こんな本を読んだ~川上徹「アカ」(筑摩書房)
「査問」で興味を持ったので、この著者の本をできるだけ読んでみることにした。日本共産党とその下部組織である民青は、大学や労働組合では物取りと賃上げしかやらず、1955年の六全協後は選挙運動と機関紙拡大、歌って踊っての演芸会ばかりやっている連中と思っていた。暴力的になるのは彼らがトロツキストと呼ぶ勢力の運動を妨害するときだけだと誤解していた。本書は著者がミサイル基地建設を実力阻止するために新島に行き、機動隊に逮捕される場面(1961年)から始まる。短期間の留置場暮らしの記述もある。予想もしていなかった逮捕=検挙とその後のいきさつは著者を筋金入りの活動家に鍛え上げていったのだろうが、このころはまだ非暴力とはいえ実力闘争を行っていたのだ。しかし本書はそれが主題ではない。1933年の「教員赤化事件」での被弾圧者たちとその軌跡を3年かけて取材したもの。公安警察が共産党系教員労働組合のメンバーを「治安維持法違反」容疑で検挙し追放した事件であり、彼の父もこのとき警察に検挙され職を失っている。「あと10年早く始めていればと何度悔やまれたことだろう」とあとがきに記しているように、すでに故人となっていた人も多いが、いくつかの偶然や幸運に助けられたようだ。すでに中国侵略を開始していた軍国主義下の日本で、それも長野県の郡部に天皇主義イデオロギーから解き放たれた一群の人々がいて活動を行っていたというその事実に、まず救われる思いがする。そういうことは歴史的には知ってはいても、当事者の実子が書いたものを読むとリアリティがちがうのだ。そしてわたしが生まれた年より四半世紀も前ではない「ごく最近の」事件として感じられてくる。もちろんそれは筆者の優れた取材力と思考力、文章力もあってのことだが、やはり神は細部に宿るのだ。最近は「アカ」という言葉を聞かなくなった。1980年代までは、それが何を意味するかも知らずに一種の差別語として使っている人間は珍しくなかった。若い女性がある共産党員のことを「アカ」だから、と言ったことがあった。ヘルメットの色から、いや共産党はアカではなく黄色だと混ぜっかえしたことがあるが、「アカ」が死語となった程度には世の中は進歩したということか。アカには「垢」に通じる汚らしいもの、という語感があった。こうした本が書かれるのはきわめて稀なことだ。なぜなら、一般に活動家は過去よりも未来に目を向けているものだからだ。印象的なのは被検挙者たちの誠実さである。自分自身の「転向」をゆるすことのできかった人々は、戦後、決して教壇に戻ることはなかったという。戦前は天皇主義者、戦後はマルクス主義者と服を着替えるように思想を取り替えていった人間しか日本にはいなかったとばかり思っていたが、決してそうではなかった。著者自身の体験や思考と参照しながら書き進められているので、読み物としても一級のおもしろさがある。ただ、イタリアなどとちがって、日本では反ファシズム勢力は一掃されてしまい、侵略戦争を防ぐことはできなかった。芽のうちに摘まれたという見方もできようが、帝国主義戦争に対しては内乱をもって対峙すべきとするレーニンの思想はまだ伝わってなかったのだろうか。いや、決してそんなことはないはずで、日本共産党の路線そのものに誤りがあったのではないかと思わずにいられない。1933年といえば小林多喜二が虐殺された年である。こうした優れて人間的に誠実な人たちが殺されたり失業したり不利な戦地に送られたりしたというのに、虐殺し弾圧した側は戦後も生きのびた。「戦後政治の総決算」はナチソネこと中曽根康弘のスローガンだが、民衆の側からは「戦前の総決算」、つまりこうした人々の名誉回復と賠償、加害者の処断が行われなければならない。というか、それを怠ったからこそアベや石破が表通りを歩ける世の中になってしまったのだ。1933年はつい最近のことであり、階級犯罪に時効も恩赦もない。