投資の余白に。。。

May 15, 2016
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カテゴリ:読書日記
著者は2015年はじめに亡くなっている。1940年生まれだから74歳だった。全学連(日本共産党系)委員長(62年~64年)のあと72年までは民青(日共の青年組織)中央の常任委員だった人物で、91年に離党するまで共産党に留まっている。

本人もその一味もしくは首謀者として査問された1972年のいわゆる「新日和見主義」事件について、離党後に執筆したのが本書。

日本共産党(いわゆる代々木派)は、天皇制擁護、原子力の平和利用推進(原発賛成)、日本の再軍備大賛成の極右政党である。原発事故以降は原発廃止を唱えているが、福島現地その他でやっているのは原発反対運動の妨害であり推進派以上に推進派の役割を果たしている。

しかし日共はある日突然こうした極右政党になったわけではない。

1952年のいわゆる「血のメーデー事件」までは日本におけるほとんど唯一の革命勢力であったことに異論のある人はいないだろう。本書を読むと少なくとも学生部分は主観的には1970年前後までは革命的であろうとしていたし、そのつもりだったというのがわかる。

党組織と官僚機構の維持を最優先して大衆運動を軽視もしくは敵視するのはほとんどの左翼・新左翼党派に共通する現象だが、日共の場合は図抜けている。著者のような優れた活動家を「危険人物」視し、ありもしないグループを組織したという「冤罪」で査問したというのだから。70年代の見かけの党勢拡大にも関わらず見る影もなく凋落したのは、こうした体質、上意下達の作風がその根本原因であり、民主集中制なる組織原理こそが問題にされなければならない。

60年安保を前に全学連の主要人物は共産主義者同盟に以降した。70年安保ではそういうことは起きなかったが、ベトナム反戦・沖縄・全国学園闘争(全共闘運動)の高揚に影響を受け、党中央の統制を一定離れて大衆運動を志向したグループがあったのかもしれない。リンチ殺人の宮本顕治らがそれを芽のうちに摘んだのが「新日和見主義」事件だった可能性が高い。

明白な分派ではなくても、大衆運動のリーダー的素質のある人物やそうした人物に近い人間を排除していったのだと思われる。

70年代なかば、わたしの大学には数百人の民青とそのシンパがいたが、見どころのある人間は数人で、あとは自治会三役を筆頭にバカの巣窟、見本市だった。一瞬でもこうした政党に幻想と期待を持った自分自身に失望したほどだが、川上氏のような優れた人物を除名しないまでも登用しない組織であればバカしか集まらなくてあたりまえだ。

しかしやはり疑問なのは、氏が「事件」後も党内に留まったことである。内省的な文章から感じられる人間的誠実さと高い知性は疑うべくもないが、たとえば早稲田解放戦争における日共の裏切りをどう総括するのか。きちんと総括したなら日共に留まるといった選択枝はありえないと思う。むしろ「査問」をきっかけに日本共産党(川上派)を結成すべきだったのではないだろうか。

その後、中野徹三ら哲学者に影響を受けた学生らが集団脱党する事件、県委員会丸ごとの脱党(福井県など)もあった。こうした事件の背後には著者らが「新日和見主義」と見なされたのと同じような動きがあったのかもしれない。

同じようなことはこれからも繰り返し起きていくにちがいないし、現に起きている。






最終更新日  May 20, 2016 04:09:34 PM
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