投資の余白に。。。

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クラシック音楽

July 31, 2016
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カテゴリ:クラシック音楽
coming soon






最終更新日  August 31, 2016 10:29:56 PM
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July 27, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
「バーンスタイン・レガシー」と題したコンサート。PMF修了生でファゴット奏者のダニエル・マツカワは、近年、PMFでバーンスタインにフォーカスしたコンサートを指揮しているが、今年もバーンスタインゆかりの曲、作曲家などの作品を集めた。

ダニエル・マツカワはフィラデルフィア管弦楽団の首席ファゴット奏者をつとめているが、その頃から指揮を学び、カーティス音楽院では実際のコンサートで経験を積んできたらしい。過去のPMFでの指揮は可もなく不可もなくといったところだった。やはり指揮を専門に学んだ人に比べると素人ぽさは否めなかった。

しかし、今年はちがった。指揮に開眼したというか、指揮者らしい指揮をするようになった。たぶん経験値が一定のレベル、蓄積を越えたのだろう。オーケストラを手中にする技が飛躍的に向上したのを感じた。

デビュー以前から指揮の要諦を会得しているような人もいれば、だんだんと開眼する人もいる。大野和士や小泉和裕はデビュー直後にもう指揮の技術は完成しているように見えた。一方、高関健などは40歳くらいのある時期、突然のようにオーケストラを自在に動かせるようになったのをおぼえている。

いままでのマツカワの指揮を見て今回のコンサートはパスしようかと思っていたが、行った甲斐があったというものだ。

ブラームスの「大学祝典序曲」はバーンスタインがフリッツ・ライナーの試験を受けたときの曲であり、「悪口学校」序曲のバーバー、「エル・サロン・メヒコ」のコープランドはバーンスタインが高く評価し個人的にも親しかったことから選ばれた曲という。

前半はこれらにビゼーの「カルメン第一組曲」。これはマツカワがバーンスタインの録音で親しんだ曲という。バーンスタインの演奏の再現をめざしたようだが、いささかやりすぎの部分もあるバーンスタインのそれに比べると穏健で美しい演奏。

後半はすべてバーンスタイン作品で「ウェストサイド物語組曲」、オーケストラのための「ディヴェルティメント」、「オン・ザ・タウン組曲」、アンコールに「キャンディード」序曲。

「ディヴェルティメント」はバーンスタイン自身の録音で聞いてはいたが、あまり面白いとは思っていなかった。しかし実演できくと、たしかに名曲とは言えないにしても、バーンスタインの才気がわかって面白い。作曲とは美しいメロディーにハーモニーをつけることだと思っている人が多いが、それは作曲のごく一部でしかない。それらがなくても、創造性のある作品を作ることができるという見本のような曲。

しかしこの曲全体の品のないイメージは好悪のわかれるところだろう。

クラシックソムリエだという司会者とマツカワのトークをはさみながらの展開。声楽曲を加えるなどGALAコンサートぽさがあったらもっとよかったと思うが、たった1000円(学生は500円)で珍しい作品も楽しめるこのようなコンサートを、無名の指揮者と学生オーケストラだからという理由で忌避するクラシック・ファンはバカ以外のなにものでもない。








最終更新日  July 30, 2016 03:19:22 PM
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July 24, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
前日と全く同じ演奏者とプログラム。しかし、全く別のコンサートと言っていいくらい次元がちがった。

特にそう感じたのはほぼアカデミー生だけによる前半。ワーグナー「さまよえるオランダ人」序曲は、どこがどうとは言えないが密度が増した。

ドビュッシーの「海」の第二楽章は手探りだった前日とは打って変わって熱演で、思い切りよいクレシェンド、より大きな波がおしてはひいていくようなスケール感ある演奏は思わず拍手を誘ったほど。

メーンのマーラー「交響曲第4番」も、生硬さがとれ細部のニュアンスが格段に豊かになった。

二日目や三日目の演奏がよくなるのは超一流のオーケストラでも経験することではあるが、若者集団の適応力、柔軟性に舌を巻いた100分。






最終更新日  July 30, 2016 12:34:29 PM
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July 23, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
3つのプログラムで行われるPMFオーケストラコンサート、Aプログラムの初日。

