルチャーショックは少ない。 その点、モロッコは何から何まで日本と異なっていて、旅の好奇心を刺激するところだった。 このときの旅の第一の目的は長年、憧れていたスペインに行き、セヴィーリャの祭りを見ることだった。 スペインももちろんおもしろかったが、憧れていた分、期待はずれのことも多かった。 春だというのに寒かったのもある。 そこで予定を変更して暖かい国に行こうということになり、ジブラルタル海峡をフェリーで渡ってモロッコに行くことにしたのだった。 だからモロッコにはほとんど予備知識がなく、それもまた旅の印象をいっそう深めることになったのだと思う。 モロッコは、ガイドと称する客引きがうるさいことを除けば旅のしやすいところだった。 岡崎大五のそのときの旅と同じように、マラケシュからアトラス山脈を越えた。ワルザザードを経由してザゴラという小さな町に滞在した。 ザゴラから何キロか行くと小さいが砂漠がある。 そこらの安宿に荷物を下ろして外へ出るとじゅうたん屋が「サバク、サバク」と日本語を使って砂漠ツアーに勧誘する。ラクダに乗って砂漠まで行き、そこで一泊するのだという。 これはおもしろそうだと思って話に乗ることにした。 町から砂漠の近くまではクルマで行く。景色はどんどん変化していく。 だんだん植物がなくなっていき、岩がゴロゴロしているような場所から、その岩が石になり、さらに小石になり、土だけの場所へと変わっていく。 その風景の変化の妙は、日本では絶対に見られないものなので感銘を受けた。一口に砂漠と言ってもいろいろあり、それぞれの美しさがあるということをはじめて知った。 砂漠の近くで、ひとりの少年が2頭のラクダを連れて待っていた。 ラクダに乗り、目指す幕営地まで2時間。 ラクダはけっこう背が高い。背に乗るとかなり高度感があって緊張させられる。慣れるまで足が痛くなった。 やがていわゆる砂漠の中に突入した。 それまでの景色とも全く違う、どこか神秘的で荘厳な風景だった。 全身の細胞が沸騰するような気がした。 夕方になり、砂漠のあちこちにテントが張られて夕食の宴が始まっていた。 われわれのガイドの少年は、しかしさっぱりテントを張る気配がない。 ラクダに結わえ付けている荷物にもそれらしきものはない。 1997年4月23日の母の旅日記にはこうある。 ~~4時ごろラクダにのって出発。ラクダの背中はよくゆれる。ももがすれて痛い。2時間ほどで、とある砂丘のかげで泊まることになるが、砂の上にジュータンを敷いただけとは驚いた。砂漠は、まことにおだやかで暖かく、やさしい。こんな表情をもつ砂漠は想像していなかった。ラクダひきの19歳だという青年がたんねんにタジンを作ってくれて、星空の下で夕食。毛布をかけて寝る。星と月が輝いて静かで、ほのかに暖かくて、あまりよくは眠れなかったが、夜を満きつ出来てさいわいという所。ラクダはおとなしくて、のんびりした愛きょうのある顔~~ じゅうたんに毛布で砂漠に「野宿」したあの夜のことほど、強烈な印象に残っている旅の想い出はない。 もし神があと一度だけ旅のチャンスをくれるなら、知識がなかったためにあのとき行きそこねた、メルズーガ大砂丘を選ぶ。ランドローパーでも借りてオアシス街道を走るのだ。 見渡す限りの広大なアマポーラ群落、砂漠に沈む夕陽、羊を追う遊牧民・・・ 旅のささやかなエピソードのひとつにすぎないと思っていたあの体験は、いまから振り返ると幸福の絶頂だったのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
December 30, 2005 10:49:16 AM
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