投資の余白に。。。

February 26, 2010
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カテゴリ:折々のバカ
ローマは一日にしてならず。バカは一日にして生まれない。日々の地道な積み重ねがローマを作ったように、バカも毎日少しずつ、長い期間をかけて作られる。実は人間には元々バカ遺伝子という遺伝子があるらしい。この遺伝子はがん遺伝子と同じで、ある条件の下で動き始め、ゆっくり広がり、最後には全身を侵す。

バカは生活習慣病だったのだ。意識してそれを回避しようとしない限り人間を侵していくのである。もって生まれた知能や才能はあまり関係がない。

それでは、何がバカを作るのか。

バカは馬鹿と書く。しかし、馬や鹿は人間とちがってバカではない。人間に従順だからといって馬や鹿をバカにするのは、当の人間がバカだからだ。

人間固有の生活習慣病であるバカは、いったい何が作るのか。知能が関係ないとすれば、何がバカ遺伝子を発動させるのか。

これはあくまで推測だが、それは言葉である。言葉が人間をバカにする。バカを作る。聖書にあるように、はじめに言葉があった。言葉を発明した人間は、この便利な道具の入手とひきかえに、バカ遺伝子を発動する宿命を負ってしまったのである。

小学生のころ聾唖の同級生がいた。同級生でただひとりバカではないと感じたのがこの子どもだったことは、このことを裏付ける有力な証拠だ。

たまに会う不動産会社の二代目がいる。親の株式資産は30億、ただしバブルの全盛期には1000億だったというまだ30代の人物である。

若いのに4人も子どもがいる。いや、6人だったかもしれない。

お金持ちの御曹司なのに謙虚で腰が低く、それでいて慇懃さがない。さぞ女性にはもてただろうと聞くと、結婚までに100人以上の女性と関係したと自慢するふうでもなく言う。その表情は、遊びのセックスなんてつまらない、よき母である妻以外の女性に興味はないと語っている。

それは正直な気持ちだろう。そしていつも、こういう話が続く。経営者として、社員を食べさせていく責任がある。大事なのは会社や利益の拡大ではなく、きちんと従業員に給料を払い生活を支えていけるように守りの経営をすることだ。

こう経営者としての姿勢を話したあとで、たいていプライベートな話にいく。子どもはかわいい。

長年の観察によれば、こういう、誰も反対できないあたりまえのこと、皮肉な見方をするなら陳腐なことしか言わない人間というのは、かなりの確率でバカになる。バカだからこういう陳腐なことしか言わないのか(バカが先か)、陳腐なことしか言わないからバカになるのか(言葉が先か)は検討の余地があるが、後者、つまり陳腐なことを言うからバカになるのだと思う。

もちろん、若いころは誰でも、何も考えずにこういうことを言ってしまうことはある。夕焼けは美しいとか、イタリア料理はおいしいとか、それ自体が新しい発見であるような人生の黎明期においては、こういう陳腐な見解の披露も許される。

何かの素晴らしさに初めて気がついたとき、それを口にするのは、誰も奪うことのできない特権ではある。

しかし、子どもがかわいい、というのは大のおとなが口にしていい言葉ではない。

たとえば、何かを一緒に食べていて、この料理はおいしい、と言うのは陳腐ではない。かわいい子どもを見て「かわいい」というのも同じだ。思わずついて出る言葉であり、正直な感想である。

何か感動や経験を共有しようというときは、ただ感想を述べる、あるいは述べ合う、それでいい。

しかし、ある程度の人生経験を積んできた大人が決して言ってはいけないのが、たとえばある料理を「おいしい」、ある音楽を「美しい」、ある映画を「面白い」と言った言葉で評することである。感想ではなく批評が求められている局面で感想を述べてしまうのは、精神が幼稚であり、社会性や公共性を欠いているからだ。

子どもがかわいいのはあたりまえだ。他人の子どもでさえかわいいのだから、自分の子どもならなおさらだろう。あたりまえのこと、誰でもがわかりきったことをことさらに言葉にするのは、それ以外に何も発見できないからにほかならない。

その言葉をきく人がどう思うかを考えるなら、軽率にそういう言葉は口にできないはずだ。なぜなら、子どもをもたない人生を選んだ人、子どもに恵まれなかった人を傷つける可能性があるからだ。

精神的に幼稚で、社会性や公共性を欠き、他人に対する想像力がない人間。こういう人間をバカと呼ばずにいられない。

わたしの母は教師だった。ある時、自分が担任をしている子どもの方が他のクラスの子どもよりかわいらしく感じる。それはとても不思議だと話したことがある。

これは、日常的に慣れ親しんでいる子どもの方をかわいらしく感じるという人間の性質への洞察を含んだ発言であり、「自分の子どもはかわいい」と、他人にとってはどうでもいいことを偉大な発見であるかのように語るのとは大違いだ。さすがにわたしの母だけのことはあると思ったものである。

その一方、年長の従姉が「家庭の幸福より素晴らしいものはない」と語ったことがある。これも批評すべきところで感想を述べた例だ。その場にいた独身のイトコは全員が困惑した。それから約10年後、彼女は夫と不仲になり子どもからも疎んじられ「女は三界に家なしというけどほんとうだわ」と嘆いてみせたが、誰も同情しなかったのは言うまでもない(笑)

気をつけなければいけないのは、二代目やこの従姉のようなことを言うと、バカ遺伝子が発動し、繰り返しこういうことを言うことでバカが加速していくことである。

他人に好かれようと思うと、どうしてもつまらないことを言ってしまう点にも気をつける必要がある。つまらないことを言うとつまらない人間、つまりバカになっていく。斎藤孝ふうに言えば、コメント力のない人間、あるいはコメント力を磨こうとしない人間はバカになっていくのである。

コメントで大事なのは人と同じこと、抽象的かつ非本質的なことを絶対に言わないことである。子どもがかわいいというのは、人生で大事なのは愛であるといったたわごとと同じで、抽象でしかない。それを言うなら、たとえば「子どもは地の光」(クセナキス)といった具体的なイメージ喚起力を持った言葉で表現すべきなのだ。

もう一つ大事なのはウィットだ。「長寿と健康の秘訣は?」という陳腐な質問に「わたしは慎重に両親を選んで生まれてきた」と答えた人が、「なぜ音楽家になったのか?」という質問に「音楽家になったのではない。音楽がわたしを選んだのだ」と答えた人がいたが、ウィットのないコメントをしているとバカが全身にまわる。

あたりまえのこと、誰でも言いそうなことしか言えないなら黙っていればよい。そして人の話をよく聞け。聞き上手になれ。そして、相手の話す内容、コメントが表現の域に達しているのか、それとも幼稚な感想にすぎないのかをよく考えながら聞くことで、少なくともバカ識別力は身につけられる。

文章を書くのは、本来、思考力をアップする最高の方法である。しかし、ブログのほとんどは、そういうベクトルで書かれてはいない。何かを発見しようという意志も、何かを伝えようという情熱も欠いた空虚なひとりごとでしかない。これでは文章を書くほどに思考力を減退させるばかりだ。

くだんの二代目には、よく会うことになりそうだ。陳腐なことしか言わない、言えない人間の全身にいつバカの毒がまわり、それが何をもたらすかはしっかり見届けて教訓にしたいと考えている。






最終更新日  February 27, 2010 03:15:43 AM
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