まず興味は今年のPMFオーケストラの参加者のレベル。昼のオープンリハーサルを見学した限りでは過去26回の平均といったところか。女性とアジア系の割合が増えてきている。

次の興味は指揮者のジョン・アクセルロッド。今年50歳のアメリカ人指揮者で、ハーバード大学出身で前職はカリフォルニアワインのバイヤーという経歴の持ち主。バーンスタインとムーシンに師事したことがあるらしい。

前半はワーグナーの楽劇「さまよえるオランダ人」序曲とドビュッシーの交響詩「海」。

わかりやすい指揮を見ていて、いちばん最初のリハーサルを見学してみたかったものだと思った。にわか仕立ての学生オーケストラを数日のリハーサルでここまで整え、音楽的な演奏ができるまでに導く手腕そのものに興味を持ったからだ。これまでのPMFに登場した指揮者をつらつら思い返しても、自分の解釈の押しつけではなく、まずオーケストラからバランスよい響きと開放的な音楽を作りだすことのできた人は決して多くない。

その点、オーケストラビルダーとしてかなり優れた人ではないかと思うし、オーケストラのメンバーから好かれ信頼されるタイプだろう。

二曲とも特に不満のない出来。ディナミークがややフォルテよりで、耳をそばだてるようなピアニシモや神秘的な音空間の創造(特にドビュッシー)はなかったが、明晰なのに温かみのある音作りには好感。

後半、マーラー「交響曲第4番」では、ウィーン・フィルの現・元首席奏者が弦の、ベルリン・フィルの現・元首席奏者が管打楽器セクションに加わる。コンサートマスターの席にライナー・キュッヘルが座るだけで格が上がった気がするが、音も明らかに変わる。音に厚みや膨らみが加わり、フレーズが尻切れにならず次の音楽にリレーされていく。

曲のせいもあるが、アクセルロッドの音楽からは皮肉や哀愁や怒りや諧謔といったものがきこえてこない。これは世代のせいもあるかもしれないし、アメリカの指揮者にかなり共通の現象かもしれない。暴力的・悪魔的な表現を要求されるような作品でどうなのか。バーンスタイン作品や現代曲も得意としているようだが、陰のある明るさのようなもの、あるいは暗い中に光が差し込んでくるような音楽でどうなのかは未知数だ。

すでに録音も多くブラームスの交響曲全集も出ている。Bプログラムのブラームスでその辺のことを確かめられるだろう。

マーラーのソリストは今野沙知恵。音程は正確だが声に伸びがなくオーケストラに消されてしまう部分もあった。

なおこのコンサートの前に小ホールで無料の室内楽コンサートがあった。例年のことながらこれが出色。シュールホフの「フルート、ヴィオラとコントラバスの小協奏曲」、バックスの「フルート、ヴィオラとハープのための悲歌三重奏曲」などが演奏された。オーケストラメンバーでは大平治世という人のフルート、セバスチャン・ジンカのコントラバスなどが印象に残ったが、安楽真理子のハープ、ミヒャエル・フーデラーといった教授陣の演奏はまた別格。

この二人はフランセの「バロック風二重奏曲」とフォーレ「夢のあとに」、サン=サーンス「白鳥」を演奏。めったに聞くことのできない曲と編成、室内楽ならではの臨場感は、もしかするとPMFの全プログラムを通じての白眉かもしれない。








最終更新日  July 24, 2016 01:05:41 PM
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June 27, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
元札響チェロ奏者の文屋治実が主宰するピアノ・トリオ。ほかのメンバーはバイオリンの岡部亜希子とピアノの新堀聡子。3度目のコンサートだがきくのははじめて。

一発屋というか、一曲だけが飛び抜けて有名という作曲家がいる。リムスキー=コルサコフなどはその典型で、「シェヘラザード」かせいぜい「スペイン奇想曲」が知られるくらい。コルサコフにはオペラや交響曲もあってときおり演奏されるが、演奏頻度から言うと99%が「シェエラザード」(と熊ん蜂の飛行)だろう。

