投資の余白に。。。

2010/04/17(土)13:21

裏札幌案内-5-ベル

裏札幌案内(10)

この連載はこの店から始める予定だった。そうしなかったのは、この2年、道路拡幅にともなうビル建て替えのため、休業を余儀なくされていたからだ。 15日の再オープン当日にさっそく行ってきた。 地下鉄札幌駅から南北線で2つ目に「北18条」という駅がある。北大教養部(当時)が至近の駅で、このあたりは北大生や近くの女子大生向きの店が点在している。 30年以上前、この地域では珍しく夜12時をまわっても営業している店があった。ポツンとあかりがともっていてそこだけあたたかい感じがした。あんどんには「軽食・スタンド ベル」とだけある。喫茶店なのだろうか、それにしては深夜に及ぶ営業はいぶかしく、前を通り過ぎるだけだった。 その店は2階にあった。通りに面して細長い店の作りで、ある時は窓際までびっしりの客がいるかと思うと、まったく人の気配を感じないこともあった。客であふれているらしいときは、店の周囲に呆れるほど多くの自転車が放置されていたから、北大生が集団でコンパをやっていたのだろうと思う。 そういう時は避け、ひと気のなさそうな深夜におそるおそる行ってみた。1980年当時は、もの静かなマスターがひとりでやっていた気がする。ひとり女性がカウンターの中にいたこともあった気もするが、そうだとするとあれは先年亡くなったマスターの奥さんだろう。 先客は若い女性二人だったのを覚えている。ひとりは結婚間近で、もうひとりは絶世の美女だった。はきだめに鶴と言っては失礼だが、「昭和」の小物が並べられたお世辞にも洒落たとは言えない店にこんな美人がという驚きは30年たった今も鮮烈だ。あの時代はそういうことがよくあった。それがバブル以前の日本のよさだった。 あの時会った彼女ほど美しい女性をその後見たことはないが、いまは細かく棲み分けができてしまって、意外性のおもしろさはこうした日常からさえ消えた。 築50年くらいたっていそうな建物の、ゆがんだような階段をあがると左側にその店はあった。その崩れそうな階段をのぼる緊張感と、中に入ったときの安心感の落差がこの店の楽しさの一つだったので、それがなくなってしまったのは非常に残念だ。当時はたしか席料が100円でお通しが出て、ポップコーンが食べ放題。食べ物は持ち込み自由、飲み物もわずかの持ち込み料を払えばOKだった。再開された新店でも同じようなシステムは踏襲されている。 昭和そのものを体現したかのような店のたたずまいはリニューアルオープンで失われてしまったが、この名物マスターがいる限り「ベル文化」は健在だ。 以前と違うのは、昼間も営業するようになったことだ。昼間は近くで「エル」という喫茶店を経営していた女性が店を切り盛りすることになった。この女性がまた懐かしい感じのする人で、人生の半分以上を「昭和」の時代に生きた人だけが持つオーラを放っている。 北大出身者が親になり、息子や娘が北大に入る。そうすると、札幌に行ったらこの店をたずね、困ったことがあったらこのマスターに相談するといい、そんな風に子どもに言い含める親がけっこういるそうだ。2年のブランクで、そうした脈が途絶えてしまわないか心配だが、オープン当日の花やご祝儀の山を見る限り、そうした心配はなさそうだ。 唯一の心配は最近、酒をやめたというマスターの健康である。妻に先立たれた男の余命は5年と言われるが、その年数を超えた。深夜の労働は過酷な年齢になってきた。 だから、毎週のように行くにしても、早めに帰ることにしよう。当分は夜12時までの営業ということだが(火曜定休)、10時には切り上げたい。 この店はカウンターの常連客がおもしろい。一日300キロを自転車で走る美女と知り合ったのもこの店。30年前に同席した絶世の美女の消息もマスターから教えてもらうことができたが、こういう「奇跡」は、このマスターのどこか仙人のようなキャラクターなしには起こりえない。 繰り返すが、この店にとっての最大の不安はマスターの健康である。酒はやめたのにタバコをやめる気配がないのが最大のリスクだ。 以前の店の印象があまりに強烈なので、あえて新しい店の写真は載せない。こじゃれた店になってしまったので、大学生が地べたに座って酒をくみかわすような光景はもう見られないだろう。というか大学生は酒を飲まなくなったから、これからは中年から初老に差しかかった「元大学生」が以前とは段違いに高級な酒を持ち込んで飲む光景が主流になるのかもしれない。 軽食・コーヒースタンド BELL は北区北19条西4丁目(西向き、小泉学生マンション1階)。

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