投資の余白に。。。

June 2, 2016
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カテゴリ:読書日記
マスコミばかりでなく左派メディアでさえ報じないことのひとつに、アナーキスト勢力の増大がある。

経済危機下のギリシャやイタリア、スペインではすでに公然とした政治勢力として登場している。とりわけギリシャでは政権を掌握した急進左翼が帝国主義とシオニストの手先化する中で急速に拡大している。フランスでは反資本主義新党の中心メンバーにアナーキストが散見されるし、アナーキズム週刊誌の刊行が維持されている。

また、いわゆる先進国における反グローバリズム運動、ニューヨークの占拠運動などの中心にいるのも、名乗ってはいないがアナーキストたちである。環境保護運動や女性解放運動の活動家は自覚せざるアナーキストであるケースが多い。

サパティスタ民族解放軍の理念や行動様式もアナーキズムに近似している。

日本の大学でも主要大学にはすでにアナーキズム研究会が生まれている。今のところサロン的サークルの域を出ないが、セクトが退場したあとの主役になる可能性がある。

すで40年以上、旬刊発行されている大阪の「人民新聞」にはリバータリアン(無政府資本主義者)の主張が掲載されることもあり、左右のアナーキズムに対して親和的だ。

日本共産党の武装襲撃と対決した東大全共闘が「ここは1930年代のスペインではない」と檄を発したことはよく知られている。アナーキストが権力を掌握したスペインで、ファシスト軍と戦うアナーキストをスターリン主義共産党が背後から襲撃しファシズムに道を開いた史実を参照したエピソードだが、いわゆる社会主義革命に成功した国でも、実際の革命の主力はアナーキストであり何よりも大衆自身であったことが明らかになりつつある。

あのフランス革命でさえ、主力はプルードン主義者だったのだ。

アナーキスト(やサンディカリスト)が準備し成功の基礎を築いた革命を、あとからやってきた共産主義者が簒奪し、あたかも自分たちのやったことであるかのように叙述したのが、すべてではないが多くの国における「革命」の実態だったのではないだろうか。

こういう問題意識を持ってもう何十年にもなる。だから、いつか最低でもロシアと中国、そしてスペインの革命におけるアナーキストの活動とその敗北の原因を探求しなくてはと考えていた。

20世紀においてアナーキストが主役に躍り出たのは、ロシア革命後のクロンシュタット水兵の反乱(これを鎮圧したのがトロツキーだった)、ウクライナにおけるマフノ運動、そして人民政府を樹立したスペイン人民戦線の三つである。このうちクロンシュタットとスペイン人民戦線については優れた報告や研究がある。しかし、マフノ運動についてはほとんどなかった。ヴォーリンの「知られざる革命―クロンシュタット反乱とマフノ運動」(現代思潮社1966年)くらいで、しかもずっと絶版になっている。

ネストル・マフノ。1888年にウクライナで生まれ1934年にパリで世を去ったこの農民運動の指導者、無政府主義革命家は、マゼランを殺したラプラプ、台湾で抗日蜂起を行ったモーナ・ルダオ、ヤマト支配に頑強な抵抗を続けたアテルイ、松前藩に対して武装蜂起したシャクシャイン、カスター大隊を全滅させたクレイジー・ホースといった人類史的英雄のひとりである。

しかしマフノが特異なのは、侵略者に対して戦っただけでなく、ロシアを解放したと称するボルシェビキ(ロシア共産党)の赤軍とも戦ったことにある。

著者のアルシノフは1887年生まれの工場労働者で、元々はボリシェビキだったが、1905年革命の敗北の原因を政治党派のミニマリズムにあると総括し無政府主義者となったという。警察署を爆破したり、労働者を弾圧する工場長を射殺して死刑判決を受けたこともある。

マフノと知り合ったのは監獄の中で、1917年のロシア二月革命で解放され、アルシノフはモスクワで、マフノはウクライナで活動を行った。その後アルシノフもウクライナに向かい、1921年に運動が壊滅させられるまで赤軍と戦った。マフノ運動を記録し叙述するのに最もふさわしい人物といえる。

