投資の余白に。。。

July 23, 2012
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カテゴリ:自叙伝
このときの旅で持っていったのは「地球の歩き方ヨーロッパ」と「ヨーロッパ2000円の宿」というユースホステルのガイドブックだけだったので、ベルリンの詳しい地図や細かい観光名所は載っていなかった。そもそもベルリンという街には何の関心もなかったのでそれでよかったが、翌日は街を歩いてみた。

適当に歩いていると、真ん中がかすかに盛り上がっている道路があった。その道路の向こう側に酒屋があるので、歩きながらビールでも飲もうと店に入ってみた。

するとどうだろう。値段がびっくりするくらい安い。

道路のこちら側の店と比べて、同じ商品が2~3割も安い。しかも道路の向こう側は家が何となくくすんでいる。それで気がついたのだが、その道路は、「壁」があったところなのだ。3年前にベルリンの壁は崩壊し、壁は削られてなくなっていたが、かすかにその名残があった。壁はなくなっても東西の差が残っていたのであり、不思議な感じがした。

ベルリンには3泊するつもりで来た。小澤征爾の指揮するベルリン・フィルを3回聴こうと思ったのだ。しかし、2日聴いてじゅうぶんだと思ったので、3日目の夜はベルリン国立歌劇場に行くことにした。旧東ベルリン地区にある、旧東ドイツが国家的威信をかけて運営していた瀟洒なオペラハウスである。

しかしここでも「東」に遭遇した。生まれてから一度も笑ったことがないのではないかと思える無機的な女をドイツではときどき見かけるが、このオペラハウスのチケット売り場の老婆と、マントを着た客席係の若い女は、そろってこうした「無機的無情女」だった。こういう人間がこの世にいるかと思うとぞっとするくらい、人間性そのものの欠落を感じる。どうもプレミア公演なので一般席の売り出しはないということのようだったが、不親切というより「気持ち」を感じないのだ。まごついている客はぼく以外にもいた。日本なら、きょうは一般公演ではないので申し訳ありませんが入場できませんと「気持ちのこもった」アナウンスがされるところだが、そういう「感情」を感じさせるものがまったくないのだ。

これは融通のきかないドイツ人の民族性もあるだろうが、このオペラ・ハウスには「東」がまだ保存されていたということだろう。世の中はゆっくりとしか変わらないものなのだ。

3泊目の同室者は高校生の二人組だった。朝起きると、二人のうち一人が好奇心を抑えがたいという感じで話しかけてきた。驚くほどへたな英語で、どこから来たかとか聞いてくる。日本から来たがミュンヘンに滞在していると話すと、ミュンヘンのオータムフェスタがどうのとしきりに話す。「酔っぱらい」という英語がどうしても思い出せないらしく、話がつまるが、言いたいことはわかった。酔っぱらってアホみたいになる人間がたくさん出る、と言いたいようだった。

逆に、彼らの旅の予定を訊いてみた。すると、大学ノートを見せてくれた。そこには分刻みで旅の予定が書き込まれていたが、何でも計画しなければ気の済まないドイツ人気質は若い世代も変わらないのかと呆れた。天気だって、交通機関の事情だってどうなるかわからないのに、せっせと勤勉に旅をする姿は日本人とどこか似ている。

高校時代、船でしか行けないユースホステルに行こうとしたことがあった。しかし、港に着いてみると高波で欠航だという。バスで行く手もあったが、そうすると海岸を4時間以上も歩かなければならない。そうした長時間の歩行に抵抗のある同行者がいたので困ってしまった。常にセカンドチョイスを考えておくこと、予定を立てすぎるのは賢明ではないということを学んだ。

レイルパスの関係で電車には夜7時過ぎに乗ることにしていたから、出発の日は時間があった。宮殿を見たり一通りの観光をして、それでも時間があったので博物館と美術館に行くことにした。ルーベンスの絵があるというので見てみたいと思ったのである。

