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カテゴリ:映画
1961年、もう少し言えば1965年以前に生まれでボビー・サンズを知らない人がいたら、その人は無教養のそしりを免れないだろう。
アイルランド共和国軍(IRA)のボビー・サンズが獄中から国会議員に立候補して当選し、しかしそれからまもなくハンガー・ストライキで死んだ「事件」は、遠い日本でも連日のように報道された。1981年当時、わたしは新聞をとっていずテレビやラジオすら持っていなかったが、それでも耳に入ってきた。だいいち、このころは毎週のようにIRAは北アイルランドやイギリス本土でテロを行っていた。それは日常茶飯事だった。 この「事件」はいくつかの意味で衝撃だった。 ひとつは、獄中から国会議員になれるというイギリスの制度に対するおどろき。受刑者から被選挙権を剥奪する日本の公職選挙法の規定は憲法違反だと直観した。 もうひとつは、「犯罪者」として収監されている囚人を国会議員に当選させることのできるIRAの支持基盤とボビー・サンズの人気に対するおどろきである。 つまり選挙制度に関しては「公平で開放的」であるイギリスと、イギリスからの分離とアイルランドへの併合を求めて武装闘争を戦うIRAの両方に対して、畏怖といっていい感情をすら抱いたのを強烈に記憶している。 1969年生まれのスティーブ・マックイーン監督が2008年に作ったこの映画は、IRA(PIRAともいう)の囚人(PIRAの側からは戦争捕虜)たちの獄中闘争を描いたもの。事実に忠実に作られたと思われる。 獄中闘争と言っても、彼らの立場からは自分たちはあくまで戦争捕虜であって、戦争捕虜もしくは政治犯としての扱いを要求するものである点で通常のものとは異なる。囚人ではないと囚人服を拒否して裸にブランケットをまとうなどの「抵抗」ははじめて知ったし、それを貫く誇りや意思の強さには圧倒される。 この映画が優れているのは、「囚人」に苛烈な暴力をふるう刑務官や機動隊員の中にもそういう暴力に耐えられない人間的な人間もいること、「糞尿闘争」で汚れた廊下や部屋を黙々と掃除する看守を延々とうつすなど、権力=悪、抵抗者=善というステレオタイプを排除している点にある。一方、人間味のある刑務官をその痴呆の母親の前で容赦なく外部のメンバーが射殺する、政治の非情さといって悪ければ厳格な政治の論理と倫理も描かれていて、事実ではあるにせよ非常に冷静な監督の姿勢が感じられる。 前半のブランケット・糞尿闘争、後半のハンガー・ストライキのシーンほとんどにセリフらしいセリフがない。あっても短い一言だ。唯一の例外が、面会に来たIRA派の神父とマイケル・ファスベンダー(ボビー・サンズ)がハンストについて議論するワンカット17分のシーンである。 こうしたシーンを撮影(演技)するのもたいへんだろうが、この二人の議論が、立場はほとんど同じなのに必ずといっていいくらい生じる路線論争の典型を示している。史実と事実を描くことを超えた「何か」をマックイーン監督はこのシーンで提示したかったのではと思う。それは、ヒューマニズムに基づき政治的効果を優先する立場と、人間的な誇りの防衛をほとんど唯一の獲得目標とする立場である。ボビー・サンズが選んだのが後者だとすれば、たとえ闘争は敗北し戦士は死んでも、その精神性の高さはいずれ敵を圧倒する。 それにしても残念なのは、第二次世界大戦に際してナチス・ドイツとアイルランド独立派の連携によってイギリスを滅ぼすことができなかったことだ。また戦後も常にIRA内部のマルクス主義的な勢力によって闘争が抑圧されてきたが、このことから学ぶべきことは非常に多い。 ナチスの残虐性ばかりが強調されてきたこの60有余年だが、イギリス帝国主義が行ってきた犯罪に比べればナチスなど可愛いものだ。 信念に殉じることのすごさと尊さ。やせ衰え死んでいくボビー・サンズが、キリスト教文化圏の人間はイエス・キリストのように見えるのではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
June 11, 2014 01:53:19 PM
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