二大首都で権力を掌握したボリシェビキはウクライナでは少数派だった。ウクライナにおける農民と労働者の社会主義をめざす活動は彼ら自身、そしてマフノのまわりに結集した無政府主義者たちの果敢な闘争によって成し遂げられていった。その細部にわたる軍事的・政治的エピソードのひとつひとつには感嘆を禁じ得ない。神出鬼没の軍事指導者、みずから銃と爆弾で戦う軍人であると同時にきわめて成熟した政治運動家であったことがわかる。

特に印象的なのは政治的に変質を重ねる元帝政軍士官グリゴーリエフを反乱兵士大会で、その反革命としての本質を暴いた上で処刑したことである。革命と反革命が入り乱れるとき、革命的な大衆が指導者の反革命的本質を見抜けないことがある。それをマフノは大会の議場で、大衆の面前で暴露し処刑したのだからすごい。

大会はこの行動を承認しグリゴーリエフ指揮下にあったパルチザン部隊はマフノ反乱軍に編入されたという。

革命のダイナミズムとはこういうものなのだ。

著者はボリシェビキ独裁に対するマフノ反乱の敗北を軍事的な戦略の失敗と見ている。それは正しいかもしれないし、そうではないかもしれない。仮に正しいとするなら、その軍事的な戦略の失敗が何に起因するのかが究明されなければならない。

巻末の資料のひとつに、1918年6月にクレムリンを訪れレーニンらと会見したマフノの回想記が収められている。レーニンの人となりがわかって興味深い。マフノも悪い印象は持たなかったようだが、最終的には興味を失ったようだ。

職業革命家による中央集権的党組織とその手足としての赤衛軍、赤軍による上からの支配を「社会主義」としその社会主義を電化したものを「共産主義」と考えるレーニンとは、めざす社会のあり方は同じでもその道すじや主体についての考えが、言葉で議論できるほど近くはなかったということだろう。

1918年から21年にかけてのウクライナにおけるボリシェビキの犯罪を見るとき、レーニンとトロツキーとスターリンの間に砂粒ほどの差異さえ見つけることはできない。

公平なことに、マフノ軍とマフノの欠点や欠陥についての記録も収集され収められていることが本書の価値をいっそう高めている。マフノは酒癖が悪く、個人的な気分で赤軍捕虜を処刑したりしたこともあったが、村人ではドイツやオーストリア兵と通じる者しか殺さなかったという同じ個人による矛盾するような証言があったりする。

マフノはボリシェビキの残虐さ狡猾さを過小評価していたきらいがある。その点がのちの軍事的敗北の根本原因だったのだと思う。

ウクライナはボリシェビキにとっては食料庫だった。肥沃なウクライナの大地ゆえ、ボリシェビキの集中した関心を呼び「ウクライナの悲劇」を招いたのだとすれば皮肉だ。

ロシア革命からたかだか100年しかたっていない。マフノやアルシノフは、1950年代生まれの人の祖父母の世代にあたる。もしかしたらマフノやアルシノフはわたしの祖父だったかもしれないのだ。

わたしの最大の関心はいまの時代にマフノがいたら、どう考えどう行動するかである。無人機と遠隔操作、レーザー兵器と部分的核兵器を主体としたハイテク戦争の時代、農業国から工業国、さらにいえば第三次産業が多くを占めるようになった現代で、解放の主体をどう確立し微分化した権力とどう戦うのか。

平凡な農夫になりたかっただけの男マフノ。しかし平凡な農夫になるだけのことでさえ、あらゆる武器を手にとって支配権力と戦わなければ勝ち取ることができない。そういう時代は、かつてのようにはっきりとは見えなくなっているとはいえ、本質的にはいまも1921年のウクライナと同じように続いている。






最終更新日  June 5, 2016 01:40:38 PM
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