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カテゴリ:クラシック音楽
夕べは素晴らしいコンサートを聴いてきた。
「交響曲第5番」といえば、昔はベートーヴェンの曲を連想したが、いまはマーラーの曲を指すようになった。それほど演奏頻度が高く、また人気も高い。つまり、かつてはベートーヴェンの交響曲第5番をどれだけ深く演奏できるかが指揮者の尺度だったが、いまはマーラーの交響曲第5番が指揮者の実力や音楽性を判断する「グローバル・スタンダード」になった。 そう考えるなら、マイケル・ティルソン・トーマスこそ現存する最高の指揮者のひとり、少なくとも「トップ10」に入ると考えていいと思う。 1990年から2000年までPMFの芸術監督をつとめたトーマスを聴くのは9年ぶり。バーンスタインの横で育ちのよいお坊ちゃんという風情を漂わせていた46歳のトーマスも、気がついてみれば65歳。2000年にPMFオーケストラを指揮したショスタコーヴィチの「交響曲第11番」も超のつく名演だったが、今回の演奏は以前とは格が違った。どこまでも自然で優しく、すべての音が生まれたばかりのようにみずみずしく響き、マーラーの複雑なスコアからきわめて立体的な音楽を引き出していた。 実は、トーマスは好きな指揮者ではなかった。近・現代作品では冴えた演奏をするものの、コンピュータ・グラフィクスのような人工くささがあった。彼が指揮するとオーケストラがブラスバンドみたいな音色になるのも疑問だった。 たしかに、65歳の今も、カリフォルニアのセレブらしく、どろどろした怨念とか、暗い情念とか、陰のある響きとか、そういうものを彼の音楽(作曲家でもある彼の作品も含めて)から聴くことはない。だから、同じマーラーでも2番とか6番はどうなのだろうとは思う。 しかし、この5番では彼の持っている資質がすべてプラスに働く。カリフォルニアの太陽に照らされたかのような、スコアの細部まで目に見えるような明晰さは聞き慣れたこの曲のあちこちに隠された仕掛けを「発見」する喜びを堪能させてくれたし、力みがとれ、決して煽ることなく音楽そのものに語らせるような演奏は、聞き慣れたこの曲が、たった今作曲され、そのインクが乾いていないかのように、つまりこの世に生まれたばかりのように聞こえたのだ。 トーマスがこの9年の「不在」の間に獲得した巨匠性は、曲が始まってすぐわかった。第一楽章、トランペットの陰鬱なファンファーレが終わり、小休止ののち、弦楽合奏が前拍で始まる第一主題を奏でる。その付点音符の二つの音を、さりげなく、しかし許容されるぎりぎり限度までいっぱいにゆっくりと歌わせたのである。 これはたいへんなことが起きる。そう直観したが、その通りになった。 特に素晴らしかったのは第4楽章のアダージェット。こんなに上品で気高く純粋な「アダージェット」は、録音を含めて過去に例がない。長いフレージング、一瞬の弛緩もない盛り上がり、しかし節度を保ったクライマックス・・・その指揮姿は、同じロシア系ユダヤ人だったバーンスタインが乗り移ったかのようで、ほとんどオカルトの世界に達していた。 前半に演奏されたのはトーマスのブラスアンサンブル曲「ストリートダンス」。陰のない独特の明るい叙情が魅力的な曲で、CDではよさはわからなかったが、実演では非常にチャーミングに聞こえた。きっと、野外で演奏したらもっと魅力的に響く曲なのだろうと思う。 PMFOメンバーの実力は年によって若干のぶれがある。今年は木管がいまいちな反面、金管に優れた奏者が多く、特にこのマーラーの5番でソロを吹いたトランペットの女性奏者はソリストとして立っていける実力の持ち主。ホルンのトップも素晴らしかった。このレベルになると、ベルリン・フィルやウィーン・フィルのトップと遜色ないか、ひょっとすると凌駕している。 マーラーは対抗配置による演奏。10年以上前にマーラーの交響曲第1番をやったときは通常配置だった。飽くことのない作品研究の成果が演奏にも反映されていたと思う。 ブラボー、トーマス。ずいぶん待たされたが、待った甲斐はあった。ウィーン・フィル定期常連メンバーへの登用は-ウィーン・フィル首脳がバカでなければだが-火を見るより明らかだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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