投資の余白に。。。

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映画

November 22, 2015
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カテゴリ:映画
一日限りのシアターキノ主催「アジア映画祭」で上映された一本。数々の映画賞を受賞した2014年作品。アレクサンドル・コットというロシアの新進映画監督が脚本も兼ねている。

映画の新しい世界を拓いた画期的な作品であり、監督の名は映画史に特筆されることになるだろう。

オペラにしろ映画にしろミュージカルにしろ、言葉の問題というか言葉の壁の問題がある。吹き替えや字幕でなかば解決可能だが、文字を読めない8億人にはこうした芸術は届かない。

それでも他愛ないお話ならバレエで表現できるだろうが、たいていそうはいかない。

この映画にはセリフがない。セリフのない映画はほかにもあるが、そうした映画でも文字を読む必要、字幕が必要なケースがほとんどのはずだ。

しかし、この映画は言葉なしですべてを表現しているし、そのために衝撃度がさらに高まる。この映画はいったい何を言いたいのだろうと「言語脳」で映画を見ている自分の鑑賞姿勢そのものを破壊されるような衝撃があるのだ。

最初はモンゴル映画かと思っていた。父と二人で暮らす少女の、その父の風貌がいかにもモンゴル人のそれだからだ。

少女をめぐって二人の男があらそう。ひとりの風貌が白人のそれなので、その次には旧ソ連の中央アジアの国の映画かと思いながら見た。

予備知識なしに見た人は同じように感じるのではないかと思う。

しかしラストでロシア映画だということがわかる。いや、あまりにも世情にうとい人はわからないかもしれない。

でも、わからなくてもかまわない。この「実験」が何の実験であるか、少女の父がなぜ病気で死んだのかを推測できることができれば、どんな国のどんな民族でもこの映画を100%理解できるし、国家と権力の反人間性のすさまじさに衝撃を受けるはずだ。

一度見て絶対に忘れられない映画は、実は決して多くない。

この映画は「戦艦ポチョムキン」「独裁者」「ローマの休日」などと並ぶ、その数少ない一本である。







最終更新日  December 25, 2015 04:10:57 PM
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May 24, 2015
カテゴリ:映画
coming soon






最終更新日  June 27, 2015 11:25:19 AM
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January 20, 2015
カテゴリ:映画
comming soon






最終更新日  February 28, 2015 09:36:55 PM
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December 23, 2014
カテゴリ:映画
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「蠍座思い出の一本、外国映画の部」として取り上げられたのはダルデンヌ兄弟監督の「ロゼッタ」(1999年)。カンヌ映画祭パルムドールと主演女優賞をダブル受賞した作品。

結論から書くと、この映画は映画に限らずあらゆるジャンルに比類のない壮絶な傑作である。これを超える作品はこの映画の監督たちにさえ不可能だろう。

この映画を見て思ったのは、自分が文化的糖尿病患者になっているということ。というか、ほとんどすべての芸術愛好家はしょせん文化的糖尿病患者となかば軽蔑していた。自分(だけ)はそうではないと思っていた、その自信が打ち砕かれた93分であり、甘さのみじんもない壮絶なラストに言葉を失った。

冒頭、いきなり怒った少女が突進してくる。突然の解雇を言い渡されたロゼッタ(エミリー・ドゥケンヌ)は上役に食ってかかり、ガードマンに排除されつつも強烈に抵抗する。手持ちのカメラによる至近距離のショット。ドキュメンタリー映画よりもドキュメンタリー的な迫真性を感じさせるだけでなく、「定職」に強烈に執着する少女のただならない境遇を印象づける。

これほど単刀直入かつ瑞々しく開始される映画をほかに知らない。薄幸な少女への同情を誘う感傷映画などとは無縁の映画であることが、この鮮烈な冒頭シーンからすでに明らかだ。

16~17歳の少女という設定だろうか。ロゼッタはアルコール&セックス中毒の母親とトレーラーハウスに住んでいる。学校には行っていず、ぎりぎりの貧困の中にいる。そんな彼女は「定職」につくことによってのみ「普通の生活」を手に入れられると信じているのか、なりふりかまわず職探しをしていく。彼女に優しく接してくれるワッフルスタンドの青年の親切さえ踏みにじって職を得る。

ダメな母親を背負ってただひとり生きていこうという少女のエゴイズムを誰が批判できるだろうか。

そうまでして得た職を彼女はあっさりと投げ捨てる。ラスト部分のテンポ、そして切れ味はすごい。「最後の食事」に卵をゆで、額で割って食べる。このあたりで観客は彼女が何をしようとしているのかを察することになるが、「貧困」ゆえに死ぬことさえできないラストに唖然とさせられる。

