投資の余白に。。。

November 24, 2012
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カテゴリ:折々のバカ
急性期3週間、リハビリに励めば3ヶ月で軽快という医者の言葉通り、頚椎椎間板ヘルニアはほぼ収まった。指先のしびれはのこるが、iPADだとタイピングは最小限ですむ。リハビリをかねてブログを再開することにした。

10月22日午前。初キスの相手との36年ぶりのデートは横浜港を見おろすレストランだった。彼女は多忙なので4時間しかない。お互いの36年を話せば4時間などあっという間だ。だから自分のことはメールで送っておき、聞く側に徹することにした。

それでもなにせ36年ぶり。思い出話だけで終わってしまう可能性が高い。つぎに会うのは何年後になるかわからないのだから失敗できない。衆議院議長になった人物からレコード大賞の演歌歌手までいろいろインタビューしてきたが、これほど緊張したことはない。実のある会話は難しいかもと心配で眠れなかったほどだ。

しかしその心配は杞憂に終わった。

エリートサラリーマンの夫と5年前に離婚し27年間の結婚生活に終止符。別れた夫は結婚前はストーカー、結婚後はモラハラ男で彼女のあらゆる対外活動を抑圧した。それでも、単身赴任で海外駐在に出た15年前から音楽活動を再開。夫の帰国後、独力で離婚調停を申し立てた。自分の人生で最も嬉しかったのは離婚できたこと。娘二人は今年独立。去年12歳歳上の郷里のカメラマンと再婚したが一緒に暮らしたことはない・・・

ふつう女性がこれだけのことを話そうとしたら1時間や2時間ではすまないだろう。しかし彼女は1分30秒で話した。細部を問い返したのでモラハラ夫とのバトルだけで30分を要したが、食事が終わるころには核心点をあらかた聞き終わることができた。

隣のカフェに場所を移しての会話は、ひさしぶりに「会話のダイナミズム」を満喫できるものだった。

自分の知っていることを話すのは説明であって会話の入口にすぎない。自分のことを即自的あるいは逐次的に話すのはグチか自慢にすぎないケースがほとんどだ。

世間の「会話」の99%はこうしたグチか自慢、放言の交差でなければ情報交換にすぎないことをわたしはよく知っている。ここで「オヤジギャグ」を少しだけ擁護しておくなら、こうした会話ならぬ会話の不毛さを解毒する清涼剤としての作用を指摘しておく。

相手の言葉がヒントになって考えてもいなかったことを考える。その結果述べた言葉が相手の知性に核融合的な反応を起こしてさらに新しい考えを産んでいく。おたがいの知性を使って新しい考えや発見にいたる、これが会話のダイナミズムであり、そこにユーモアが加味されればこれほど楽しいことはほかにないといえるほどだ。

しかし、そうした会話が成立するのはごくまれだ。いくつかのきびしい条件が整わなくてはならない。

最も大事なのは相手の知性に対する信頼と尊敬、言いかえれば相手の言葉を虚心に受けとめひとまず耳を傾ける謙虚さである。カルト信者や特定のイデオロギーを崇拝する人間だけでなく、狭い価値観にとらわれ社会通念を疑ったことのない人間にはこうした謙虚さがないので一方通行の話しかできない。もとより会話は成り立ちようがない。

論点の提出も必須だ。というか、的確に抉出された論点の提出ができればその会話というか対話は成功を約束されたも同然だろう。

今回、その論点は彼女が提出してくれた。

その論点とは、最も純粋だったころ出会ったぼくたちが、長い年月の中でその純粋さをどう失い、ひきかえになにを得たかというものだった。

おたがいに小さくない挫折を経験したが、それでも最後まで残った自分を自分たらしめているもの。つまり自分にとって必然なもの、それにいつどのようにして気がついたか。それは今後の人生にどういう意味と作用をもたらすか。

そんなことを話しているうちに、共感や一致といった表面的なことではなく、大げさにいえば魂が融合したような感覚を味わった。親しくなった、その理由も思い出すことができた。それは音楽を感覚でなくできるだけ理論的にとらえようという性向で、それが他の同級生とは決定的に異なっていて惹かれあったのだった。そして、自分にとって必然であるようななにかのない人生を生きている人たちと付き合っていくのに必要なスタンスはなにかという話に発展していった。ひさしぶりに、ほんとうにひさしぶりに会話の醍醐味を堪能できた。

長くなったが、ここまではこれからの話の前置きだ。

充実した4時間のあと、ひとりで珈琲のおかわりをしながら思い出したのは、なぜか過去の不毛な「会話」の数々だった。

まず思い出したのはレナード・バーンスタインが1990年の夏に滞在した札幌郊外のログハウス・キャビンの経営者。リハーサルや本番はつぶさに見たが、日常のバーンスタインがどんなふうだったか知りたいと思って会ったことがあった。あのような大芸術は才能だけで生まれるわけがない。日常の行動のどこかにそのヒントがあるかもしれないとかんがえたのだ。

しかしこの時のインタビューは、デビューまもない国生さゆりのとき以上に不毛だった。二代目のこの経営者は、「すごい人だった」を繰り返すだけで、バーンスタインのどこがどうすごかったのか、語る言葉を全く持っていなかったのである。

