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投資の余白に。。。

投資の余白に。。。

December 19, 2006
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カテゴリ:自叙伝
「家庭の幸福は諸悪の元」とは太宰治の言葉だっただろうか。

同じことを11歳の夏に思った。親が家を建てたときである。11歳の少年にとって20年のローン期間はほとんど永遠に思えた。

結婚して家庭を持てば家がいる。家を買うにはカネがいる。カネがなければ借りるしかない。ローンを払い終えるころには家はボロになっているだろう。また家のためにカネがいることになる。

これでは家のために一生働くようなものだ。そんな人生はまっぴらだと思ったのが11歳のときだった。

だから親のローン返済には最大限の協力をした。通学は徒歩または自転車。新聞配達や電話帳配達、電話消毒器の訪問販売、パン工場のアルバイトなどで小遣いを稼いだ。地元の国公立の大学でなければ行ってはいけないと思っていたし、実際、それで進学を断念した同世代はたくさんいた。

結婚を諦めれば、人生の選択に大きな自由が得られる。必要最小限だけ働いて好きなことに打ち込むこともできるだろうし、起業などの冒険もできる。歴史を見渡してみよ。人類の進歩に貢献してきた人間の多くは独身者だ。

根本のところでこう考えている男から女が去っていくのは当然だ。7年交際したクラスメートも、松坂慶子によく似た三越のエレベーターガールも、判で押したように25歳で去っていった。

当時は医学が遅れていて20代後半が出産可能年齢の上限だったのである(ウソ)

そんなとき現れたのが愛知県安城市出身で北大に入ったばかりのA子だった。

北大演劇部の女優のひとりが、とあるカルト宗教に入信した。脱会させたいので協力してほしい。

そう頼まれて出かけた喫茶店で、洗脳された人間特有の虚ろな眼をした女子学生の横にいたのが彼女。ほかに演劇青年特有の屈折した暗さを持つ男が数人いた気がする。そのうちのひとりはたしか宇都宮裕三とかいう名前だった。

深刻になりそうな場なのに、好奇心の塊がこの世に生まれてきたばかりといった感じの彼女からは、非常に陽性のキラキラとした「気」が発せられていた。よく笑う娘で、その豪快な笑いは彼女の姓をとって学内で「コジマ笑い」と呼ばれていた。美人ではなかったが、長澤まさみとデビュー5年前の井川遥を足して2で割った感じの愛くるしい女の子だった。


奇妙な魅力のある娘で、その奇妙さは、精神病の一種である境界型人格障害に由来していたと、あれから25年たった今では思う。

この病気については当時は精神科の医者も知らない人が多かった。今でも医学オンチの裁判官や検察官は精神病とは認めていないが、いわゆる分裂病のようなかなり激しい症状を伴う病気で治療法はない。ただし発作がなければ普通で、その状態はかなり長く続くので、親しい人間でも気づかないことは非常に多い。

しかし冷静に考えてみれば大学中退で定職にもついていない27歳の男との同棲を承諾する21歳の女など、アタマがおかしいに決まっている。

それでも人格障害の彼女との生活は2年半続いた。目を離すといつ自殺するかわからないので一緒にできる仕事を選んだが、症状が悪化し、しばしば自殺未遂を繰り返すようになって、とうとう匙を投げた。

共倒れするよりは、自分ひとりで生きようと考えたのである。この判断は正しかったと思う。株のロスカットと同じで、ダメなものはダメと一日でも早く見切りをつけるべきなのだ。2年半も引きずらず、もっと早く決断するべきだったが、それにはまだ人生経験が乏しすぎた。

キチガイと暮らしてよかったのは、キチガイという差別語を堂々と使える資格を得られたこと、社会規範や道徳の刷り込みという一種の「洗脳」から自由なのはキチガイだけだということ=つまりこうしたものを疑いなく信じている「正気」の人間はみなキチガイよりキチガイだということがわかったことだ。

ついでに言うと、精神科の医者にはかなりの割合でキチガイがいると思う。

キチガイがキチガイを診ている光景は、これはもうユートピアかパラダイスと言えよう。

彼女は料理が得意だったので、最後の一年はキャリアバンクという上場企業の前身が大家のビルの一階で喫茶店をやった。病状の悪化と共に店は続けられなくなり別れを決意した。運よく、バブルが始まっていたので買値より高く店が売れ、そのお金を含めて、別れるときに彼女に全財産を渡した。

こうしてまたひとりになった。無一文で迎えた30歳の誕生日の悲痛な気持ちは今も忘れられない。

こういう経験をしたので、結婚というか男と女が一緒に暮らすことの長所も短所も、離婚した人の気持ちもわかるようになったと思う。

この時期、同世代の友人たちは次々と結婚し、ほとんど例外なくバブルのピークでパンパンに借金をして家を買っていた。

妬ましくなかったと言えばウソになる。これで完全にアウトサイダーの道が決定したと覚悟をし、11歳の決意をもう一度固めることになった。すなわち、家を持たず、家庭も持たないで一生を送ろう。

無一文だったが、彼らのように借金はなかった。バランスシートで見ればオレの方が金持ちだという強がりだけがアイデンティティだった。

ほどなくしてバブルは崩壊し、最も親しかった友人のひとりは破産した。

あの屈辱と嫉妬の日々のあとで訪れたバブル崩壊は、ベートーヴェンの第九の合唱のように歓喜に満ちたできごとだった。

この歓喜の歌は、いまは小休止しているが、いずれクライマックスを迎えることになるだろう。

楽しみなことだ。

さて結婚の話だ。アメリカでは70代の恋愛や結婚がブームだという。社会のしがらみから解き放たれた高齢者は、考えてみれば最も純粋な恋愛ができる人たちだ(ちなみにその次に純粋な恋愛ができるのは既婚者だろう)。

ローンで家を買う必要がなく、子どももいないか自立してしまっていれば、何も思いわずらうことなく純粋な恋愛に邁進できる。

というわけで、11歳の信条はあっさり捨てることにした。

結婚希望者は財産目録に写真をつけてメールするように。追って面接日時を連絡する(笑)   


















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最終更新日  December 24, 2006 12:49:13 PM
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