ロゼッタがどんなに非情で冷淡であっても、生きるためである限りその姿はひたすら美しい。彼女の孤独な戦いは、逆に家族や社会や組織やときに国家にすら守られていないと安心できないわれわれの弱さや甘さを弾劾しているかのようにさえ感じられてくる。

いくつか印象的なシーンがある。ワッフルスタンドの青年リケの部屋で彼と不器用なダンスを踊るシーン、池で溺れかけた彼を助けることをちゅうちょするシーン、ベッドの中で「わたしはロゼッタ、あなたはロゼッタ」ともうひとりの自分に語りかけるシーン、最後の最後で嗚咽するシーンである。

ダンスのシーンでは、唐突に部屋を飛び出す。腹痛のせいのように描かれているが、楽しさや癒しや慰めがあると厳しい生活を戦いぬけなくなるからだ。ほんとうに厳しい生活を送っている人間はささやかな楽しみや幸福さえ拒絶するものであり、ダルデンヌ兄弟の冷徹な人間観察が光っている。

このダンスと続く「もうひとりの自分」との対話のシーンに感動できない人間は一般的な幸福観に洗脳されている。

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他のシーンも安易な解釈をゆるさない多義性に満ちているが、ラストで見せる彼女の涙の受け取り方は千差万別であり、そこに「希望」を見いだす人間は多いだろう。

しかしそれは間違っている。

決して笑わない少女が見せた涙。それはガス切れで自殺の仕切り直しのために重たいボンベを運ばなければならなくなったロゼッタの怒りと絶望の結晶であり、哀しみではなく屈辱の涙だ。惨めさと屈辱の極北でついに彼女は泣く。

嗚咽する彼女の中には神がいる。孤独な戦いを戦いぬいた者だけに宿る神がいる。

これほどの惨めさ、屈辱がかつて映画で描かれたことはなかった。そして彼女の涙は、いや泣いている彼女は、われわれの同情のまなざしさえ拒絶している 。その潔さは崇高なまでに美しいが、同情のまなざしを拒否することに成功したその一点でこの映画は映画史を画する作品になった。

しかしそんなことはどうでもいい。

半世紀以上生きてきて、スクリーンの中でだが、やっと理想の女性と出会うことができた。

ロゼッタ、ぼくと結婚してくれ。

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最終更新日  December 25, 2014 09:54:31 AM
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December 22, 2014
カテゴリ:映画
「蠍座思い出の一本、日本映画の部」に取り上げられた作品。小林政広監督の2007年作。

ミニマルミュージックという音楽のジャンルがある。同じ音型を何度も繰り返すうち、少しずつ変化していきあるとき突然風景が変わる、そんな音楽である。

この映画はそのミニマルミュージックに似ている。冒頭とラストの2ヶ所しかセリフがなく、あとは淡々とした日常の繰り返し。ただしちょっとした変化があり、それが同級生に娘を殺された父親の、加害者の母親に対する気持ちの変化を表している。

監督本人が演じる男は旅館に住み込み工場で働いている。その旅館で賄い婦として働いているのは加害者の母親。その食堂で毎日「卵かけご飯」を食べおかずには手をつけない。そのシーンが執拗に繰り返される。

ロカルノ映画祭グランプリほか多くの賞を得た作品だが、方法論の面白さしか感じるものがなかった。

それは、男が女への気持ちを変化させていく、その過程が無言で描かれているのは面白いが、その変化の理由が理解できないからだ。男はおかずに手をつけるようになっていき、彼女に差し入れをしたりもする。そうした一連のことが男の女に対する「愛の予感」ということなのだろうが、ありえない偶然と不可解な感情の変化を観客に納得させるだけの契機を欠いている。






最終更新日  December 24, 2014 11:04:44 PM
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December 21, 2014
カテゴリ:映画
coming soon






最終更新日  January 31, 2015 11:12:47 PM
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December 4, 2014
カテゴリ:映画
映画館でみた映画は記憶に残る。映画館で過去にみたことのある映画を、見たことがないとかんちがいして二度、三度とみることは(いまのところ)ない。

しかし、テレビでしかみたことのない映画は、みたことがないとかんちがいして映画館であらためてみて気がついたりすることがよくある。溝口健二の「赤線地帯」などは、BSで放送したものを録画して何度もみているのに、映画館でみて、最後のシーンでやっとみたことがあるのを思い出したことがありがく然とした。

しかたがないからテレビやDVDで映画をみることはあるが、そういう経験をしてからテレビドラマなどはいっさいみなくなった。

なぜそういうことが起きるのかを考えてみると、映画館にはおカネを払って入場している。真っ暗闇でみることに集中する。わざわざ出かけた非日常的な場所だ。そういうことが重なって、記憶と印象を強いものにするのだ。

