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2015/10/12
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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを延べさせていただいています。

≪2015年4月7日≫

 朝の情報番組「めざましテレビ」(フジテレビ系)のキャスター、大塚範一(おおつかのりかず)さん(66)はそのとき、ゴルフ場にいた。

 2011年10月27日の木曜日。ラウンド中に何げなく手で首筋をなでると、そこに小さなしこりがいくつかある。反対の首筋をなでると、そこにもしこりがあった。

 自宅に帰り、入浴後に改めて体を念入りに調べてみると、足の付け根の鼠径(そけい)部にもしこりが見つかった。

 当時63歳。自覚症状は何ひとつなかったが、さすがに心配になった。金曜日の番組終了後、自宅近くの通い慣れた個人クリニックを訪ね、血液検査をしてもらった。

 「私自身は、全然深刻に考えていなかったんです。その証拠に、翌日の土曜日も次の日曜日も、連日ゴルフに行っているんですから」

 事態は31日の月曜日に動き出す。いつものように午前3時45分にテレビ局の迎えの車に乗り、午前5時25分に番組がスタート、午前8時に終了。そこへクリニックの医師から電話がかかってきた。

 「検査の結果が出たので、できるだけ早く病院に来てもらえませんか」

     ◇

 クリニックに駆けつけると、「血液検査で異常が見つかった」と、医師はすぐさま精密検査を受けることを勧めた。

 翌11月1日、東京都内の大学病院を受診した。「ブラスト」(芽球〈がきゅう〉)と呼ばれる、健康な人の血液には存在しない「がん細胞である可能性が高い血液細胞」が見つかった。その日のうちに、急性リンパ性白血病と診断された。

 「このまま入院を」と言われたが、「まったく準備をして来なかった」と頼み込み、翌日に入院した。

 病名に打ちのめされるというよりは「まいったな、困ったな、という感じ」だった。「考えたのは、毎朝の番組のことだけでした。『めざましテレビ』は私のすべてでしたから」

 「めざましテレビ」は1994年4月1日にスタートした。当時、同時間帯の視聴率1位を独走していた「ズームイン!!朝!」(日本テレビ系)を追い越すことが至上命令だった。

 当初は平均視聴率が5%以下と低迷していたが、04年春ごろから平均視聴率が10%を超えることが多くなり、時間帯民放1位を獲得するようになっていった。

 「覚えていますよ、放送初日の視聴率はなんと2・1%です。だから、私は17年半無欠勤の『めざましテレビ』と一緒に成長したという思いがあるんです」

 健康には人一倍気をつかっていた。仕事一筋。でも番組が楽しいから「ストレスはゼロ」。早朝番組を担当しているから早寝、早起き、夜遊びはしない。食べ物に好き嫌いもなく、たばこは吸わないし、お酒も付き合い程度。人間ドックには年に1回入り、趣味のゴルフは年間50ラウンド以上をこなし、足腰を鍛えていた。

     ◇

 華やかなテレビの世界から、病室の天井を見つめて時間を過ごす生活になった。

 「悲嘆にくれるという感じじゃなかったですよ。ああすればよかった、こうすればよかったと自分を責めることができたら嘆きようもあったでしょうが、白血病って原因も予防法もはっきりせず、防御ができない事故のようなもの。あきらめるしかない」

 入院後に、医師とこんな会話があったという。

 「先生、はっきり言ってください。生存率はどれぐらいなんでしょうか」

 「3~4割です」

 「5割もないんですか?」

 一般的に、白血病では「生存率」は治療が終わってから5年以上の長期生存率を指す。説明では、抗がん剤治療による生存率は3~4割、骨髄移植をした場合は4~5割になるということだった。

 ただ、医師はこう付け加えたという。「骨髄移植が有効ですが、63歳という年齢を考えると、感染症や合併症などのリスクが高まります。抗がん剤か骨髄移植か、最終的にどっちを選ぶかは、大塚さんの人生観なんです」

 白血病の診断から1週間ほどたった11月7日。病院から電話で「めざましテレビ」に「生出演」し、視聴者に正式に語りかけた。番組は別の男性アナウンサーが「代行」する形になっていた。

 「完全復帰は来年(12年)の3月、4月になるんじゃないかと思います。必ず戻ってきます。しばらくお待ちください」

 抗がん剤治療か、骨髄移植か、まだ決めていなかった。しかし、いつ骨髄移植になってもいいようにと、医師のすすめに従って移植希望の登録を済ませた。

 だが、HLA型と呼ばれる白血球の型が適合するドナー(提供者)がなかなか見つからなかった。骨髄移植での定着率がよくドナーの細胞への拒絶反応が起こりにくいとされる血縁者のなかにも、HLA型が合う人が見つからなかった。年齢のリスクも考え、自然と抗がん剤治療で白血病と闘う方向になっていった。


 <おおつか・のりかず> 1948年、東京都生まれ。早稲田大卒業後にNHKに入局。「クイズ百点満点」などの司会やスポーツの実況中継を担当した。94年3月、NHK退局。4月から「めざましテレビ」(フジテレビ系)のメインキャスターになり、約17年半にわたって務めた。

 
写真:抗がん剤治療で髪が薄くなり、「最近は帽子でおしゃれを楽しんでいる」と話す大塚範一さん=東京都渋谷区
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写真:「めざましテレビ」時代の大塚範一さん=1995年2月
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写真:入院時につけていた日記。最初のページに「前日から首のリンパに腫れを感じ」などと書かれている
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 当時の大塚さんって、「元気はつらつ」というイメージがあり、病気とは縁遠い雰囲気でしたが・・・・

 「白血病」は「不治の病」と言われていました。でも抗がん剤などの進歩で、長期生存が可能になっています。抗がん剤で完治が期待できる数少ない「がん」のようです。

 「がん」=「死」というイメージが、患者になって大きく変わりました。


 私が粒子線治療で入院していたときにこの記事を読み、そのときは下記のように投稿させていただきました。

http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201504110005/


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最終更新日  2016/09/27 07:02:20 AM
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Re:●がん 大塚範一の闘い:1 仕事一筋、白血病で一転(白血病)(10/12)   ケイサン9574 さん
 あの時から、4年ですね。現在は、大分に治療法も、改善進歩したように思いますが。 (2015/10/12 11:35:27 AM)

Re[1]:●がん 大塚範一の闘い:1 仕事一筋、白血病で一転(白血病)(10/12)   ワルディー・ヨーリョ さん
ケイサン9574さん
> あの時から、4年ですね。現在は、大分に治療法も、改善進歩したように思いますが。
-----
コメントありがとうございます。
そうですね。医療技術は日進月歩ですね。例えばITの進化とか、家電の進化は日々目にしているので知っていますが、医療の進歩は普段情報があっても、自分に関係ないと思い、あまり気にとめていないのが人の常です。ですので、患者になったとき自分自身で知ろうという努力をすることが重要だと、病気をしてみて痛感しました。 (2015/10/12 11:00:14 PM)

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