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投資の余白に。。。

投資の余白に。。。

March 4, 2010
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昔書いた文章をリライトするのは飽きた。飽きたのでどうしようかと思っていたところで許光俊「世界最高のクラシック」を読んだ。

26人の大指揮者の経歴や特徴を簡単に紹介し、その代表的な録音について述べているこの本がユニークなのは、書名にある通り「最高」ということにこだわっている点にある。

許光俊に限らず、ひとりの人間を深く揺り動かし、大げさに言えば命がけで「最高」と言わしめるもの。最高と叫びたくなるもの。もっと言えば、クラシック音楽という括りの中で「最高」というだけでなく、人類が作り上げたあらゆるものの中で最高のもの、そう言い切れるものこそ価値がある。大衆的な人気は関係がない。たったひとりでいい。ひとりでもいいから、ある人間を根本から深く揺り動かすものこそが普遍的な、永遠の価値を持つものなのだ。

そういうものについて語るに足る年齢になっただろうかという疑いは残る。かつて素晴らしいと思ったものが実は大したことはなかったという例がないわけではないからだ。

しかし、人生で体験するであろうほとんどのことは体験した。はじめてヨーロッパで音楽を聴き歩いたときは、それまでの20年以上、主に録音とFM放送で作られた自分なりの音楽に対する価値尺度が根本から崩れたのを感じた。それを立て直すのに10年はかかったと思う。

元恋人との永訣、両親の死も経験した。そうすると、それ以前には聞こえなかったものが聞こえてきた。虚飾にすぎないものがわかるようになった。ひとりの人生の重みに耐えることのできない、「軽い」音楽には心を動かされなくなった。

許光俊の本は演奏家をトピックにして書かれている。だからここでは曲をトピックにして書くことにしよう。

前書き終わり

クラシック音楽は嫌いだし聴かないが、この曲のこの演奏だけは聴く。そう言ってからんできた男が二人いた。

ちなみにクラシック音楽はNHKがよく取り上げることもあって、また学校の授業で教えられるので反感を持っている人は多い。しかしそれはNHKや文部科学省の方針であってクラシック音楽に罪はないし関係がないのだが、坊主憎ければ袈裟まで憎いらしい。

男二人のうち、一人は古本屋の店主で、店ではこのCDしか流さない。一年中、これをかけている。一日に10回として年に3000回、開店20年になるから60000回は再生されているはずだ。

ひとりの人間をこれほどまでに虜にする。そんな例はほかに知らない。

もうひとりの男はイラストレーターだった。わたしの文章にイラストを描くことになり、打ち合わせのために会ったのだが、わたしをNHKや文部科学省の手先とみなしてからんできたのだった。売られたケンカは買うことにしているので、場所を居酒屋に移してバトルを続けることにした。

居酒屋代を自腹で払ってケンカを売る、こういう豪気な男は少なくなった(笑)が、バトルはあっけなく終わった。クラシック音楽愛好家と評論家がいかに下らない存在か、その証明にあげようとしたこのCDについて、その音楽と演奏の素晴らしさを「自明のこと」として語ったところ、この男はあっさりわたしの軍門に下ったのだった。

女にはわからないだろうと思う。自分に本気でケンカを売ってくる、そういう熱と豪気のある人間こそ友人に値するのだ。しかしそれにしても、あのときはもっと高いものを注文するんだった(笑)

この二人の男のような男は、世界中にたくさんいるにちがいない。それほど、この曲のこの演奏は新鮮で、時間がたつにつれますます鮮度を増すような気さえしてくる。

バッハが1740年ごろに作曲した「ゴルトベルク変奏曲」は、鍵盤楽器のために書かれた最高の音楽である。たった8つの音からなる低音のカノンの上を優しくシンプルなメロディが舞い、全体はこのアリアに基づく30の変奏かならなる。最後に最初のアリアが繰り返されて終わる。

長大な曲だが30の変奏は1~15変奏と16~30変奏に分けられる。後半にいくほど雄大さと華麗さを増し、しかもそれと同時に音楽が真実味を増していく。ふつうはこれは相反しがちなのだが、この曲では鍵盤の上を指がとびはねるほどに、音それ自身が、まるで子猫の踊りのように悦ばしく乱舞していく。

バッハの曲は後半にいくほどふくらむ、そういう印象のことが多い。この曲ではその秘密の一端をかいま見ることができる。というのは、第3変奏から第27変奏まで、3曲おきに「カノン」が置かれているのだが、第3変奏では同音のカノン、第6変奏では2度のカノン、第9変奏では3度のカノンというふうに、あとでおいかけるカノンの音程が広がっていくのだ。この音程の広がりが、音楽がふくらんでいくような印象になるのであり、知的に計算しつくされた音楽なのである。

カナダのピアニスト、グレン・グールドが遺した二種のこの曲の録音、1955年と1981年に行われたそれは、生演奏では絶対に不可能な集中を実現している。実はグールドにはこの曲のライブ録音もあるが、50分にも及ぶ長大な曲では集中を維持できず、何カ所もの破たんがある。

その意味でこの二種のスタジオ録音は、単にグールドの演奏の記録ではなく、新しい芸術の誕生を告げるものだ。人間が電子技術との共同作業によって作り上げた最良の「芸術」がここにある。

この演奏を聴いていると、楽譜が存在していないような気がしてくる。グールドが即興でピアノを弾いたらそれがバッハのゴルトベルク変奏曲になった、そんな気がするのである。すごい説得力だということだが、この2種の録音がジャズ愛好家に好まれているのも、そんな即興性が感じられるからだろう。

この曲には、しかしグールドと比肩すべき名演奏がある。高橋悠治の1976年と2006年の2種の録音である。楽譜を見ながら聞くとわかるのだが、グールドが見落としている細部を、作曲家でもあるこのピアニストは正確に演奏している。この演奏を聴くと、グールドの特に81年の演奏はやや情緒過多で、旋律の表出にかたよっているように思えるかもしれない。

グールドや高橋悠治の録音があるのにこの曲を録音しようという無謀なピアニストはあとをたたない。が、それらはすべて無視してよい。ピアニスティックな名人芸を感じさせずにこの曲を演奏するのは、グールドや高橋悠治のように作曲もよくする演奏家でなければ無理な部分があるからだ。名人芸とは無縁と思える、キース・ジャレットやピーター・ゼルキンのような演奏家の録音も、リラックスしすぎていて聴くにたえないものになっている(写真はグールドと高橋悠治の最初の録音)。001.JPG002.JPG





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最終更新日  March 5, 2010 02:05:01 PM
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