原題はBlood Ties、血の絆とでも訳すのだろうか。

携帯電話もCDもないし、登場人物がレコードでかける音楽は1970年代以前のものだから、舞台はそのころのニューヨーク。

有能でマジメな警察官の弟のところへ、刑務所を出所した兄が転がり込んでくる。最初はマジメに働いていたが、娑婆の風は冷たく、また悪事に手を染めるようになる。

一方で逮捕した犯人の妻と復縁した弟は、出所した犯人から命を狙われるようになっていく。

こうしてどんどん悪い方向へ物事がすすんでいく中、兄弟の絆が深まるという逆説的な展開がユニーク。とうとう露見して警察に追われる兄が、弟を助けようと必死になるラストは、留保はつくが感動的。

その留保とは、この兄がほんとうに悪いヤツだから。自分の妻をレイプして殺した男を殺した罪で刑務所に入っていたというふれこみなので、悪人というより直情径行型の人間なだけなのだ、と思いながら見ていると、ヒットマンはやるわ、銀行強盗で殺さなくてもいい警備員を殺すわとやり放題。元妻に売春宿を経営させたりもする。

そんな男なので、弟に対する捨て身の愛情表現の感動が半減してしまうのだ。

とはいえ、ラストでこの兄(クライヴ・オーエン)が見せる笑顔の表情は最高にいい。

このシーンは、たぶんテレビで見ても記憶に残らないだろう。

映画館でみたからこそ印象が強く、記憶に残るラストだった。

ニューヨーク(ブルックリン?)が舞台だが、どこかフレンチ・ノワールの趣きがあると思ったら、監督はギィヨーム・カネというフランス人。俳優でもあるらしい。2013年、米仏合作。






最終更新日  December 6, 2014 01:16:27 PM
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December 3, 2014
カテゴリ:映画
結論から書くと、この映画は稀有な傑作だ。

ただし、一度見ただけでこの映画のすごさのわかる人は限りなくゼロに近いのではないだろうか。わたしも、二度見てやっと腑に落ちた。二度見たからといってすべてを理解できたわけではないかもしれないが、一度目には5%だった理解が95%にはなったと思う。

2011年カンヌグランプリのこの作品は、今年日本で公開された映画ではベスト1ではないだろうか。

トルコのジェイラン監督は世界的に高い評価を得ているカンヌ映画祭の常連らしく2014年にはパルムドールを受賞している。にもかかわらずこの監督の作品が日本で上映されるのは初めて。

感銘を受けると同時に、日本ではいい映画は映画館にかからなくなっている現実に暗澹とした気持ちになった。

冒頭部分では3人の男が酒を飲みながら談笑している。二度見てわかったのだが、うち二人は殺人事件の容疑者とされる兄弟で、もうひとり、犬の餌やりに外へ出る男が被害者だ。

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夕暮れの草原を3台の車が走ってくる。車から連れ出された容疑者は、死体を遺棄した場所を警部に尋ねられるのだが要領を得ない。意図的かどうかはわからないが、捜索は難航する。警部、調書作成のための検察官、検視のための医者、記録係、軍警察や発掘人といった人々が容疑者のあいまいな記憶によってアンカラ郊外の広大で荒涼とした草原(アナトリア地方)を引き回されていく。

ネタバレを承知で書くと、どうも殺人を犯したのは兄弟のうちの発達・知的障害のある弟の方で、兄は庇っているようだ。殺された男の子どもは実は自分の子だと兄は供述し、正義感は強いが単純すぎるところのある警部は困惑し態度を変えていく。

夕暮れに始まった捜索は夜になり、近くの村で食事をする。このシーンは印象的かつ幻想的で、停電の中、お茶の給仕に現れた村長の娘は天使のように美しく、容疑者の兄は自分が殺した(とされる)相手が生きている幻想を見る。

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翌朝、死体を発見し、街に戻ってからは医者と検事を中心にしてストーリーは進む。この集団の中のダントツのエリートと言っていいこの二人には、それぞれ離婚と妻の自殺という過去があり、検視の準備が整うまでの二人の対話というか会話は意味の含有率が高い。一度目に見たときもこの部分は理解できた。

検視でこの医者は謎めいた行動をとる。それは弟の罪をかぶろうとしているかもしれない兄の罪を軽くするための行動に思えるが、映画ではそういう暗示すらない。

ラストシーンも印象的で、哀切、などという言葉が軽薄かつ陳腐に思える。被害者の妻と子が遺品を持って帰っていく姿をこの医者が室内から眺める。このシーンはかつて映画で表現されたことのない何かを表している。

