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投資の余白に。。。

投資の余白に。。。

April 28, 2011
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東北へ行ってきた。秋田、宮城、岩手をまわる6泊7日の旅。フェリーでの一泊を除いてモビリオスパイクの車中泊。八戸や仙台行きのフェリーが欠航なので秋田が北海道から東北への入り口となる。

行く前にはかなり逡巡した。

2月には眠れないほどヘルニアの痛む日が続いた。それが3月に入り、ニュース画面に見入るうち痛みが消えた。そこでがぜん旅心がわいた。1ヶ月もすればかなり落ち着くだろうから、そのころ行こうと考えたのである。しかし4月12日に大きな余震があって道路事情が悪化。出発のタイミングを計る日々が続いた。

被災地へ行こうと思ったのは、報道が偏向していると感じたのがひとつ。現場を踏まなければ何もわからないに等しいという過去の教訓もあった。しかし最大の理由は、あの世の母が命じたからだ。

こういうとき、母ならどうするだろう、どうしろと言うだろうと考えてみた。そうすると、とにかく行ってこいと言ったと思ったのである。母は、マフィアによるウフィツィ美術館爆破のニュースを聞いたその足で募金の振込みに出かけるほど、すばやく行動するタイプだったから、家を流された遠戚もいる今回の震災には強い関心を持ったにちがいないのだ。

全国からボランティアが殺到する連休前に行くと決めた。見物人が集中する週末は避け日曜の夕方に石巻に入り、そこから北上することにした。

その前は念願だった温泉地をまわることにした。行ったのは、黄金崎不老不死、玉川、乳頭、田沢湖高原、小安峡、泥湯、東鳴子、鳴子。

気がついたのは、週末なのにお客が少ないこと。明らかに震災の影響で、岩手や宮城の客が全体の8割という秋田の温泉地は苦戦を強いられている。逆に言えば、東北の日本海側は訪れる人が少ない分、快適な旅ができるチャンスであり、しかもこうした地域を訪れてお金を使うことは被災地を助けることにもつながる。ドイツが不景気になるとイタリアは旅行者が激減し物価もディスカウントされるが、こういうときに旅をするのが賢い旅行者だろう。

これら有名温泉の中で、比較的知られていないのが小安峡温泉だと思うが、温泉街の川側のいちばん奥にある「阿部旅館」は名旅館のひとつではないかと感じた。宿のあちこちに、宿主のこまやかな配慮が行き届いている。宿のすぐ裏にはミニ地獄谷があり、急流に面した露天風呂の開放感もすばらしい。

泥湯の「奥山旅館」は露天風呂が二つある。砂利をしきつめた大きな岩風呂と木の風呂。別々の建物なので違う風景も楽しめる。宿の手前には泥湯がふつふつと湧き出ている地獄谷があり、なかなかの迫力だ。

玉川温泉では車中泊をしながら滞在している名古屋の男性と知り合った。この温泉は医者に見離された癌難民が訪れるところとして知られているが、この人も年に何度か来るらしい。5年通ううち、リンパの癌が消えたという。

温泉からパワーをもらったところで気持ちを被災地モードに切り替える。

津波災害はなかば人災だった

石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市、陸前高田市、大船渡市、大槌町、釜石市、山田町、宮古市を見て思ったのは、津波による被害はなかば「人災」だということだ。

もちろん、津波自体は災害ではない。単なる自然現象である。津波が災害になるかどうかは、人間の側の姿勢による。

町の入り口に国土交通省が設置した「津波浸水想定地域ここから」の標識がある。するとすぐに津波で壊滅した風景が目に入ってくる。残った家があると思うと「津波浸水想定地域ここまで」の標識。さすがに日本の官僚は優秀だと恐れ入った。今回の津波被害をほとんど誤差なく予知していたかのようだ。「想定外の津波」ではなく「想定内の津波」だったのだ。