その昔、隠れた名曲がないかと思って探したことがあったが不発だった。

そのとき室内楽までは調べなかったので、この曲(ピアノ三重奏曲)めあてで行ったのがこのコンサート。コルサコフが円熟期に書いたこの作品、作曲者本人は失敗作と考えたらしい。弟子が加筆したものが出版されたという。

4楽章形式の大作だが、チャイコフスキーのトリオのようなおぼえやすいフレーズもなく、失敗作ではないがせいぜい佳作というところ。最近、作曲家の全集が廉価で発売されることが多いが、もしコルサコフの全集でもあれば、その中と一作としてきくのであればまた発見があるのかもしれない。3人の熱演を持ってしても作品の弱さは補えないという印象。

前半はメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第一番。ピアノ三重奏曲としては突出して多く演奏される作品。メンデルスゾーン特有の感傷性が美しい作品だが、どちらかというとスケール豊かに演奏されていた。

しかしこうして並べてきいてみて思うのは、やはりピアノという楽器と他の楽器の相性の悪さ。弦楽器だけでなく、管楽器や声楽でもピアノが加わるとそれらの持つ個性的な音色や高次の倍音を消してしまうようなところがある。マリンバなどのような鍵盤打楽器にもそう感じることがあるが、ピアノは同時に10個(あるいはそれ以上)の音を出せるから始末が悪い。

たいていの曲が弦楽器付きピアノソナタのようになってしまう。

だからピアノパートが弦楽器が同時に出せる音(4つ)よりも少ない音しか同時に出さないようなピアノ三重奏曲が書かれるべきなのではないだろうか、などと思った。

他の楽器の相性の悪さといったことから逃れられているピアニストというと、グレン・グールドとアンドレア・バケッティくらいしか思い浮かばないが、菅野潤なんかはいいかもしれない。






最終更新日  July 12, 2016 01:09:39 PM
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June 23, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
ラヴェルの「スペイン狂詩曲」が始まった瞬間、「これほど美しい弦楽器の響きを聞いたことがあっただろうか」と、過去の音楽体験を参照させられるハメになった。

チューリヒ・トーンハレの弦も美しかった。しかしほんの少し力強さが混じっていた。いや、そういう言い方は間違っている。注意深く力を入れてピアニシモを演奏している、そんな要素が若干だがあった。

しかしこのオーケストラはどうだろう。まるで息を吸い、吐くように自然にピアニシモを美音で演奏している。

この瞬間に勝負は決まった。これがフランスのオーケストラをきく喜びであり、フランスのオーケストラをきく喜びのほぼすべてだと言っていい。

この音は、アメリカやイギリスやロシアのオーケストラは肉薄可能だが、日本のそれは千年かかっても不可能だ。美意識、美学、哲学その他がちがいすぎる。

あとは、指揮者がウケねらいの個性的な表現をせずにこのオーケストラの持ち味を引き出すだけでいいだろう。フランスのオーケストラにアメリカの指揮者はミスマッチかもと思っていたし、そう思う人が多かったのか客席も閑散としていたが、オーケストラビルダーとして知られるスラットキンは適任。

この人、大指揮者だとは思わないが、音楽をそこそこのエンタテイメントとして聞かせる才能を持っている。良し悪しは別にして、こういう人はいまの音楽界では重宝されることだろう。

オーケストラ全体として見たときには超一流とは言えない。フランスのオーケストラといえば管だが、とびぬけたスタープレーヤーはいないようだ。だが、全員が室内楽の精神で他のパートをよくきいて演奏しているのがわかる。落ちぶれたとはいえ、これがヨーロッパ、これがフランスだ。

指揮者のエゴを最小限に抑えてオーケストラの美点を最大限に引き出そうというスラットキンの姿勢は、この「スペイン狂詩曲」と追加発表された次の「感傷的で高雅なワルツ」で最も効果をあげていた。ただ前半のラスト「ダフニスとクロエ第2組曲」は、おかれた位置にもよるのか、こぢんまりとおとなしく演奏された。

