こんなコンサートに行った〜東京混声合唱団第229回定期演奏会
東京混声合唱団、略して東混の夏の北海道公演がすばらしかったので東京まで定期演奏会を聴きにきた。伊藤翔という若い指揮者のコンダクター・イン・レジデンス就任記念。プログラムはすべて未知の曲。しかも委嘱新作の初演もあるという。札響は日本の若い指揮者を定期演奏会にあまり登用しない。だから若手指揮者を知るにはこういう機会をとらえるしかない。その伊藤翔という指揮者は1982年生まれだから30歳になったばかり。2011年のヴィトルド・ルトスワフスキ国際指揮者コンクールで2位になった人。東京シティ・フィルや神奈川フィルと関係の深い人らしい。閃きのようなものは感じなかったが、手堅く端正でバランスのよい音楽を作る。謙虚だが思い切りのよい一面もある。期待してよい指揮者だと思う。プログラムはすべて無伴奏。前半はイギリス近代。イギリスの合唱音楽には魅力的な作品が多い。アイルランドやスコットランドの美しい民謡の数々を思えば当然だが、日本ではほとんど演奏されない。一曲目のスタンフォード「青い鳥」は美しいメロディラインといかにもイギリス的なハーモニーが魅力的な佳作。「8つのパートソング」の第3曲とのことだが、他の7曲もぜひきいてみたいと思わせた。いずれも10分程度のブリテン「5つの花」、ヴォーン・ウィリアムズの「シェイクスピアの詩による3つの歌」は、小品ながら大作曲家の独創性が感じられる曲。特にブリテン作品のユーモアと構成力には舌を巻く。芸術作品として格が一段上という印象。後半は委嘱作品の初演を含む池辺晋一郎の合唱曲4曲。30年以上前にやはりこの東京文化会館小ホールで東混の定期をきいたときも、プログラムに池辺晋一郎の作品があった。よほどこの団体と関係の深い作曲家なのだろう。この日演奏された4作のうち3作が東混の委嘱作。プロ合唱団としての経営には並大抵ではない困難がともなうと思うが、その中にあっての新しい音楽の創造への貢献は高く評価されるべきだ。1970年の相聞1と2は、かなり実験的な書法で書かれているようでいて、いまとなっては柔らかな叙情性さえ感じさせる。2005年の相聞3、小池昌代の詩による新作「窓の声、光の声」はもちろん円熟味と叙情性が格段と深まっているが、実験的な書法の初期作でも、この作曲家が本質的に抒情とドラマの人であることがわかる。後半では作曲者自らが自作について語ったが、得意のギャグは健在。現在は8番と9番の交響曲を同時に作曲しているそうだが、ハチクの勢いで作曲しなければいけない、というギャグは爆笑を誘った。しかし彼の作品は多面的ではあるもののごった煮に感じられることが多く、深い体験として残らない。多様式主義というより折衷的に感じてしまう。1970年代のホープだった水野修孝、三枝成彰、そしてこの池辺晋一郎といったひとたちに共通するのは職人技であり、それ以上でも以下でもない。アカデミズムの補完物で終わりかねないというか終わりつつあるのは彼らの才能に照らすとき惜しい。12月14日、東京文化会館小ホール。