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カテゴリ:映画
1963年に狭山市で起きた女子高生殺人事件で警察に犯人とでっち上げられた部落民、石川一雄さんとその妻早智子の日常を撮したドキュメンタリー。2013年、金聖雄監督の作品(105分)。
狭山差別事件・差別裁判に対しては部落解放同盟を中心に激しい糾弾活動が行われ、無期懲役判決を出した裁判官(寺尾正二)に対して社青同解放派がテロを敢行したこともある。1970年代後半は全国のほとんどの大学に部落研があった。狭山闘争と三里塚闘争は学生運動や労働運動・市民運動の二大テーマだった。両者は権力犯罪の一点で同一の根を持つ。 警察・検察・司法が一体となった悪質な権力犯罪はあとをたたないが、その中でも狭山事件は際だっている。なにしろ警察が証拠を捏造した完全なフレームアップだ事件だからである。そこには真犯人を取り逃がした警察のメンツといった些末なものではなく国家意志が感じられる。布川事件や足利事件で犯人とされた人たちは再審で無罪となる中、石川一雄さんに対しては再審請求が棄却され続けているのもその感を強める。 逮捕から31年、上告棄却から17年たった1994年、55歳の石川一雄さんは仮出獄となった。仮出獄にはなったが、無罪となり名誉回復と賠償がされたわけではない。 この映画は、74歳になった石川一雄さんと、96年に結婚した早智子さんの日常を撮したもの。もちろん裁判所前での抗議活動やいまも脈々と続く解放同盟や支援者たちの「現地調査」といった場面はあるものの、基本的には二人の淡々とした日常をうつす。石川さんの兄夫妻などにもある程度密着し、密着した相手にしか見せないであろうプライバシーや語らないであろう本音を見聞することができる。 なんといっても印象的なのは毎日ジョギングに励み、健康に留意した食事をし、「ケニアに行ってみたい」と語る石川さんの明るさであり、早智子さんの芯のある人間性だ。 自分が同じ目に遭ったらと考えると、たぶん出獄したら般若のような顔になり復讐の鬼と化すだろう。でっち上げに加担した罪の重い人間、もしその人間が死んでいたらその親族と序列を作ってひとり、またひとりと絶対にばれない陰湿なやり方で「等価報復」していく。陰謀をめぐらし、完全に自分の軍門に下って復讐の伴走者となった人間以外の「犯人とその親族」から30数年分の人生を奪い取ることに胆力・知力のすべてを動員するだろう。 布川事件では、再審で無罪が確定したあとも、「あの二人が犯人だ」と公言する検察官がいる。こうした輩は無名の市民による非暴力直接行動(素手でなぐるくらいは暴力とは言わない。ガンジーの見解)で社会から抹殺されることがのぞましい。 明るいのは石川さん夫妻だけでなく、彼らを支えた人々や足利事件の菅家さん、布川事件の桜井さんといった人たちにも共通している。正義が自分の側にあり、それを手放さず司法権力と闘い続けた人だけが持つ人間的な風格があり、それらに触れられるのがこの映画の最大の意義だ。 それにしても映像の力のすごさをあらためて思う。狭山事件についての本やパンフレットはこれまでに数十冊は読んだが、「疑われてもしかたがない事情もあったにちがいない」とどこかで警察やその見解を補強したれ流すだけのマスコミに同調する自分がいた。 しかし、この映画で見る「冤罪被害者たち」の人間性、ストイックでまっすぐな人柄には、彼らが「政治犯」ではなく一介の市民に過ぎなかっただけに変な話だが「日本人としての」希望さえ感じる。 日本の国家権力は、国民すべてを冤罪殺人事件の犯人としてでっち上げるべきだ。そうすれば太平楽にうつつを抜かす日本人も国家権力の本質にめざめて革命に立ち上がるだろう。 6月27日には石川夫妻が札幌に来るというので会いに行くことにした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
June 9, 2014 01:20:53 PM
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