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もちろん、大槌町のように津波浸水想定地域より上に津波が駆け上った例もあるが、想定地域すれすれのところからなら完全に避難できたと思う。

こうしたことを、マスコミは報道しないか、強調していない。しかし、これが今回の津波被害の最重要ポイントだと思う。

地域の人たちもこの標識を日常的に目にしていた。自分たちが「津波浸水想定地域」に住んでいるという自覚は、文字の読めない人を除いてみな持っていたはずだ。

人災というなら、責任者は誰かということになるが、それは強制移住策をとらず強い警告を発していなかった行政だけでなく、全員ということになる。いちばんの被害者は、津波浸水想定地域に住む親から生まれた乳幼児とペットだろう。こうした罹災に関しては、大人全員に責任がある。

見た範囲では、石巻、気仙沼、大船渡、宮古は復興が可能だと感じた。

しかし、そのほかは文字通り壊滅している。町を再建しようにも高台に土地がないところがほとんどだ。こうした地域に再び町を作るなど狂気の沙汰だ。漁業を再建しようにも、投資回収が見込めるのは牡蠣の養殖などに限られるだろう。これら地域の「復興」に協力することは、何十年後かにまた大量の被災者を生むことになる。地獄への道は善意で敷きつめられている。もし「善意の募金」が「復興」に使われるなら、われわれが加害者になってしまう。

したがって、復興可能な地域を除いての支援は人道支援にとどめるべきであり、「平等」にばらまくだけの日本赤十字など一般募金への協力はやめるべきだ。日本赤十字への批判は、親の代からの赤十字社員という人からもきいた。

今回の津波は、揺れから到達まで30分以上かかったから逃げる余裕があった。しかし、奥尻島の津波は数分で到達した。揺れを生じない「津波地震」もある。「逃げる」ことを前提にした津波対策は無意味であり、浸水想定地域には建築物を作らないのが唯一の津波対策なのだ。

女川や山田町は、壊滅はしていても、比較的原型をとどめた建築物が残っている。こうした町は、残った建物を観光資源にしてはどうかと思う。

世界には、グアテマラのアンティグアなど、倒壊した建物が重要な観光資源になっている町がある。ほとんど瓦礫になってしまったが、女川や山田町では、鉄筋のビルやガソリンスタンドなど形の残った建物が多く、街がさながら現代アートの美術館のようになっている。壊滅した町にもモニュメントとなるようなものはある。そういうものは残して、後世への戒めとすると同時に、観光資源化するのがベストだ。

石巻に着いたのは日曜の夕方だったから、反対車線は自衛隊車両と「瓦礫観光」を終えて帰る車で渋滞していた。こうした「見物人」たちを相手にビジネスを始めるくらいのしたたかさがあっていい。中には興味本位だけの人もいるだろうが、見物人の中にも、声をかけられれば何かしたい、そう思っている人はたくさんいるはずだ。そういう人たちを巻き込む度量の広さがほしい。限界集落への物資の運搬とか、頼めば喜んでやってくれるのではないだろうか。

この地域は風光明媚だ。日本海側に比べると太平洋側は砂浜が多く、三陸海岸のような、どこをとっても景勝地というような場所は少ない。災害がなかったとしても衰退する一方だった漁業より、こうした利点を生かして観光による再生を核とするべきだ。

風光明媚なこの地域でも、最もすばらしいのが宮古市にある浄土ヶ浜である。
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津波で少し風景は変わってしまったようだが、まだ十分に美しい。盛岡の高校生による瓦礫撤去が行われていて、大きな瓦礫はすでに集められていた。が、まだ小さな瓦礫は残っていたので、清掃作業に協力してきた。崩落したため通行禁止になっている遊歩道も歩いてみた。こちらは復旧には重機が必要だが、レストハウスは再利用可能な程度の損壊で済んでいる。高台のホテルは無傷で営業している。「浄土ヶ浜復旧」のための義援金を宮古市あてに送るのはきわめて有意義だ。
RIMG2346.JPG

