2021/03/07(日)11:06
【京都検定勉強】#8 能 解答
「能」編の解答です。
そうだ京都、行こう。 仁和寺2010年春
(下記行をクリック)
https://www.youtube.com/watch?v=LdPyroQOr0I
自分で出題し投稿した問題への解答です。正解の場合は、何も記入していません不正解の場合▲→の後に正解を示しています。
●能
・能は奈良時代に唐から輸入された芸能(散楽)から発達したもので、
平安時代以降は(猿楽)と称され、当初は社寺の(神事)や(法会)
の儀式に用いられた。
・鎌倉時代、近畿地方の(神事猿楽)が演劇的要素を取り入れて(猿楽能)
に発展した。
・南北朝時代、南都興福寺に(大和猿楽)四座が奉仕していた。
それらは(円満井座)(金春流)、(結崎座)(観世流)、(外山座)
(宝生流)、(坂戸座)(金剛流)である。
・その中から(結崎座)の観阿弥・世阿弥父子が出て、足利義満の愛顧を
受けて、京都に進出した。
・世阿弥は、(猿楽能)に(田楽能)の歌舞や(曲舞(くせまい))のリズムを
取り入れ、また(夢幻能)の様式をつくり、歌舞を主体とした(幽玄)な
(優美な)能を完成させた。
以降、京都の(武家社会)に(猿楽能)は定着し、(観世座)を中心とした
(大和猿楽四座)が活躍した。
・江戸時代になると、大和猿楽四座は(江戸幕府)の直接支配に入り、その
(儀典能▲)→式楽(儀式の能)をつとめることが任務とされた。そのため家元は
江戸に在住し、一方京都では(大和猿楽四座▲)→京観世五軒家などの弟子たちが、
町人社会に(素謡(すうたい))を広めていくことになった。
・世阿弥は父観阿弥が基礎固めした(物まね)主体の大衆的な能を、(歌舞)
主体の(幽玄能)へと洗練させ、能の芸術性を高めた。
著書に(風姿花伝)、(花鏡)、(▲)→至花道
フルネームは世阿弥(元清)
(足利義政)からは排斥され、後継問題で(義政)に抵抗。佐渡に配流されたが、
(一休宗純)の尽力で帰洛した。
(真珠庵)に供養塔がある。
・江戸時代、当初は、(観世流)脇方の(福王流)家元の(服部宗巴)、後に息子
の(宗碩)が、観世京屋敷の管理と観世流の諸用向きを取り仕切り、(服部家)
の門弟であった、(岩井)(浅野)(薗)(林)(井上)の五家を(京観世
五軒家)と称した。(宗碩)没後は(服部家)に代わって(片山九郎右衛門家)
が、京都の観世流を取り仕切る体制に変わった。
・京都の金剛流はもと(野村姓)で、(阿波藩)に仕え、京都に住んで(禁裏御能)
をつとめていたが、文久2年(1862)、金剛姓を許され、分家に準ずる家柄となった。
その後、家元の坂戸金剛家に後嗣がなく断絶したときに、他の四流家元の推挙に
より、昭和12年、京都金剛家の初世(金剛巌)が家元を相続。以降、同家が家元
を継承している。
・能、狂言 ゆかりの地
能 嵐山(あらしやま) 嵐山
狂言(因幡堂(いなばどう))因幡薬師堂
能 浮舟(うきふね) (宇治橋)
狂言(▲)→鬼瓦(おにがわら) 因幡薬師堂
能 (▲)→花月(かげつ) 清水寺
能 (鉄輪(かなわ)) 貴船神社 晴明神社
能 鞍馬天狗(くらまてんぐ)(鞍馬寺)
狂言 猿聟(さるむこ) 嵐山
能 舎利(しゃり) (泉涌寺)
能 正尊(しょうぞん) (仁和寺▲)→冠者殿社
能 草紙洗(そうしあらい))(小野小町)双紙洗水
能 田村(たむら) (清水寺)
狂言(▲)→通円(つうえん))宇治橋
能 (土蜘蛛(つちぐも)) 土蜘蛛塚
能 (経政(つねまさ)) (▲)→ 仁和寺
狂言 仏師(ぶっし) (▲)→ 因幡薬師堂
能 熊野(ゆや) (清水寺)
能 頼政(よりまさ) (宇治橋)
狂言 六地蔵(ろくじぞう)(因幡薬師堂)
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