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カテゴリ:読書日記
「日本人には二種類いる」を読んだので、類書をもう一冊くらいと思って見つけた本。著者は1957年大阪生まれの文筆家とある。古本に関する著作が多いらしい。
昭和三十年代ブームは、明らかに映画「ALWAYS三丁目の夕日」からだろう。しかし、数本の映画で何かがブームになるというのは今の時代にはありえない。そもそも昭和三十年代がブームになるような土壌があったということだ。 それが何かを考えるきっかけにしたいというのもこの本を読もうと思った動機のひとつだが、「日本人は二種類いる」と同じで、そうそうそんなものもあったしそんなこともあった、という「世代の備忘録」の域を出ない。 かくいうわたしは著者と同年だ。昭和30年代の後半ははっきりと記憶にあるし、昭和30年代的なもののどれがその後も残り、どれがあっさり消えていったかも見てきている。同窓会と同じで、忘れていたことを思い出したり、あの時代にタイムスリップしたりという楽しみは味あうことができたが、もっと下の世代、いまの20代がこの本を読んで持つ感想を知りたいものだ。 「日本人は二種類いる」では食生活や家族の変化が多く取り上げられていたが、この本ではそれらと同じくらいの重さでアニメやオーディオ、土管と空き地、家電と下水道について語られる。それもある種の「熱さ」をもって。その「熱さ」には共感するが、やはり大阪という大都市で育った人の本という印象にとどまる。 アニメやプラモデルや空き地での缶けりにもたしかに夢中になったが、畏怖すべき自然はまだ周囲に健在で、まだ人類が月に行ったことのない時代に宇宙は神秘そのものだった。遊びは発明するものだったし、つまり子どもの世界とおとなの世界ははっきり断絶していた。親の権威、年長者への尊敬はまだ保たれていた。 こうしたことへの言及があればこの本の価値は高まったと思うが、岩村本と同じで、風俗の羅列にとどまってしまっている。岩村本では雑誌などの資料からの引用が多かったのに比べると実体験の割合が多い分、体感的に共振するし細部の記憶はさすがだ。しかし、やはり人間の小さい「都会っ子」が書いた害のないトリビアリズムという域を出ない。 冒頭、1969年1月に何歳だったかでその人が決まるという黒沢進の説が紹介されている。 社会人1年生だった人間は「永遠の若手サラリーマン」、大学生だった団塊世代は「永遠の大学生」だというわけだ。 この本の著者もわたしもそのときは小学6年生だったから、われわれは「永遠の小学6年生」なのかもしれない。 そう思うことにしておこう。 そうであるならば、永遠の小学6年生として、中学生以上の「老人」たちを嘲笑し弾劾し踏み越えていこうではないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
March 13, 2016 12:18:44 PM
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