このたびの旅~娼婦とビールとウィーン・フィル
ウィーン3日目。ウィーンに着いたのが土曜だったので商店はほとんど休み、しかも宿代を前払いしたためキャッシュがなく外食もできず往生した。日本から持参したクルミとカロリーメイトと飴がなければかなり悲惨だった。あてにしていた宿は満室だった。そこで紹介された宿に来たが、FUNFHAUSEという名の家族経営とおぼしきペンションはさらに安く清潔で広い。ツインのシングル利用で朝食つき34ユーロ。日本のガイドブックには載っていないし、観光局のホテルリストにもない。ウィーン西駅から徒歩6~7分だが、繁華街とは反対方向のせいか夜になると売春婦がたくさん出てくるおもしろい地区。ウィーンにこんな場所があるとは驚いた。コンサートのあと宿にたどりつくまでの彼女たちとの連日のバトルも、いつかいい思い出になるだろう。ウィーンの女はみな愛想がなく陰気とばかり思っていたが、娼婦たちはおおむね陽気で親切だ。宿を探していたら尋ねもしないのに教えてくれた。ウィーンもパリやニューヨークほどではないが人種のるつぼで、中近東やアフリカからの移民を数多く見かける。よりによってなぜウィーンにと聞きたくなるが、街娼はオーストリア人の若い女が過半のようだ。ウィーンにおける街娼の現地人比率と平均年齢について、レポートできるくらいフィールドワークしてみたいものだ。このペンションはインターネットができないが、近くのレストランで「hotspot FreeInternet」という表示を見つけた。聞くと、何か飲食すると無線LANが使えるらしい。さっそくいちばん安いメニューを頼んで、パスワードを教えてもらった。この店の向かいには国際電話のかけられる店があり、日本へは1分0.15ユーロでかけられる。コインランドリーがどこを探してもないのを除けば、バックパッカーにも便利な場所だ。3日もたつとバンコマート(街角にあるATMのようなキャッシュディスペンサー)の使い方もおぼえ、宿の近くにスーパーも見つけた。地下鉄も乗りこなせるようになった。都心は地図なしでも歩けるようになった。19年前に12時間だけ滞在したときの記憶や印象とあまりにちがうのでとまどったが、毎日、できることが増え自由が広がっていく旅の快感を思い出している。きょうはコンツェルトハウスでマーラーの交響曲第6番を聴いた。この曲を実演で聴いたことは4~5回あるが、世界的なメジャーオーケストラで聴くのは初めて。トーマスの音楽作りには本質的な問題を感じるが、こんなにもいろいろな音が聞こえてくるのかと驚いた。やはり同じ曲でも優れたオーケストラで聴くのとそうでないのとではちがうものだ。それにサンフランシスコ響の、音程のいいこと。管楽器のハーモニーが、まったくと言っていいほど濁らない。35年前に聴いたとき思った「音色の美しさ」は、実はこの音程のよさがもたらした印象だったのではと思う。 きのうは世界三大ホールのひとつと言われるムジークフェラインでダニエレ・ガッティ指揮ウィーン・フィルを聴いた。運良くキャンセルチケットが手に入り、初めて客席で座ってウィーン・フィルを聴いた。サンフランシスコ響に比べると、ウィーン・フィルはアバウトだ。ベートーヴェンの「英雄」がメーン・プログラムだったが、きみたち、もう少しベートーヴェンの音楽をテキストとして読む訓練をした方がいい、という演奏。しかしその発声というか発音(音の始まりの部分)の柔らかい美しさは格別。前半に演奏されたベルクのバイオリン協奏曲はウィーン・フィルメンバーの音楽的教養の深さを如実に感じさせるニュアンスの万華鏡というべき名演。この曲はバイオリン協奏曲には珍しくトロンボーンが使われているが、ソロをまったく邪魔することのない演奏はオペラ座のオーケストラの面目躍如。歌の邪魔をしない、しかし決して痩せることのない響きは圧巻だった。この曲はウィーン・フィル以外で演奏してはいけない、というくらいの名演でガッティの暗譜の指揮にも驚いた。ソロはホーネックという人だったが、ソロがオーケストラと対立するのではなく、融合し対話し協調していた。ウィーンのビールには期待していた。コンサートがはねたあと、シュテファン寺院近くにあるビール会社直営のビールレストランに行ってみたが、何杯も飲みたいほどではない。これなら500CCで0.6ユーロの缶ビールでじゅうぶんだ。日本のビールが改良に改良を重ね、ドイツにはかなわなくてもオーストリアのビールを追い越したということだろう。