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カテゴリ:自叙伝
納戸を整理していたら一枚のメモが見つかった。パスポートのコピーの裏に書かれた、この旅のときのものだ。
旅の前半は一日につき数行書いているが、後半は一行だけ。どこからどこへ移動した程度のことしか書いていない。 それでも、それを読んであらためて思い出したこと、あるいは完全に忘れてしまったこと、いくつかの記憶がちがっていたことなどがわかった。 記憶ちがいは大したことがないのでそのままにしておこう。むしろ、ただ記憶だけで20年も前のことをよく書けたものだと、30代の自分の記憶力に感嘆させられてしまった。まるで少年の日の記憶のようだ。そのことからわかるのは、旅は少年の日に戻ることだということだ。ブログを書いたり読んだりするヒマがあるなら、旅に出ることだ。 そのメモによると、パリからミュンヘンへフランクフルト経由で行ったぼくは、ミュンヘンで3泊したあとベルリンへ行き、2泊したあとミュンヘンへ戻った。次の日夜行でウィーンに行き夕方ミュンヘンに戻った。 前回書いたのはここまでだ。こう書くと身も蓋もないが、何とせわしない旅をしていることか。 ついでに書くと、翌日にはヴィネツィアに行き一泊。ベローナまで戻ってミラノ、ニース、マルセイユを通ってバルセロナへ。バルセロナで1泊したあとパリへ。2泊して帰国。 数えてみると17泊18日で、ホテルに泊まったのはベルリン2泊、ヴェネツィアとバルセロナで1泊、パリで2泊の合計6泊。彼女の部屋に泊まったのが5泊だから、夜行列車で6泊していることになる。何とハードな旅だったことか。 思い返してみると、肉体的な疲労は大したことがなかった。疲労を好奇心が上回っていたと言うべきかもしれない。休むより移動していた方が新しい刺激で疲労を忘れることができた。ただ、あんな旅をあと何日も続けていたら、間違いなく体調を崩していただろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最新の電車なのに、坂が続くためかゆっくりだ。登る一方の長い峠の頂上あたりをすぎたと思ったとたん、空気が変わったのを感じた。温度ではなく、大気そのものが明るく暖かく感じられる。何かほっとするような柔らかい空気感を感じた。 電車は停車し、コンパートメントに中年の女性が入ってきた。それまではぼくと彼女の二人きりで、彼女はしくしく泣いていた。別れを宣告したからだ。 気まずい雰囲気が流れたが、どうしようもない。泣いてどうなるものでもあるまいに、ほんとに女はバカだと苦々しい思いがするばかりだった。別れたくなければ、論理的に説得すればよいではないか。 もし愛する女性から一方的に別れを宣告されたらどうするか。幸運なことにそういう経験は今までにないが、できるだけ感情を抑え、理性的な説得を試みるだろう。恋愛感情の不条理さについて注意を喚起し、自分ではなく他の男を選ぶ、あるいはぼくから去るその決断がいかに幼稚で不見識で絶望的に悲惨なことかを淡々と説くだろう。 男にもときどきいるが、この泣けばなんとかなると思う日本の女に特有の「甘えの精神」については稿をあらためて論ずるべきかもしれない。ともかく、このときは腹立たしいばかりだった。 コンパートメントに入ってきて向かいに座った中年女性のことは忘れられない。ぼくたちの異様な雰囲気を察して、すぐに同情するような表情になった。ぼくはつとめて明るく振る舞ったから、深刻な問題ではないということだけは伝わったはずだ。 すると、その女性は持っていた袋の中からリンゴをくれた。何があったか知らないどさ、リンゴでも食べなさい。食べて気持ちを落ち着かせてから話をしなさい。 そう言われたような気がした。 その親切というか人情に、さっきまでとはちがう国に来たのだと直観した。長い坂はブレンナー峠で、国境を超えてイタリアに入ったのだ。 これがイタリアとの出会いであり、明るく暖かく柔らかい空気感と人情味あるイタリア女性が忘れられない印象として残った。 