1時間の間に聞き出せたのは、バーンスタインは朝起きると必ずテラスの椅子に座って瞑想していたという「情報」だけ。1時間に20回ほど力を込めて「すごい人」と語ったこの男の高そうなシャツとネクタイだけはおぼえている。

ここで「情報」という言葉を吟味してみよう。

人間は一日に億以上の情報に接している。そのほとんどを忘れてしまうが、大事なことは無意識のうちに取捨選択して記憶に残す。取捨選択するのは知性である。つまり情報とは知性によって選ばれるのであり、何を残したかは知性そのものを表す。情報とは知性であり、どうでもいいことを記憶に残すほど非知性的に、つまりバカになっていく。

米CIAの要員は全世界に数万人いて、本国に毎日レポートを送っている。その中から重要なものがA4一枚にまとめられて毎朝大統領の机の上に置かれる。それを読んだアメリカ大統領は、ときにわれわれの生死をさえ左右する決断をする。CIAは中央情報局と訳されるが、CIAのIはinfomationではなくintelligenceであることはよく知られている。直訳すると中央知性局なのであり、世界を動かしているのは情報ではなく知性、情報を数万分の一に圧縮したり選り分ける知性なのである。

このことは情報が知性であることを端的に表している。もっとも、米CIAのばあいはcentral atrocious(極悪非道な) intelligence agencyが適切な団体名であり、CAIAと略されるべきだが。

世紀の大音楽家と一ヶ月も接して「すごい人」という感想しか口にできない人間はバカ以外のなにものでもない。この経営者の会社がその後あっけなく倒産したのはあまりにも当然であり、こんな経営者に経営を付託していた株主も同レヴェルのバカにほかならないが、会話力のないバカと付き合うと大損するという教訓はよくかみしめておく必要がある。

もう一つ思い出したのは、前日に見た芝居の感想を知人にたずねた時のことである。感想をたずねているのに、その知人は延々とストーリーを話し始めたのだった。

映画や演劇の感想を話すとき、ある程度のストーリーを話すことはあっていいし、必要でもある。しかし大事なのは作者がその作品を通じて言いたかったことであり、原作との距離感はどうだったとか、それら総体を自分がどう評価するかである。感想をたずねた側は、その作品が相手にどのような影響を与えたかを推測し、体験する価値があるかどうかを判断する材料にするわけだから、ストーリーは最小限でいい。相手が高く評価するからこそ行く必要はないと判断することもある。「スター・ウォーズ」や「ロード・オブ・ザ・リング」を激賞する人が「つまらない」という映画はいい映画である確率が非常に高い。

こうしたことは、端的にいえば、時間を費やし金を払うだけの価値があるかどうかを判断する材料さえ手に入ればいいのだ。

36年の人生を1分30秒で話した元カノの例に照らすなら、2時間の映画や芝居のストーリーを語るのは30秒でも長すぎる。ストーリーと感想を合計して1分、どんなに長くても1分30秒が限度だろう。

こうしたことは失敗から自然に学んでいくことである。わたし自身、20歳そこそこのころは見てきたばかりの映画についてストーリーを含めて延々と語ってしまったことがある。話し始めて1分をすぎたころ、相手の目に退屈と失望の色が浮かんできたのを見てこうしたことを悟ったが、この手の失敗は誰でも何度かはやらかしてしまうものだ。大事なのはそうした失敗から学ぶことだ。

中高年になってもこうした失敗を自覚せず繰り返す人間を最近の日本ではKYともいうらしいが、そんな上品な言葉は必要ない。ただのバカと呼び身辺から遠ざけるべきだろう。

投資倶楽部の主婦グループと会ったときのことも思い出した。景気サイクルの現状とイラク戦争からどういう銘柄への投資が適切かという話をしたのだが、どうも話がかみあわない、というかこちらの話が相手に入っていかない。

しばらく話していてわかったのは、この人たちは自分が名前を知っていたり身近だったりする会社が「いい会社」だと思っていて、知らない会社は「悪い会社」か「あまりよくない会社」だと思い込んでいるということだった。

要するに、この人たちは新しいことを学ぶ気持ちがなく、自分たちの意見に「共感」しそれを補強する意見を聞きたいだけなのだ。

だったら最初から講師など呼ばず、 仲良しグループで共感ごっこをしていればよい。「共感」で儲けられるほど株式投資も、世の中も甘くない。

「同情するなら金をくれ」という「家なき子」のフレーズがあれだけ人口に膾炙したのは欺まんを暴露しているからだけではない。論理なき感情、論理の獲得とそれにもとづいた行動をともなわない「感情」の告発と断罪を含みもっているからだ。   

言葉を共感ごっこの道具に貶めて恥じない人間がバカであること、共感や同情を行動に結びつけることのない消極性がバカの淵源であることは、稿をあらためて論じるべきテーマかもしれない。

それにしても初キスの相手の会話力には驚いた。合唱団を四つ指導し100人以上の女性と恒常的に関わりを持つ中で養われたのかもしれないが、そもそもとても聡明だったのだ。そんな彼女とつまらない意地の張り合いで別れてしまったぼくは日本一のバカかもしれない。

そんなぼくにバカ呼ばわりされる人間に、生きている価値があるだろうか?






最終更新日  December 9, 2012 11:45:35 AM
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