スイス時計のようと評されたラヴェルの精密かつ緻密なオーケストレーションは堪能できたが、曲が曲なのだから大見得を切るようなところや一期一会の白熱もほしかった。ただ、随所の管楽器のソロはいずれも見事で、フォルテでも決して吼えないホルンなど金管楽器、どこまでも繊細なトランペットなど、音の万華鏡を見ているようではあった。

後半は「展覧会の絵」。通例よくきくバージョンとはずいぶん細部にちがいがあると思ったら、スラットキンがラヴェルの編曲に手を加えたもののよう。ただ、この改変、ムソルグスキーの原曲の土俗性を強調しようとしたのだろうが、それにしては中途半端。

冒頭のトランペットは指揮なしで始まった。しかも奏者はラッパを下に向けている。音は小さく細いが、こういう開始のこの曲の演奏をきくのははじめてだ。この開始、この音色からして、オーケストラはこの曲をフランス音楽ととらえているのではないだろうか。

寂寥感、邪悪さ、白熱、ドラマ・・・そうした、この曲に不可欠と思われるものをこのオーケストラからきくことはできない。そんなものは映画にでもまかせておけ、というところか。ひたすら美しい音が、音同士が会話し手を取り合って踊る。そんな演奏は「音をきく」楽しみ、音楽の原点を思い出させてくれるものだった。

音楽は音の楽しみと書く。音の美しさを味わうのが音楽の入口。食事もそう。栄養をとるためではなく、舌を楽しませるため。これが文化であり、生活とは次元を異にする。

世界屈指の美食の街リヨン。このオーケストラの音をきいてリヨン移住をちらっとでも考えない人間がいたら、なにか人生に対する根本的な態度が間違っている。

というわけで、ちょっとリヨン行ってくる。

アンコールにはオッフェンバック「ホフマン物語」から舟歌と、スラットキンの「ツイスト・カンカン」。

2年ぶりの日本ツァー初日(6月23日、札幌コンサートホール)






最終更新日  July 12, 2016 11:48:56 AM
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May 28, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
長い人生といえどもコントラバスのリサイタルに遭遇することは稀だ。しかも弦楽オーケストラを従えてのコンチェルトの夕べともなれば最初で最後の経験となる可能性が高い。

こう考え、「コンサート・ドロップアウト」の基本方針を曲げて行ったコンサート。行って正解だった。

ソリストは札響のコントラバス奏者だった鈴木祐治氏の実娘。留学とドイツでの歌劇場オーケストラ奏者を経て2014年に帰国し、フリー奏者として活動しながら作曲や編曲も行っている。

単純に足し算していくと30代前半といったところか。ドイツで8年半過ごし、オーケストラでは主要ポストに就いていたらしいが、その経歴に納得できた。

というのは、技術的な完成もさることながら、ドイツ人の言い方を借りるならすべての演奏、その細部に「音楽がある」のである。楽譜という記号から音楽を取り出してくる、その手つきや呼吸がすばらしい。超一流の音楽家と言っていい。

それは、持って生まれた才能だけでなく、作曲や編曲を行うことで音楽を立体的に把握できるせいもあるにちがいない。そもそも演奏だけではなく作曲も志す、そのこと自体が「才能」ではあるが。

たいていの演奏家はこの才能を欠く。作曲をしない超一流の演奏家がいかに少ないか、その作品の質はともかく、その理由を考えたことのある人はほとんどいないにちがいない。

プログラムは前半がヴァンハルのコントラバス協奏曲とボッテジーニのヴァイオリンとコントラバスのための「グラン・デュオ・コンチェルタンテ」で、後者の共演ソリストは札幌出身で仙台フィルコンサートマスターの西本幸弘。

どちらも深い内容を欠くサロン的、サーカス的音楽だが、それだけに演奏者の音楽性が裸になる。凡庸なパッセージが実に魅力的にきこえる。楽しめた、と書いてしまえばそれまでだが、超絶技巧に耳を奪われないようにするのが労力といえるほどのこうした曲に「音楽」を充満させることができるのはほとんどマジックを見ているようだった。