その意味ではこの映画は映画史を画する作品といえるかもしれない。

この監督は人も人生も様々であり、正義もまた一様ではない。人生とは謎であり、その謎を解くことはもしかすると誰にもできない、といったような世界観の提出を試みているように思えた。そしてその理解はさほど間違ってはいないはずだ。

若いカップルのデートにこれほど向かない映画も珍しい。

しかし、この映画を見て、長所の一つも発見できないような相手であれば付き合う価値はない。

その長所とは、トルコの田舎の風景とその暮らしの一端やアジアのそれとさほど変わらない都市の街並を見られること、芸術的な構図ばかりで安易なカットが一つもないこと、157分の長尺ながら密度が高いこと、キャスティングが異常といえるほど見事なこと、俳優の演技が自然でまるで俳優に見えないこと、音楽がないことなどだ。

これらのうち一つも気づかなければ、その人間は美と真実と思索に無縁だということだ。

あぶないところだった。一度目はうっかりウトウトしたのでその欠落を知りたくて二度見たが、二度見なければこの監督についてとんでもない誤解をしたままで終わるところだった。

もう一度見るかどうかは最終日までに決めることにする。

こういう映画はヨーロッパはともかく、日本やアメリカからは絶対に生まれてこない気がする。






最終更新日  December 6, 2014 01:33:19 AM
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December 2, 2014
カテゴリ:映画
見終わったあと、ラストの意味がまったくわからなかった。

2013年のカナダ映画。ドニ・ヴィルヌーヴという監督は、人間の裏面というか歪んだ心理に興味のある人のようだが、こちらにはあまり関心がないのが、意味不明な理由のひとつではあるかもしれない。

木訥な大学講師アダムは自分の瓜二つの男を映画の中に見いだす。彼には恋人が、探しあてたその男優には身重の妻がいる。

男優はアダムに一日だけお互いが入れ替わろう、恋人を一日だけ貸してくれ・・・と提案することから事態がややこしくなっていく。

で、呆気にとられるラストが待っているのだが、これは左脳では理解できない。たぶん、すべてはアダムの幻想というか「もうひとりの人格」との対話なのだと思うが、それにしてはつっこみどころも多い。

いわくありげな秘密パーティのシーン、蜘蛛、不気味さだけをかりたて続ける音楽。サスペンスめいているが、結局のところサスペンスでもない。

これはカップルで見て、身重の妻の心理や監督の意図を「ああでもない、こうでもない」と延々と論じたり推測したりして楽しむための映画なのかもしれない。






最終更新日  December 5, 2014 12:43:15 PM
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December 1, 2014
カテゴリ:映画
韓国映画には、サスペンスものに秀作が多いように思う。この「ブラインド」もまぎれもない秀作。2011年の作だが、日本ではまともに劇場公開されなかったという。

韓国のサスペンス&スリラーの常として、グロいシーンはある。それで避ける人は多いようだが、欧米のそれらとはちがい、表面的な恐怖よりも心理的なものに主眼がおかれている。

思いがけない人が実は犯人だった、という映画ではない。観客にはすべて手の内というか犯人も明らかにされている、王道をいく作品。犯人を追う、あるいは犯人に追われる人たちの判断や行動にドキドキ・ハラハラさせられる。ただしこの映画が秀作なのは、孤児院で育った姉と弟の愛情がベースにあって感動的でもあるからだ。

弟に対する愛情のために交通事故に遭い、弟は死に、自分は視力を失ってしまった元女性警察官が主人公。雨の日に乗ったタクシー運転手の異常な言動を通報したことから、サイコパスの犯人に命を狙われるようになっていく。

熱心だがツメが甘く無警戒。警察は基本的にどんくさい存在として描かれている。サイコパスは警察を先回りし、彼女と目撃者であるもうひとりの若者(この若者が死んだ弟と同じ年齢、ということで印象がだぶるようになっている。二人は疑似姉弟のような関係になっていく)を追いつめていく。

最大の見せ場は後半30分。地下鉄駅でサイコパスと遭遇した盲目の彼女を携帯のテレビ電話機能を使って逃走させたり、停電した建物の中でのサイコパスとの対決は、盲人でも智恵と判断力でここまで闘えるという感銘に痺れること請け合いだ。多くの人はヘプバーンの「暗くなるまで待って」を思い出すかもしれない。

どこか日本のタレントに似た俳優が散見される脇役たちのレベルも高い。盲導犬「スルギ」もいい味を出している。スルギが殺されたシーンではすすり泣きさえ聞かれたほどだ。

「新しい世界」もそうだったが、こういう優れたサスペンス&スリラーを見ると、日本人に比べて韓国人はなんて優れているのかという「民族的偏見」すら抱いてしまう。






最終更新日  December 2, 2014 02:18:30 PM
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