投資の余白に。。。

May 6, 2016
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カテゴリ:読書日記
タイトルに極私的とあるので、ノスタルジックな60年代記かと思って軽い気持ちで読み始めた。

ところが、二日間、寝食を忘れて読むことになった。250ページほどの本なのでふつうなら半日あれば読めただろう。しかし、言及されている人物や書物を調べたり、特に後者はまだ入手できるかどうかを調べながらだったので時間がかかった。この本は優れた読書ガイドの趣きがある。

社会運動に関して全く同じ問題意識を持っている人がいたのかという驚きで興奮させられた。興奮が収まるまで前に進めないというのは久しぶりの体験。

著者の名前を知ったのは1980年代のはじめ、「第一の敵」をはじめとするウカマウ集団の映画上映会のとき。雑誌や書評紙で評論を読んだ記憶もある。そのころ読んだ中では、菅孝行と天野恵一、そしてこの人が情況に対する最も洞察に満ちた発言をしていると感じたが、著作を追いかけることはしなかった。

数年前、反天皇制連絡会の集会とデモのあとの打ち上げで、両隣に物静かで品のある紳士が座った。右側にいたのが太田昌国氏で左隣だったのが天野恵一氏。東京ではこんな偶然が珍しくないのかと驚いたが、著作の知識がないので表面的な話しかできなかったのをずっと後悔していた。

そこで最近の著書から読んでみようと思い選んだのが2014年刊のこの本。

若干、自伝の要素がある。まとまった叙述はないが、テーマや人物に沿って自分との、自分の問題意識との関わりを解きほぐしていくというスタイルのため、この人がいつどこでどのように育ち、どんな人と交わってどんな人生を送ってきたかが概略わかる。その中には太田龍こと栗原登一のような人物もいておやと思わせる。

著者の思考の最大の長所は善悪や敵味方といった二元論を回避して出発する点にある。社会運動上のどのような英雄も絶対視せず批判と吟味の俎上にのせる。そうすることで逆にその敵対者や反対者の矮小さが際立ってくるし、またそうした人たちの視点の中にも見るべきものがあるときはくみ取っていくので、実にフェアだという印象も受けるし思考が豊富化していく。

さらに、自分にとって答えの出ていないことはそのままそう書く。わからないことをわからないと言えない知識人が多い中、この態度は誠実そのものと感じられる。

多くの新しい知見も教えられる。ナチス被害者への損害賠償をドイツ政府に命じるイタリア最高裁の判決や、1952年から60年にかけて弾圧したケニアの独立運動マウマウに対する謝罪と賠償をイギリス政府が決定したことなどである。

13章すべて著者の誠実な思考に精神が沐浴したような気にさせられるが、最も重要なのは第6章「権力を求めない社会革命」であろう。

ボルシェビズムとアナーキズムの簡略だか濃密な検討から、確信的なアナキストにならなかった理由をこう述べる。

「小集団の中でなら可能な平和で水平的な関係性が世界の随所で形成され」「それらが相互に連なりあって民主主義的な世界空間の形成にいたる」と考えるとするなら、アナキズムは「小集団という地域性が人類全体を包括する世界性に到達する媒介項は何か」という理論装置を欠いている。

氏はこの「欠如」を克服できる道筋を見いだすことできなかったので、確信をもったアナキストとして生きる道を選ばなかった、という。

これこそ核心的だ。優れたノンセクトラディカルの多くがこの問題に直面し、やはり組織が必要だとボルシェビズム組織に吸収されていった。あるいは、日常領域の「変革」の総和が社会変革の実体だと脱あるいは没政治化していった。

アナキズムの致命的な弱点をどう克服するかに、大げさに言えば原住民の復権を嚆矢とする人類の未来がかかっている。こう考える人間にとって、では太田氏はどう考えるのか、固唾をのんで次のページをめくらずにいられなかった。

もちろん結論はないが、氏はメキシコのサパティスタ運動にその可能性を見ている。思わず快哉を叫んだ。というのは、イタリアのアウトノミア運動敗北後の日本と世界の運動を見ていて、可能性を感じたのは日本では松本哉らの「素人の乱」とメキシコのサパティスタ運動だったからだ。

「若い男を特権化する」革命の小集団から武装した地域共同体へ。サパティスタ民族解放軍が歩みめざすこの方向こそ、マルクス・レーニン主義的な共産主義とアナキズムの欠点と矛盾を同時止揚するものだという直観に確信を与えてくれた一章である。

この本の基調にあるのは「60年代」を60年代たらしめた重要な発言や行動、あるいは現代思潮社のような出版社の仕事というかその仕事をもたらした「精神」についての報告であり観察であり単線的ではない称揚であり、複眼的な批判である。

経験の継承や人脈的連続性を超えて重要なのが、本書の副題でもある「精神のリレー」であり、これが「60年代」の意義を未来につなぎ生かすことなのだ。こうした思想的営為をほかの誰がやっているだろうか?

ただ、60年安保世代とそれに続く世代の人たちと話していて、その楽天性というか、あえていえばお人好しなところに疑問を感じたことは少なくない。性善説を強く信じる人が多いと感じる。

しかしイスラエルの子どもやクメールルージュの少年兵は、その年代ですでにシオニストになり虐殺共産主義の主体的な担い手になっている。つまり人間は生まれたときは白紙の状態であり生まれながらに善なのではない。

スターリン主義者やカルト左翼には、そうした後天的な刷り込みばかりでなく、生まれつきの、遺伝子的な欠陥があるとしか思えない人間がいる。生まれつき悪魔のような人間というのはいるし、それが社会運動に紛れ込むことも決して稀ではない。オウムのようにそうした人物を教祖に戴く組織もある。

こうした観察からはもう少しちがった見方もありうるし、いわゆる「内ゲバ」に対する考察にはほぼ100%同意するにしてもいささかの観念性というか「お人好し」ぶりに懸念を感じる。

「内ゲバ」が最も隆盛をきわめた1970年代後半、党派間ゲバルトが運動空間の自由を保障する面があった。ざっくり言えば、中核派と解放派が革マルを殺していたがゆえに無党派学生運動が存在できた大学も少なくない。その意味で、党派間ゲバルトのマイナス面だけを指摘してプラス面にまったく触れないのは公正ではない。もちろん、そうした思考法こそ氏が最も嫌うだろうということを承知で、あえて言いたくなる。

アナキズムが常に敗北してきたのはアナキスト諸氏とその理論が「お人好し」だったからではないだろうか。

ロシア革命や中国革命ばかりでなく、スペイン革命におけるアナキストの栄光と悲惨を思うとき、ファシストとスターリン主義者を同一物とみなし、権力奪取のその瞬間に権力機構を粉砕する「悪辣さ」「ずるがしこさ」「徹底した執念」が必要だったという痛切な想いを禁じ得ない。

繰り返し読むことになるだろうし、言及されている多くの書物にも目を通したい。そしてさらに思考を深め広げたい。そう思える書物に、ほんとうに久しぶりに出会った。






最終更新日  May 10, 2016 10:06:01 AM
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