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2019/01/06(日)00:42

【京都検定勉強】#97 日蓮宗の寺院#3 解答

京都検定1級受検勉強(239)

日蓮宗の陣#3(本能寺・光悦寺・常照寺・常寂光寺・宝塔寺)の解答です。 不正解だった場合は▲とし、その後に正解を記入しています ●本能寺(中京区) ・(▲法華宗本門流)の本山 ・開山の(日隆)が応永22年(1415)に油小路高辻に創建した(本応寺)が前身。 ・(豊臣秀吉)の転地命令で現在地に移転 ・寺中の(高俊院)の(日甫)((大住院以信))は、(華道本能寺)の始祖。 ・(織田信長)の供養塔をはじめ、文人画家の(浦上玉堂・春琴)の墓もある。 ・国宝の(伝藤原行成)筆の書巻は(本能寺切)と呼ばれ、(鳳凰文)の  (雲母刷り)のある4枚の唐紙に(小野篁)(菅原道真)(紀長谷雄)の  文書を(行成)が記したとされる。 ●光悦寺(北区) ・(本阿弥光悦)が元和元年(1615)に(徳川家康)から拝領した鷹峯に草庵とともに  建てた、傍らの(法華題目堂)に始まる ・光悦村が形成された後、(本法寺)12世の(日慈)が開山となって寺に改め、現称  となった。 ・(本阿弥庵)(三巴亭)(了寂軒)(徳友庵)などの7棟の茶室があり、有名な  (光悦垣)がある。 ・木造光悦坐像は(高村光雲)作 ●常照寺(北区) ・元和2年(1616)に(日乾)が(本阿弥光悦)の寄進した地に開創。   ・寛永4年(1627)には僧侶の学問所として(鷹峯檀林)を開設し、(山城六檀林)の  一つとして栄えたが、明治には新規学制導入とともに廃檀となった。 ・当寺は(日乾)に帰依した(吉野太夫)のゆかりの寺として知られ、(太夫)の墓や  夫の(佐野紹益(灰屋紹益))との(比翼塚)がある。  (太夫)が寄進した(吉野の赤門)と呼ぶ山門や、(吉野窓)、(吉野桜)、  (帯塚)も有名。 ・(4月)第3日曜には、(吉野太夫花供養)がある。  (島原)の太夫が(内八文字)を踏みながら、太夫道中を披露し、(禿)とともに  (吉野太夫)の墓に詣でる。(太夫)による(野点席)がある。 ●常寂光寺(右京区) ・16世紀末に(▲本圀寺)16世の(日しん(示遍に眞))がこの地に隠棲したことが起こり。  元和年間(1615-24)に堂舎を建立。  寺名は(常寂光土)の趣をもつことに由来する。 ・(藤原定家)の歌「(忍ばれむ物ともなしに小倉山軒端の松ぞなれてひさしき)」  にちなんで(軒端寺)とも呼ばれる。 ・(多宝塔)は重文。 ●宝塔寺(伏見区) ・嘉祥年間(848-51)に(▲藤原基経)が(極楽寺)を開創したのに始まる。 ・当初は真言宗であったが、延慶年間(1308-11)には住持の(▲良桂)が(日像)に  帰依して日蓮宗に改め、康永元年(1342)の(日像)の没後、その廟所として  (▲鶴林院宝塔寺)と改称。 ・応仁の乱後の荒廃は(妙顕寺)の(▲日堯)の弟子の(▲日銀)によって復興された。 ・(本堂)は重要文化財で、慶長13年(1608)の建築。  京都の(日蓮宗本堂)で最古。 ・永享10年(1438)建立の(多宝塔)も重文。 ・境内には(夫婦塚)という(宗有・妙正)の墓がある。  (宗有)は(肺病治癒)の名医とされ、(肺病平癒)の信仰を集める。 よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 __________________________________ 「京都検定過去問」カテゴリー一覧表 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28 「京都検定出題傾向分析」カテゴリー一覧表 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=30 「京都検定勉強」カテゴリー一覧表 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=31

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