テーマ:京都。(6063)
カテゴリ:京都検定1級受検勉強
神社#6(今宮神社・大田神社・建勲神社・平野神社・わら天神・首途八幡宮・護王神社・出世稲荷神社・白峯神宮・晴明神社)の問題です。
●今宮神社(北区) ・( 社)ともいう ・平安初期に疫病を祓うために京中の人々が当地に( )を祀ったのの由来するとされ、 長保3年(1001)の疫病流行のときんは、神殿を造営し、( 社)と呼ばれた。 ・創祀以来一貫して( )の神とされ、( 祭)は疫神を鎮める( 祭)と して始まった。この祭は( 月)第2日曜にある。 ・境内には( 社、 ( 社))や( 者)が祀った( 神社)などの摂末社 が建つ。 ・不思議な石( さん)がある。 ・あぶり餅の店は2軒( )と( ) ( )をつけて炭火であぶり( )のたれをつける。 ●大田神社(北区) ・五穀豊穣を願ってこの地の( )を祀ったのが始めという。 ・のちに( 神社)の境外摂社となり( 社)の一つに数えられる。 ・寛永5年(1628)には( 殿)と( 殿)が造替された。 ・( 群落)は国の天然記念物。 ・近くに( )の歌碑がある。 三芳野のよしや雲にはまがう共雪な散そ山さくら花 ●建勲神社(北区) ・祭神は( ・ ) ・天正10年(1582)の本能寺の変後、( )が( 天皇)の勅許を得て、( ) を( )の霊地と定めたことに始まるという。 ・明治2年( 天皇)の命により( )を祭神とした神社を創建し、建勲神社の神号 を賜った。 ・同8年には( 社)に列し、社地を( )に得て、社殿を新営した。 ・同13年には( )の子( )を配祀し、同43年には本殿以下、諸社を( )中腹 から山上に移した。 ・桶狭間の合戦出陣に際し織田信長公が舞った( )の一節を刻んだ歌碑がある。 ●平野神社(北区) ・平城宮の( )から( 京)を経て、平安遷都のときにこの地に移されたといわれる。 ・( )に崇敬され( 氏・ 氏)をはじめ諸氏の( )としてもあがめられた。 ・本殿は寛永年間(1624-44)の建築で、( 造)あるいは( 造)とも呼ばれている。 ・桜は( の )として有名。 ・4月10日に( 祭)がある。神幸列の先頭を( )が露払いをし、その後を( ) ( )( )の各列が続く。寛和元年(985)に( 天皇)が桜をお手植えされた古例に よる。 ●わら天神(北区) ・正しくは( 神社) ・天長5年(828)( 天皇)が当社に勅使を遣わして( )を祈願したと伝える。 ・かつては( の神)と呼ばれて( )の丘にあったが、( )の( )造営 の時にこの地に移転したと伝える。 ・( )の神として有名で、( )が授けられ、その藁に( )があれば男の子、なけれ ば女の子が生まれるという。 ・( )の名はこの信仰にちなんでいる。 ●首途八幡宮(上京区) ・祭神は( 天皇)( 大神)( 皇后) ・大内裏の北東に位置するため( )の神とされ、( 宮)とも呼ばれた。 ・この地にはかつて( )の屋敷があったといわれ、当社はその鎮護社と伝える。 ・( )は平安時代の伝説上の商人。 ・社名は承安4年(1174)に( ( ))が奥州に出発するときに、道中の安全を祈願したこと に由来するとも、寿永年間(1182-85)に( )が( )の首途にあたり、( )の 神霊を勧請したことにちなむともいう。 この故事により、( の )を願う信仰がある。 ●護王神社(上京区) ・祭神は( ・ )他 ・( 氏)の氏寺である( 寺)の境内に( )の零社として祀られ、( )と称されて いた。 ・明治19年に( )の守護神として現在地に移転した。 ・( )は( )の姉で、京中の( )を養育したという。そのため( 明神)と呼ばれ、 ( の神)として信仰を集める。 ・境内には( 像)があり、( 神社)とも呼ばれる。 ・( 月 日)に( 祭)がある。平安時代宮中で行われていた( )に由来する無病息災を 祈願する祭。( の月(旧暦の 月)の( の日、 の刻)に( )を食べると病にかか らないとされ、中国の民間信仰が起源とされる。 ●出世稲荷神社(上京区 現在は左京区大原に移転) ・( )が( )内に建立し、( )廃絶後に現在地へ移建された。 ・社名は( )の( )にちなむ。 ・末社の( 社)は( )を神体とし、( )の神としてしられる。 ●白峯神宮(上京区) ・祭神は( 天皇)( 天皇) ・慶応4年(1868)に( 天皇)が( )の( )から( 天皇)の神霊を、のちには ( )の( )から( 天皇)の神霊を( )の神として当地に移して創建され た。 ・この地には( ・ )の宗家である( 家)の邸宅があり、末社の( 社)に( )の 神である( )を祀る。 ・他の末社に( 社)があり、( ・ )を祭神とする。 ・( )が市指定天然記念物 ●晴明神社(上京区) ・祭神は( )他 ・寛弘4年(1007)に( 天皇)の勅命によって( )の邸跡に創建されたという。 ・( )は平安中期の( )で、星座の急変するのを見て( 天皇)の退位を予知したと される。 ・境内の( 井)は( の )で湧き出たといい、飲むと( )が治ると伝える。 ・現在は( 除け)( 除け)( )の神として信仰されている。 よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 __________________________________ 「京都検定過去問」カテゴリー一覧表 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28 「京都検定出題傾向分析」カテゴリー一覧表 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=30 「京都検定勉強」カテゴリー一覧表 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=31 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/01/07 08:50:01 AM
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