日本の感覚だと1~2時間もあれば余裕で見られるだろうと思ったが、途方もなく広い。全部見ていたら何日もかかりそうなくらいの展示物がある。「見る」「集める」ということに対するヨーロッパ人の執着というか執念を思い知ったはじめての体験だった。部屋から部屋へ走りながら移動しているうち、絵の印象などすっかり忘れてしまった。

ヨーロッパの美術館や博物館で大事なのは、どの部屋をカットするか、どの展示物をカットするかを事前に決めておくことだ。あれもこれもと見ていると、肝心の展示物にたどり着く前に疲弊してしまう。

ミュンヘンに戻る途中で寄り道をした。ロマンティック街道の宝石と言われる街、ローテンブルグに寄ることにしたのである。「危険」と言われる南行の列車に乗り込むと、博物館疲れですぐ寝込んでしまった。

朝起きると、オーストラリア人とおぼしき青年が青ざめた顔して通路に立っていた。寝ている間にウェストポーチの中身を全部とられたという。パスポートなど貴重品が入っていたらしく、車掌には話したが打つ手がなく呆然としていた。まったく気がつかなかったというから、もしかすると催眠ガス強盗にやられたのかもしれない。気の毒だったのでポケットにあった10マルク札を渡したが、彼のおかげで泥棒にあわずに済んだのかもしれないので後払いの保険料のようなものだ。

ローテンブルグはたしかに美しい街だった。メルヘンチックな旧市街には小さな店や雰囲気のあるこぢんまりとしたペンションやガストホフが趣味よく立ち並んでいる。駅で自転車を借りられたので短時間でくまなく回ることができた。ロマンティック街道のツァーはたくさんあるが、自転車で縦走するといいだろうと思った。

古風な町並みの中にとけこんだ地味で質素だが趣味のいいペンションを眺めていると、いかにも若いカップル向けな日本のペンション村の軽薄さを思い知らされた。嫌味でキザな言い方になるが、ホンモノを知ってしまうとキッチュなニセモノには興味を持てなくなるのだ。だいたい、高原にビーチサイドが似合うようなペンションを作ってどうしようというのだ。

いくつかのペンションを見てみたが、だいたい、シングルだと3000円、二人以上だとひとり2000円くらいで泊まれるようだった。

左側通行の交通ルールを見てわかるように、戦前の日本はヨーロッパの文化を取り入れていた。戦後取り入れたのは戦勝国アメリカの文化だ。アメリカ文化の本質とは大量生産の大量消費であり、日本人を大きく変えたのはアメリカ文化だったことが、このほんとうに宝石のように美しい街に来てみると痛感される。

ローテンブルグで驚いたのは日本人ツァー客の多さ。うんざりしたが、向こうもけたたましいブレーキ音をたてて走り回るぼくの姿を見てなんだあの日本人はとうんざりしたにちがいない。

ドイツの自転車は、ペダルを逆回転させることでブレーキがきくようになっている。そうとは知らずに、ハンドルについているブレーキを多用したものだから、キーキーとやたらにうるさかったのだった。

このあとミュンヘンに戻り、郊外にあるダッハウという街に行った。ダッハウもローテンブルグに似た美しい街である。しかしダッハウにはナチスの強制収容所があり、多くの政治犯やユダヤ人がガス室で殺された。

ローテンブルグやダッハウのような美しい街を作り上げたドイツ人、そのイメージと大量虐殺がどうしても結びつかない。もしかすると、こんなにも美しい街を作り上げる、その美的感性は大量虐殺を生む選良意識と一体のものではないのか、と疑ってみることもできる。

美しいものを見て美しいと素直に感動できない世界に生きるのは不幸なことだが、美しいものに無邪気に感動するだけの人間は、再び大量虐殺に加担していくことになるだろう。






最終更新日  July 30, 2012 12:11:55 PM
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