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投資の余白に。。。

投資の余白に。。。

June 3, 2014
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カテゴリ:自叙伝
もし神に、「ちょっと都合でドイツか日本のどちらかをこの世から消すことになった。どちらを消しどちらを残すか、一ヶ月の間に決めてくれ」と命じられたとする。

ぼくならこう答えるだろう。「一ヶ月も考える必要はありません。日本を消し、ドイツを残すべきです」。そう思うのは、1992年にミュンヘン郊外のダッハウである光景を見たからだ。

20年以上も前のことはどんどん忘れていく。ただ、忘れるだけではない。忘れると同時に、重要なことが記憶の海からブイのように浮上してくる。気をつけなくてはいけないのは、どうでもいいことの順に忘れていくのではなく、大事なことも忘れていくということだ。人生の年輪を加えるにつれ、大事なこともかわってくる。かわってくるから、10年前には覚えていたことも、20年後には忘れているかもしれないのだ。

それすらも、忘れてしまっているのだから、思い出しようがない。仮に記録していたとしても、それはそのとき印象に残ったことを書きとめているだけだから、重要なことは記録せずにいるかもしれない。昔の日記を読み返して恥ずかしさを感じない人は少数だと思うが、それはつまらないことにとらわれていた自分を見つけるからだ。新聞のスクラップを読んだときも同じ。なぜこんな意味のない記事に着目したのかと、幼稚だった自分を思い知らされることになる。

とはいえ、一般的には時間がたつほどに瑣末なことから忘れ、重要なこと、驚きや感動など衝撃を受けたことが浮上してくるものだ。

ミュンヘンを歩くときはいつも彼女が一緒だったので、よけいにミュンヘンのことは覚えていない。自分で地図や路線図を読んで周囲の景色を記憶しながら移動するのとちがい、他人まかせだと全く記憶に残らない。個人旅行以外は旅行ではないと思うのはそういうわけだ。

そもそもミュンヘンという街にはほとんど興味がなかったし、ナチス党結党大会が行われたというビアホールも一度行けばもういい。

そこでダッハウの強制収容所跡に行ったのだが、骸骨があるわけでもないし、観光客用の英文の説明を読んでもホロコーストの残虐さを感じられるわけでもない。アラン・レネの「夜と霧」などの方がナチス・ドイツの蛮行をリアルに感じられる。

しかしダッハウに行ったのは賢明な選択だった。訪れたとき、ちょうど教師に引率された高校生とおぼしき集団が見学していたからだ。

その集団のたたずまいが印象的だった。日本の高校生とは集団の放つ雰囲気がまったくと言っていいくらいちがっていたのだ。ただたんに行儀よくおとなしく聞いているのではなく、さりとて自民族の蛮行に怒ったり感情的になったりするのでもなく、まずかんがえるための客観的な知識をニュートラルに得ようといった非常に理性的な態度が感じられたのである。引率教師の説明は一言もわからなかったが、教師と生徒の両方に、まず事実を知り、事実に即して判断するというあたりまえの知的誠実さ、徹底した理性を感じたのだった。

戦後のドイツは、ナチスによるホロコーストを正面から裁き、切開して教訓化している。現在でもナチスの戦犯を追い続けているし、ナチスの蛮行を擁護したり虐殺の事実を否定することは法律で禁じられている。犯罪なのだ。

ドイツ中央銀行がインフレファイターなのはファシズムがインフレから生まれた過去を教訓化しているからだ。

ひるがえって日本はどうか。戦争の最高責任者は沖縄と引き換えに保身に走っただけでなく、責任を問われることなく天寿を全うした。国会議員はおろか総理大臣にさえなった戦犯もいる。

南京大虐殺を否定したり、従軍慰安婦を「どんな国でもやっていた」と擁護する人間が準国営放送局の長になったりしている。そういえば、買春観光を「ODAだ」と言い放った自殺したヤクザを父に持つ政治家もいる。

人間は誰でも失敗する。判断を間違う。それが国家であれ政党であれボランティア団体であれ、人間の作った組織であるかぎり必ず間違いを犯し失敗をやらかす。人間の知性や感性は歴史や環境に規定された限定的なものだからだ。

たとえ善意から生まれたものであっても、いやそうであるほど致命的ともいえるひどい失敗をやらかすことには最大限の注意が必要だ。オウムの一億人ポア計画は善意から生まれている。

善意は相対化、客体化の契機をもちにくい。

逆に、人間は失敗や間違いをきちんと認め、その原因を究明し教訓化することで成長していく。失敗は成功の母と言われるが、成功や成長は失敗を直視し分析することによってしか得られない。もっと言えば、失敗の原理的・哲学的省察こそが成功の母なのだ。

しかし、戦後を概観してわかる通り、日本人にはこうした省察を行う能力がない。DNAに重大な欠落があるとしか考えられない。日本にあるのはアツモノにこりてなますを吹くたぐいの愚劣な処世術だけだ。

人間の歴史は、ごく乱暴に言えば文字文明を持つ民族が文字を持たない民族を滅亡させる歴史だった。日本でも渡来人が原住民であるアイヌ民族を滅ぼしてきた。

この歴史を反転することが求められている。ホロコーストを冷静に見つめるドイツの高校生の中からは根源的な文明批判を行う者、それを21世紀のマルクスやバクーニンと呼ぶなら、多くのマルクスやバクーニンが生まれてくるだろうことは想像に難くない。

生まれてからのほとんどを日本で過ごし、友人の99%は日本人でもある。日本人女性以外と恋愛はおろかセックスをしたことさえない。その自然と文化と習慣には理屈抜きの愛着がある。

しかし重要な判断に感情は無用の長物だ。

ナチス協力者は肉親さえ殺したヨーロッパのパルチザンを見習い、神には日本を消しドイツを残すように進言する。

強制収容所やガス室を見たあと、丘の上にある古城に行った。古城の一部がカフェになっているというので休んでいくことにした。

収容所とは打って変わったメルヘンチックな街をぬけ、坂を登っていくとやはり古城カフェに行くらしい老婆が杖をつきながら歩いている。なんでも、このカフェのケーキはたいそうおいしく週に2度食べにくるという。友だちに会っておしゃべりでもするのだろう。

よそゆきの服を着てお化粧をして出かけるのは、こういう機会だけなのだろう。

こういうところにドイツの豊かさを感じた。歴史的建築物のカフェで午後のティータイム。日常生活の中にそういう時間を持つというか生活そのものを楽しむという発想自体が、まだバブル景気の余韻に浸っている当時の日本人にはなかった。

いまもないにちがいない。





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最終更新日  June 3, 2014 05:31:45 PM
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