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カテゴリ:映画
韓国映画界屈指の社会派映画監督チョン・ジョンの新作(2012年)という。2011年に死去した国会議員キム・グンテの著書を映画化したもの。
クーデターと内戦によって独裁者となった全斗煥の在任中(1980~88年)に韓国民主化運動の活動家が「北のスパイ・挑発者」としてでっちあげられ、拷問された事件の当事者(被害者)の証言に基づく一本。ほぼ事実に忠実に作られたと思われる。 この映画を観て、あらためて存命している全斗煥(チョン・ドゥファン)の自然死をゆるしてはいけないと思った。寛容、敵に対する温情は時に死活的に重要だが、韓国民主化運動を弾圧した連中は、イスラム原理主義者のような方法と執念と原則によって報復・処刑が行われるべきだとの念を強くした。 拷問の描写が続き正視にたえないシーンも多い。が、これは映画なのだ。血しぶきの材料は何かとか、苦悶の際のメーキャップ術は成功しているかといった視点で見ることが大事。こういう映画の見方ができない人(女性に多い)は映画史的に重要な作品の多くを忌避してしまう。 拷問もしくは拷問的取り調べによって虚偽の「自供」調書を作り上げ、ときには証拠まででっちあげて「犯人」を捏造する・・・これは洋の東西を問わず、政治警察(ときには一般刑事警察)が日常的に行っている。このことの善悪を論じてもしかたがない。政治警察とはもともとそういう性格のものであり、国家から完全に独立しないかぎり(たとえば民営化などで)政権の「犬」である宿命を負っているからだ。 大事なのは、でっち上げや冤罪が明らかになった場合、可及的速やかに被疑者の名誉回復と賠償がなされることであり、同じようなことが起きないように組織の可視化を進めることである。関係者の処罰(法的な処罰にとどまらない、階級による処罰)は当然だ。 この点では日本は韓国より遅れた国であることがこの映画を観るとわかる。 民主化学生運動の指導者だった元活動家キム・グンテは、プロの拷問師イ・グナンによる虚偽の自白に追い込まれていく。映画ではこの過程が延々と描かれる。興味深いのは、拷問する側の人間性、ひとりひとりの個性も描き出していること。仕事としてしかたなくやっている人間、出世のためと割り切る人間・・・権力側も決して一枚岩ではないということがわかる。 民主化革命が起きかれは釈放され国会議員になる。しかし拷問が原因でパーキンソン病になり、64歳で没してしまう。 映画ではキム・グンテはイ・グナンを赦したように描かれている。 自分ならどうするかをかんがえるなら、仮に心の底から悔い改めたことがわかったとしても、決して赦すことはない。国家の手先となって人の命を奪い精神を破壊するような行為に手を染めた輩をゆるすなら、同じようなことをしでかす連中がまた現れるにちがいないからだ。 未来の人民に対する責任として、こうした輩に対しては断固たる処置がとられなければならない。 キム・グンテに取材した小説家がいる。その小説家によれば彼は他の民主化運動の犠牲者に対する責任と、本心から悔い改めたわけではないイ・グナンを決してゆるさなかったそうだ。 しかしキム・グンテは死に、イ・グナンは自分の過去を美化する本を出版したという。 このように政治警察の中枢に近い人物ほど狡猾に立ち回るのは歴史を見ても明らかだ。こうした輩に必要なのは温情ではなく、地獄の劫火に焼かれるような苦しみを与え続けることである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
July 1, 2014 09:50:21 AM
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