後半は彼女の作品「弦楽のためのラプソディ」(初演)とクーセヴィツキーのコントラバス協奏曲。

「弦楽のためのラプソディ」の語法は後期ロマン派的。最近、「新作初演」にはこうした語法の作品が多くなった。何もすべて前衛的であるべきとは思わないが、戦争を防ぐことのできなかった反省から、それ以前の音楽の否定から出発した戦後の作曲家たちの実験や冒険の精神はどこにどのように受け継がれているのかと思わないでもない。ただ、閃きのある楽想は散見されたので、もう一度きいてみたいと思った。

指揮者として名前の知られるクーセヴィツキーは元々コントラバス奏者だった。コントラバス協奏曲を作ったのはそのせいだったのだろうか。単独楽器の協奏曲としても屈指の名曲といっていいという発見のあった演奏でありコンサートだった。

なおヴァンハルとこの曲の弦楽合奏版への編曲は演奏者じしんによるもので、弦楽合奏は元札響メンバーと地元のフリー奏者による12人編成。指揮者なしの演奏だったためか少しオーケストラが前に出すぎでソロを消してしまう場面があったのが唯一残念。

ルーテルホールはほぼ満席の盛況だった。






最終更新日  June 7, 2016 11:12:31 AM
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April 26, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
元札響チェロ奏者の文屋治実がピアニスト浅井智子を招いて年に1回開き続けているコンサートの25回目。25回のうち半分ほどはきいただろうか。しかし、今回が最も印象に残った。

それは、今までにない集中と密度を演奏に感じたから。どの曲も細部まで完全に自分のものになっている。コンサート後半につれだんだん調子を上げていくというのはよくあったが、最初の曲からすでにエンジンが温まって快調。

札響を退団したことで曲にじっくり取り組む時間ができたせいなのかもしれないし、20世紀のロシア~ソビエトの作曲家の音楽への適性や思い入れが大きいのかもしれない。

グリエール「12の小品」(1910)からの8曲は、どれも佳曲で、第9番「カンタービレ」などはアンコールピースにもよさそう。グリエールの作品は1970年前後にハープ協奏曲を、1989年に交響曲第3番「イリヤ・ムーロメッツ」(短縮版)をそれぞれ札響定期できいたことがあるだけだが、1956年まで生きたこの作曲家の全体を知りたいと思った。

カバレフスキーのソナタ(1962)は作曲者の創意をおもしろく感じた。不協和音ではないが、協和音にわざとぶつかる音を入れてその音を目立たせたり(前2楽章の最後の音もそうだった)、ストラヴィンスキーが「春の祭典」で使った「調性を保ちながら破壊しているように見せかける」手法に似た要素が感じられる。カバレフスキーというと親しみやすい、子どものためのピアノ作品をきいたことがあるだけだが、「社会主義リアリズム」の枠から逃れ出ようという創作家魂は生き続けていたのだ。

休憩後、シチェドリンのソナタ(1997)は、作曲年代からわかるようにソヴィエト連邦崩壊後の作品。シチェドリンというと「カルメン」の編曲だけが突出して知られる不幸な作曲家だが、このソナタをきくと新しい境地を開いているのがわかる。今年84歳になるこの作曲家の、ソヴィエト崩壊後の作品には名作が少なくないと思わせた。

そう思わせる練達の作曲技法と清新さを感じさせる力作だった。

アンコールは極貧のうちに死んだソ連の作曲家ウラジミール・ヴァヴィロフの「カッチーニのアヴェ・マリア」。

ルーテルホールの入場者は70名ほど。そのうち2名は演奏が始まろうというのに私語をやめない女。

東京で最近増えている、50人とか100人規模の小ホールがほしいところ。

すべての作品がまったく未知というコンサートは、現代音楽以外には珍しい。こうしたコンサートに次に巡り合うのは何十年後か?






