朝日新聞2014年8月21日の記事です。
写真:Kさんの首の付け根と、胸部から摘出された腫瘍
「胚細胞腫瘍(はいさいぼうしゅよう)」になった、東京都の会社員Kさん(27)。昨年3月、国立がん研究センター中央病院(東京都中央区)で、首の付け根と胸部の腫瘍を切除する手術を受けた。その直後、呼吸困難に陥り、意識を失った。
気胸が原因だった。手術後、肺の周りに空気がたまり、肺が膨らむのを妨げていた。処置を受けて良くなり、4月に退院した。
死を覚悟し、意識が大きく変わった。人生これでいいのか。社会に何も貢献できていなかったと自らのこれまでの生き様を顧みた。
自らのブログのタイトルを「25歳からのがん克服記」に変え、闘病の記録を発信した。医学的な知識を責任を持って伝えることはできない。でも、経験者だから伝えられることがある。そう思った。
口に出しにくいこと、聞きにくいことも書いた。例えば、抗がん剤治療の前に言い渡された「精子保存」。精巣を切除するわけでないのに「なぜ?」という驚き。診察を受けるのが、なぜか産婦人科で女性だらけの待合室の恥ずかしさ。ダジャレを交え、ユーモアたっぷりに記した。同じ思いをしている、自分と同じ若い患者が少しでも笑顔になれるように。一緒にがんばろうと思えるように。
抗がん剤治療で入院中に見知らぬ男性から手渡されたパンフレットにも目を通してみた。表紙には「STAND UP!!」の文字。若いがん患者が情報交換したり、交流を深めたりする団体だった。同世代の患者の闘病体験に励まされた。すぐに入会した。
5月上旬。腹部のリンパ節の腫瘍を切除するため、再入院した。リンパ節は腸の裏側にある。脂肪にくるまっているリンパ節を血管や神経を傷つけないよう慎重に切除する。可能性は低いが、近くを走る神経を傷つけて射せい障害が起きるリスクがあると、泌尿器科医から説明を受けた。「大丈夫だろう」と気にも留めなかった。
手術後、腸の機能が落ち、1週間まったく食事をとれなかった。抗がん剤治療後に体重が63キロから58キロまで落ちたが、この手術でさらに45キロになっていた。
しかし、容体も落ち着き、退院することになった。大阪府高槻市の実家で療養していたKさんを思わぬ事態が襲った。
(原文はご本名で書かれているようですが、ここでは頭文字表記にさせていただきました。)
私も自分自身の闘病記を拙い文章ですがこのブログに綴っています。放置すれば余命数週間かもと言われ、どうせ命が短いなら、自分自身の存在を家族や友人だけでなく、私が全く知らない人に読んでもらって、この世での存在感を少しでも高めたいという思いでした。
それが抗癌剤の効果で腫瘍が小さくなり、生きながらえ、その後、粒子線治療に出会いこうやって元気に過ごしています。
再発や腎不全のリスクが高く、この先どうなるかは分かりませんが、今は、私の体験を同じような病気で悩む人に伝えて少しでもお役に立てればという思いで書いています。
このKさんと同じような気持ちです。
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