大きな避難所をいくつか見たが、ほとんど老人しか残っていない。比較的条件のよい避難所でも、こんなところで何ヶ月も生活するのは残酷きわまりないと感じる。ほとんど炭水化物ばかりの食事では命が縮むばかりだろう。秋田や宮城の温泉地で短期から長期の避難民とたくさん出会ったが、仮設住宅など作らず、近隣都市のアパートやマンションを借り上げてどんどん移住させた方が彼らのためだ。

子ども嫌いのわたしだが、子どもがかわいいと感じた。それも、すでに社会にアダプトされ始めている中学生や高校生より、小学校高学年くらいの子どもである。彼らは、自分の身に降りかかった災難を、全身で受け止めているように思えた。年齢よりもずっと大人びた表情をしていて、時にはこちらがこわくなるくらいのシリアスな表情さえ見せる。

復興は、あたりまえだが各世代を指導する最良部分の結合によって行われるべきだ。しかし、「人災」を招いてしまったおとなたちにその資格はない。未来は、こうした子どもや、人生航路のまだ定まっていない、つまり何ものにもとらわれない自由な発想のできる若い未婚の女性たちによって決められるべきだ。

最初はそのあまりの被害の大きさに息をのむばかりだったが、少し冷静になって考えてみると、戦争の方がよほど大きな「災害」であり、人災の恐ろしさの前には天災のそれなど大したことはないことに気づく。しかも東北各地では停電が頻発していて地域全体に暗い影を落としている。原発事故による電力不足もこれまた人災だ。

災害の規模としては、福島第一原発事故の方がはるかに大きい。いま死者が出ていないというだけで、長期的には数百万人ががん死するだろうし、あらゆる産業にダメージを与えているし与え続けるだろう。

被災地訪問に目標を二つたてた。公的な支援が届く避難所ではなく、ダイレクトな支援ができるようなところを見つけること、この災難をばねに人間的に大きく成長し将来指導者になりそうな器のある子どもを見つけることである。

後者はかなわなかったが、母の生家を訪れたついでに隣家に寄ったとき、その人の大船渡の友人の家が周辺住民の避難所になっているという話をきいた。そこから大船渡までは車で一時間くらいである。その家は米農家なので米はたくさんある。そこで、その人にお金を送り、その人の米を精米して届けてもらうことにした。

この人が話し好きで、つい長居してしまい、家を流された縁戚と会う予定をキャンセルしてしまった。久しぶりにきく東北弁は、方言というより、東北を体現した文化そのものだと強く感じた。

秋田で得た情報に、由利本庄市のポール・ユーという英語教師が呼びかけている「フルーツ・ツリー・プロジェクト」がある。気仙沼の3つの避難所にゴールデンウィーク期間中、毎日、人数分の果物を届けるというもの。旅しているとわかるのが、野菜や果物不足の健康への悪影響。久しぶりに果物を口にすると、生き返ったような感じがするものである。主旨に賛同したので、このプロジェクトに参加することにした。

このプロジェクトの連絡先は080-5563-3547になっている。ボランティア秋田のホームページにも記載がある。

東北地方は、北海道よりも疲弊していると感じた。そこにきてのこの震災は致命傷になりかねない。東北産品を買うのもいいが、現地へ行ってカネを使うのが何よりも効果的だ。東北旅行を先のばしにしていた人たちは、今こそチャンスだ。どこへ行っても「個人の震災物語」を聞くことができるし、東北の人の、素朴な人のよさはまだ失われていないから、逆に救われる気持ちになることだろう。

帰ってきてみると、旅に出る前の逡巡がウソのように、必然の旅だったように感じられるから不思議だ。

旅にかんする最大のリスクは旅をためらうことだった。






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最終更新日  April 30, 2011 09:58:40 AM
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