最終更新日  April 27, 2016 12:54:16 PM
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April 2, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
16時開演、15分ずつ2度の休憩をはさんで終演は19時15分。正味は2時間45分ということになる。これだけの時間、集中を持続するのは聴く方にとっても楽ではないが、演奏者のそれは想像の外にある。コンチェルトやソナタなら休む時間もあるが、弾きっぱなしなのだから。

しかも全曲暗譜で通した。

コンサートに行くのは原則としてやめた。いちばんの理由は時間。ホールのすぐ近くにでも住んでいればいいが、10キロも距離がある。コンサートに出かける往復の時間がもったいない。だいたい8割のコンサートは不満が残るものだが、そうするとストレス解消のために飲酒したくなる。夕方以降の時間がすべて奪われる。

もう一つの理由は未知の曲がないからだ。指揮者のハンヌ・リントゥによると、フィンランドでは現代曲や珍しい曲をやらないと客が入らないという。泰西名曲以外は客が入らない日本とは正反対だが、こういう愚鈍な聴衆を前提とした日本のコンサートの多くは音楽を愛する人間とは無縁のしろものになっている。

この傾向は21世紀になってから強まっている。たとえば、今年は武満徹の没後20周年だが特集するオーケストラもない。

よく知る曲の凡演を愚鈍な聴衆と聞くくらいなら、家で未知の曲、未知の演奏家のCDでもきいていた方がいい。

もし生まれ変わって演奏家になるなら、どの楽器がいいかと夢想することがある。

作品でいえば、ピアノとバイオリン、ギターに尽きるだろう。毎年異なるプログラムで世界を巡業しても10年分くらいのレパートリーがある。

しかし、ピアノは持ち運べないし、場所に制約がある。ピアノのないところでは手も足も出ない。ギターは、あまりに音が小さい。PAなしではほぼ不可能だ。旅する音楽家としては荷物が増えすぎる。

バイオリンは持ち運べるし、無伴奏のレパートリーも多いのでいい。が、演奏家としての寿命は短い。ピアノなら100歳でも大丈夫だが、バイオリンは60代になると厳しくなってくる。寿命が短いのは歌手も同様。

金管はレパートリーが少ない上にさらに演奏家寿命は短い。木管楽器は持ち運びにはいいが、フルート以外は無伴奏のレパートリーが少ないので伴奏楽器もいる。フルート奏者の演奏家寿命もさほど長くない。

こうして考えていくと、最終的に残るのはただひとつ、チェロだ。

もし今度生まれ変わることがあるなら、バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲だけを毎日100人程度の聴衆の前で演奏し続けるチェロ奏者になりたいと思っている。60年間演奏活動でき、年に100回演奏するとして、60万人の聴衆にこの人類史上最高の音楽遺産のひとつを届けることができる。

ひとりあたり5ドルのギャラをもらうとして、生涯に300万ドルの収入であり、100万ドルの楽器を買ったとしても生活できる。

こういうチェリストが100万人ほどいれば、半世紀ほどの間に地球上のすべての人間が一度はこの音楽に生で接することができる。

わたしにとってチェロとはそういう楽器であり、バッハの無伴奏チェロ組曲全曲は人類の命運をかけた音楽のひとつであるとさえ考えている。

だから原則を曲げて行ったのがこのコンサート。招待券をもらったのでたまたま無料だったが、5ドルどころか50ドル以上の価値があった。

バッハのこの曲は、LP時代もCDになってからも、番号順に収められた録音はほとんどない。というのは、番号が増えるほど演奏時間が長くなるからで、後半3曲は一枚のCDに(ふつうは)収まらない。

バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲を番号順にきく機会はかなり限られたものなのだ。

バロックチェロ用の弓を使い、第6番ではバッハが指定した5弦チェロを使った津留崎氏の演奏は、現代楽器でなじんだスタイルの、どこか瞑想的な演奏に比べてテンポも速く、生命力と推進力に富んだもの。

かといってオリジナル楽器の「語りかけるような」スタイルとも異なる。両者の折衷というわけでもない。

津留崎氏が2004年に新十津川町で行ったコンサートのライブ録音はCDになっているが、そのときの演奏と基本的には変わらない。韜晦で重々しい表現はひとつもなく、かといって某超有名チェリストのように流麗に流れすぎることもない。

