全て
| カテゴリ未分類
| クラシック音楽
| 読書日記
| 癌
| 旅
| YOUTUBE
| 映画
| 買い物
| 折々のバカ
| 自叙伝
| 健康
| 音楽のある部屋~三ツ星クラシック
| アジテーション
| 身辺雑記
| 投資関連
| マリア・カラスに恋をして
| 裏札幌案内
カテゴリ:クラシック音楽
レーニンとトロツキーが率いるボリシェビキによって、世界革命の端緒となるロシア革命が起きたのは1917年である。このロシア革命によって、人類の歴史は、資本主義社会から社会主義社会へと向かう過渡期に入った。
この世界革命の端緒としてのロシア革命は、ドイツ革命の敗北(1919年)によって世界革命への発展を阻止され、スターリンによる世界革命の放棄=一国社会主義によって挫折を余儀なくされた。 しかし、人間の本質が苦痛より快楽を、貧しさよりは豊かさを求めるものである以上、1%が富を占有し99%が疎外と貧困に陥る資本主義から、相互扶助を基礎とした社会主義への移行は歴史の必然である。この歴史の必然に反対し敵対するものを反動といい反革命という。 これが過渡期社会論のイロハのイだ。 余談だが、国民国家の成員であることに疑問を持たず「国民」意識にとらわれている人間、すなわち世界共和国=世界ソヴィエト(=労働者・農民・兵士評議会)社会主義共和国の建設を志向しないすべての人間は反動であり反革命だ。つまり、アメリカから北朝鮮にいたるすべての国家に反逆しない国民は反動であり反革命といえる。実はこの地球は反革命で満ち満ちている。 1906年に生まれたショスタコーヴィチが1961年に作曲した交響曲第12番は「1917年」のタイトルを持つ。4つの楽章にはやはり「革命のペトログラード」「ラズリフ」「アヴローラ号」「人類の夜明け」という、ロシア革命にちなんだタイトルがつけられている。これは1957年の交響曲第11番「1905年」も同様で、スターリンの死とフルシチョフによるスターリン批判がこの時期(1956年)であることと合わせて、ショスタコーヴィチの作品の中でも特別な意味を持つ作品ではないかと思っていた。 というのは、録音できいてもその意義を理解しにくかった交響曲第11番を、実演できいてショスタコーヴィチの真意というか肉声をきいたような衝撃を受けたことがあるからだ。だからどうしても交響曲第12番を実演できいてみたかった。 しかしこの曲はめったに演奏されることがない。この曲を、新聞配達でためたお金で買ったアンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団のLPで知ったのは1973年、まだショスタコーヴィチは存命していた。それから40年以上たってやっと実演に接する機会をもてたが、たとえそれがアマチュアによる不満足な演奏であっても何かがつかめるのではないかと期待した。 この2曲は体制迎合的とされ評価は低かった。しかし、「ラヨーク」や「賭博師」を参照するまでもなくショスタコーヴィチは反ソ反スターリンなのは明らかだ。その意味、つまり自国政府に対して反逆していたという点でショスタコーヴィチは革命的だった。 その「革命的」なショスタコーヴィチがスターリンに迎合するような音楽をスターリンの死後、いわゆる「雪どけ」の時代に作曲するはずはない。 かろうじて「音楽」のかたちをなしているにすぎないアマチュア指揮者(川越守)とオーケストラによるこの曲の演奏をきいてわかったのは、11番と12番が二つでひとつの作品であり、同じ事柄を別の面から描いているということだった。 第11番は、1905年の第一次ロシア革命をたたえるふりをした、スターリン主義弾劾の音楽である。そこで追悼されているのは革命の犠牲者ではなく(あるいはそれだけではなく)、スターリンとソ連共産党によって死に追いやられた数千万の民衆である。その追悼のあとで、スターリンの墓をあばき、スターリンの追従者を弾劾せよとショスタコーヴィチは絶叫している。 第12番は、スターリンの一国社会主義に歪曲される以前の「世界革命の端緒としてのロシア革命」とその革命に立ち上がった無名の民衆をたたえる素朴な音楽であり、ここでショスタコーヴィチは自分が反スターリン主義者であっても反共主義者ではないと声明しているように思える。言いかえれば、革命に立ち上がった民衆の純情と勇気こそがこの世で最もすばらしいものだと高らかに宣言している。 1906年生まれのショスタコーヴィチは1917年には11歳だった。11歳といえば大人の一歩手前であり、同年代の少年が警官に射殺されるのを目撃したり、ロシア11月革命の時代の雰囲気を直接知っている。 つまり、革命に立ち上がった民衆の立場からレーニンの革命を擁護し賛美しているのが12番であり、革命の成果を簒奪したスターリンによって殺戮された民衆の立場からスターリンを弾劾しているのが11番ということだ。 こういう「解釈」でこれらの曲をきく必要はないにこの解釈を人に押しつけるつもりもない。ただの音の連なりである純粋器楽交響曲から、わたしはそういうショスタコーヴィチの「声」をきいたというだけだ。 演奏では小太鼓奏者が図抜けてすばらしかった。ほかの打楽器奏者に音色・音量ともに主体性を感じなかったのと対照的。 前半はモソロフ「鉄工場」とコープランドのバレエ組曲「アパラチアの春」。「鉄工場」の演奏は微温的にすぎ、「アパラチア」はもっとのんびりした雰囲気があってもよかった。 1500人の会場(札幌市教育文化会館大ホール)に入りは5割弱。コーラスだけでなくオーケストラも高齢化はすすんでいる。プロのオーケストラには定年があるがアマにはない。市場原理もはたらかない。 ショスタコーヴィチの交響曲第4番を日本初演したのはアマチュア・オーケストラで1986年のことだった。日本でも千を軽く超えるアマオケの存在意義には考えさせられる。この調子で入場者が減っていったら活動の継続は難しいのではないだろうか。 交通整理だけでも格好がつくのがクラシック音楽ではあるが、解釈不在の演奏はこれら20世紀音楽ではともかく、それ以前のプログラムだと厳しいものがある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
June 3, 2014 01:50:59 PM
コメント(0) | コメントを書く
[クラシック音楽] カテゴリの最新記事
|
|