第一印象のイタリア、ブラヴォーだ。このブラヴォーは、わずか30時間たらずのイタリア滞在で何度叫んだかわからない。 列車はミラノ行きだったのでヴェローナで乗り換えた。若者の集団がいる。ちょうど登下校の時間だったのだろうか。出発する電車の窓からこちらに手を振る若者がいる。大声でチャオという若者もいる。 フランスでもドイツでもオーストリアでも遭遇しなかった陽性の好奇心、歓迎の気持ちを感じた。やあ、イタリアへようこそ、いいところだろ、と語りかけられたような気がした。彼らの「チャオ」には何とも心が弾んだ。 見ず知らずの、しかも人種の異なる人間に何の「壁」も感じさせない彼らに、ささいなちがいで人を差別し排除する日本人との落差を思ったし、ヨーロッパの他の国とのちがいも強い印象となって残った。 ヴェローナには夏のオペラで有名な円形闘技場(アレーナ)がある。というか、アレーナのまわりに街ができている。 昼食をとろうと思い、近くにいた老人に「いいレストランはないか」と聞いた。そうしたら、イタリア語ができるとかんちがいしたのか、質問をはさみながら延々と話す。一言も理解できなかったが、たぶんこういうことだ。 「きみが食べたいものは何か。もしヴェローナの名物料理を食べたいなら、この道をまっすぐ行って3本目を左に曲がると右側にある××という店の○○という料理がおすすめだ。肉料理でフィレンツェ風ビーフステーキならアレーナの反対側の広場に面してある××、コッパパルマなど前菜がおいしいのは2キロほど離れた××で、歩いていくと営業に間に合わないからタクシーで行きなさい。わたしのおすすめは魚料理だが、グリルがいいかねフライがいいかね。グリルなら××、フライなら××・・・・」といった感じで、話が止まらない。何とか一言でもヒントがつかめればと思ったが、止まらないのでさえぎって礼を言い、そそくさといちばん近いレストランに向かった。 イタリア人にとっての食の重要さ、人生に占める大きさを知ったのはこのときだ。日本人によくいる、高級レストランでの食事体験を「消費」するグルマンとは全く異なっているし「食通」タイプともちがう。空腹を満たし栄養を摂取する機械的かつ機会的な食事ではなく、人生を豊かにするために行う「食べる」という行為。 人生を楽しむ、その重要な一部として食を自然に位置づけている。ほかに楽しみがないからおいしいものでも食べて、というのとは全く逆だ。 入ったのはセルフレストランだった。おいしいものは期待できないが、これはこれで好きなものが食べられて好都合だった。現金なことに彼女の機嫌も直っている。ピーナツ味の野菜があって感動した。ルコラというのだとレジの人が教えてくれた。 ヴェネツィアは人工的に作られた島の上にできた都市である。「本土」からの線路は海の上を走っていく。 ヴェネツィアは数々の映画の舞台になっている。しかしそういう映画を全く見たことはなかったし、テレビや雑誌でも見たことがなかった。だから予備知識はほとんどなかった。 それは何とも幸運なことだった。晩秋のパリで初めての海外旅行をひとりで始めたのと同じくらい、いやそれ以上の幸運だったかもしれない。 予備知識なしに訪れたヴェネツィア、それは都市というより壮大な美術作品だった。その華麗なたたずまいに呆然とした。しかし自失してはいられない。24時間程度しか滞在の時間はないのだ。 もう薄暗くなっていたヴィネツィアのサンマルコ広場めざして、ひたすら歩いた。地図もなにもない。矢印のついた看板だけが頼りだ。自分がどこにいるのか、どこへ向かっているのかわからないのには不安もあったが、歩き続ければどこかへ出るし、いずれ着く。 そんな根拠のない確信だけを頼りにひたすら歩いた緊張と興奮の数時間。 それを表すのに幸福という言葉以外を思いつくことはできない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 12, 2016 09:20:23 PM
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