どちらというと旧世代のペダンチックな演奏になじんでいるので最初は違和感もあったが、次第にバッハのこの曲はこういう演奏がベストなのではないかと思えてきた。いま生まれていま輝いていま消えていく、その連続としての音楽。

6曲を通してきいて初めてわかったのは、前半3曲がよく響く外交的な音楽であるのに対し、後半の2曲は内省的で行間の豊かな音楽であること、最後の6番がその二つを高度な次元で統一した人類の金字塔とでもいうべき音楽であることだ。

第6番がすごい音楽であることはこの2月にきいたペレーニのリサイタルでも感じたことではあったが、通してきいての発見は次元がちがう。高みを目指す人間の精神には限界がないのだということをこの音楽は教えている。

ベルリン・フィルを100回きいたところで、このような精神の高みに触れられることはない。

シリーズ全曲をコンサートできいてみたい、コンサートでなければ発見できないと思われる音楽のひとつをこうして体験できた。

残るのは、バッハの無伴奏バイオリンソナタとパルティータ、バルトークの弦楽四重奏曲6曲、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全15曲・・・。

バッハはともかくこれらは機会がないから、どこか外国の音楽祭にでも出かけなくてはならないと観念している。

津留崎氏の演奏をはじめてきいたのはアマチュアオーケストラの定期演奏会で、たしかラロの協奏曲だった。2011年に東京で開いた連続リサイタルの評判をきいたので出かけたが、それ以来、氏のブログとともに活動には注目している。作曲や編曲にも傾注しているらしいが、音楽の表面だけをなぞるような演奏家ばかりになってきた現在、世界的に見ても聴き続けるべき数少ない音楽家のひとりだ。






最終更新日  April 10, 2016 03:22:20 PM
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March 13, 2016
カテゴリ:クラシック音楽
全く知らない演奏家ふたり、しかもかなりの経歴の持ち主。キャリアからはピークの入り口にあると思われたし、新作初演もある。札幌駅前にオープンした「ふきのとうホール」にも興味があったので足を運んだ。

まず、全く期待していなかったピアニスト居福健太郎に感心した。無機的に響く音がひとつもないのだ。ただの音階、ただの和音が実に音楽的に豊かに響く。音楽が彼の身体に宿っているというか、音楽が背広を着て歩いているといった趣。「デュオ・リサイタル」のタイトルに納得がいった。

圧巻だったのは最後のR・シュトラウス「ヴァイオリン・ソナタ」。音楽以外の要素をいっさい感じさせない純度の高い演奏で、白熱しても音楽が小さくならず、スケール感のある息の長いフレーズで高揚していく。若書きのこの作品がこれほどみずみずしく演奏されたのをきいたことがない。

その前に演奏された平井真美子「オオカミと霧」(委嘱作品・世界初演)は、まあ佳曲といったところか。映画やCMの音楽で活躍している作曲家の純音楽作品というと、逆に複雑だったり奇怪だったりすることが多いが、彼女のメーンフィールドからそう遠くない、しかしぎりぎり芸術作品としての密度を保った作品。

前半、ベートーヴェンの「春」とグリーグの「ヴァイオリン・ソナタ第3番」は、シリアスな表現に好感するものの、遊びとかもう少しボキャブラリーがほしい。狂気とか哄笑といった言葉はこのヴァイオリニストの辞書にはないようだが、ソリスト、特にヴァイオリニストに必要なのは逸脱だと考える。

エレベーターで会場に向かう、というのは東京でしか経験がなかったが、札幌にも初めて音楽専用でそういうホールができた。一階には六花亭が、下の階にはヤマハが入っているので便利な人には便利だろう。音響は、ルーテルホールほどピアノが響きすぎずバランスがいい。外部からの音の侵入もない。ただ音楽の前後の余韻というか非日常性のようなものを味わえるロケーションと内装ではない。






最終更新日  April 12, 2016 02:09:13 PM
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