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カテゴリ:マリア・カラスに恋をして
マリア・カラスの命日だったのだ。 マリア・カラスが死んで32年になる。53歳で死んだから、生きていれば85歳になっていたはずだった。 オペラの世界ではBC.AC.という言い方がある。ビフォー・カラス、アフター・カラス。カラス以前、カラス以後。キリストにたとえてのことだが、たしかに、オペラを復活し永遠の生命を与えたのはカラスであり、カラスがいなかったら、オペラは死滅しないまでも、日本の長唄程度のプレゼンスにとどまっていただろう。 今年はだからカラス暦32年というわけで、これはグレゴリオ暦やイスラム暦や皇暦などと別格の神聖な暦だ。 カラスの死の年である1977年に、宇宙探査船ボイジャーが打ち上げられた。その中には、地球外生命体へのメッセージとして「ゴールデンレコード」が収められ、クラシック音楽ではたとえばカール・リヒターやグレン・グールドのバッハが収められた。 わたしは、ある芸術作品を評価するとき、「地球外生命体」、あるいは人類が滅亡したあとに地球に現れる新しい知的生命体につたえる価値があるかどうか、というのを第一の基準にしている。 ボイジャーのゴールデンレコードの選定委員会は、致命的な失敗を犯したと思う。なぜなら、そこにはレナード・バーンスタインのマーラーなどと共に、マリア・カラスが選定されていないからだ。 プッチーニのオペラ「トスカ」の第2幕に、「歌に生き、愛に生き」(ヴェッシーダルテ、ヴェッシーダモール)というアリアがある。ヴェルディの「椿姫」のいくつかのアリアなどと共に、このアリアにおけるマリア・カラスの歌唱は人類が「うた」というもので到達できる極北を示している。 このアリアにおけるマリア・カラスを超える歌唱は、最低でもあと1000年は現れないだろう。 名曲だから、いい歌手が集中して歌えばそれなり感動する。しかも、たいていの歌手はカラスの歌いまわしからかなり影響を受けている。コピーじゃないの、という歌手もいる。 しかし、それらとカラスの歌唱の間には、銀河系の端から端までを超えるくらいの距離がある。 歌には歌詞がある。ある歌に深く打たれるとき、歌詞の存在が大きいことが多い。 しかし、マリア・カラスが歌うヴェッシーダルテをはじめとするいくつかの歌は、歌詞の内容と関係なく、というか歌詞がわからなくても感動する。そういう歌というのはきわめて少ない。 言葉とメロディが一体となって感動を与える、それが歌というものなのだ。 しかし、カラスの歌はちがう。歌詞などわからなくても、人間の奥底にある感情が、そのまま「心から心へ」伝わってくるのだ。 残念なことをした。地球外生命体は、マリア・カラスの歌を聴いていれば、地球を侵略しようとは思わなかっただろう。マリア・カラスをボイジャーのゴールデンレコードに入れなかったばかりに人類はエイリアンに滅ぼされることになるかもしれない。 この30年、あたためつづけている夢がある。FM放送局を作ることである。 かつてはミニFM局しか作ることができなかったが、この30年の間に規制緩和(というか独占に対する規制強化)がすすみ、コミュニティFMを開局できるようになった。 インターネットラジオの隆盛と景気悪化で、コミュニティFMは危機にあり、破たんが相次いでいる。 わたしの住んでいる地域にはコミュニティFMはないが、開局をもくろんでいるグループがある。 どうせ何年かで破たんするだろう。 そのときはわたしの出番だ。 このコミュニティFMの資材を安値で買い叩いて開局するのだ。商業放送にはせず、CMはいれない。 300枚以上あるカラスの録音を、毎日ひとつ流す。局名はラジオ・カラスにする。早朝の放送開始時にはヴェッシーダルテをかける。 地球上のすべてをカラスの歌が覆うとき、エイリアンは人類とその文化の高度さに舌をまき畏怖と尊敬の念を抱きわれわれの前にひざまづく。 イエス・キリストにできるのはせいぜい人間の魂を救うことだけだ。 マリア・カラスが人類を救う日がいつか来るだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
September 17, 2009 12:19:32 AM
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