テーマ:京都。(6067)
カテゴリ:京都検定1級受検勉強
神社#6(今宮神社・大田神社・建勲神社・平野神社・わら天神・首途八幡宮・護王神社・出世稲荷神社・白峯神宮・晴明神社)の問題です。
不正解だった場合は▲とし、正解を記入しています ●今宮神社(北区) ・(紫野社)ともいう ・平安初期に疫病を祓うために京中の人々が当地に(▲疫神)を祀ったのの由来すると され、長保3年(1001)の疫病流行のときんは、神殿を造営し、(今宮社)と呼ばれた。 ・創祀以来一貫して(疫病退散)の神とされ、(やすらい祭)は疫神を鎮める (鎮花祭)として始まった。この祭は(4月)第2日曜にある。 ・境内には(疫社、斎院(▲若宮社))や(西陣織業者)が祀った(織姫神社)などの 摂末社が建つ。 ・不思議な石(阿呆賢さん)がある。 ・あぶり餅の店は2軒(一和)と(かざり屋) (きな粉)をつけて炭火であぶり(白味噌▲)のたれをつける。 ●大田神社(北区) ・五穀豊穣を願ってこの地の(地主神)を祀ったのが始めという。 ・のちに(上賀茂神社)の境外摂社となり(上賀茂八摂社)の一つに数えられる。 ・寛永5年(1628)には(本殿)と(割拝殿)が造替された。 ・(カキツバタ群落)は国の天然記念物。 ・近くに(賀茂季鷹)の歌碑がある。 三芳野のよしや雲にはまがう共雪な散そ山さくら花 ●建勲神社(北区) ・祭神は(織田信長・信忠) ・天正10年(1582)の本能寺の変後、(豊臣秀吉)が(正親町天皇)の勅許を得て、 (船岡山)を(信長)の霊地と定めたことに始まるという。 ・明治2年(明治天皇)の命により(織田信長)を祭神とした神社を創建し、建勲神社 の神号を賜った。 ・同8年には(別格官幣社)に列し、社地を(船岡山)に得て、社殿を新営した。 ・同13年には(信長)の子(信忠)を配祀し、同43年には本殿以下、諸社を(船岡山) 中腹から山上に移した。 ・桶狭間の合戦出陣に際し織田信長公が舞った(敦盛)の一節を刻んだ歌碑がある。 ●平野神社(北区) ・平城宮の(田村後宮)から(長岡京)を経て、平安遷都のときにこの地に移されたと いわれる。 ・(朝廷)に崇敬され(源氏・平氏)をはじめ諸氏の(氏神)としてもあがめられた。 ・本殿は寛永年間(1624-44)の建築で、(比翼春日造)あるいは(平野造)とも呼ばれ ている。 ・桜は(平野の夜桜)として有名。 ・4月10日に(桜花祭)がある。神幸列の先頭を(鬼)が露払いをし、その後を(王朝) (天平)(元禄)の各列が続く。寛和元年(985)に(花山天皇)が桜をお手植えされた 古例による。 ●わら天神(北区) ・正しくは(敷地神社) ・天長5年(828)(淳和天皇)が当社に勅使を遣わして(止雨)を祈願したと伝える。 ・かつては(▲北山の神)と呼ばれて(北山天神)の丘にあったが、(足利義満)の (北山殿)造営の時にこの地に移転したと伝える。 ・(安産)の神として有名で、(藁の護符)が授けられ、その藁に(節)があれば男の子、 なければ女の子が生まれるという。 ・(わら天神)の名はこの信仰にちなんでいる。 ●首途八幡宮(上京区) ・祭神は(応神天皇)(比売大神)(神功皇后) ・大内裏の北東に位置するため(王城鎮護)の神とされ、(内野八幡宮)とも呼ばれた。 ・この地にはかつて(金売吉次)の屋敷があったといわれ、当社はその鎮護社と伝える。 ・(吉次)は平安時代の伝説上の商人。 ・社名は承安4年(1174)に(牛若丸(源義経))が奥州に出発するときに、道中の安全を祈願 したことに由来するとも、寿永年間(1182-85)に(義経)が(平家追討)の首途にあたり、 (宇佐八幡宮)の神霊を勧請したことにちなむともいう。 この故事により、(旅行の安全)を願う信仰がある。 ●護王神社(上京区) ・祭神は(和気清麻呂・和気広虫)他 ・(和気氏)の氏寺である(神護寺)の境内に(清麻呂)の零社として祀られ、(護法善神)と 称されていた。 ・明治19年に(御所)の守護神として現在地に移転した。 ・(広虫)は(清麻呂)の姉で、京中の(孤児)を養育したという。そのため(子育て明神)と 呼ばれ、(▲育児の神)として信仰を集める。 ・境内には(霊猪像)があり、(いのしし神社)とも呼ばれる。 ・(11月1日)に(亥子祭)がある。平安時代宮中で行われていた(御玄猪)に由来する無病息災を 祈願する祭。(亥の月(旧暦の10月)の(亥の日、亥の刻)に(餅)を食べると病にかからない とされ、中国の民間信仰が起源とされる。 ●出世稲荷神社(上京区 現在は左京区大原に移転) ・(豊臣秀吉)が(聚楽第)内に建立し、(聚楽第)廃絶後に現在地へ移建された。 ・社名は(秀吉)の(出世)にちなむ。 ・末社の(三石社)は(3個の石)を神体とし、(勝負事)の神としてしられる。 ●白峯神宮(上京区) ・祭神は(崇徳天皇)(淳仁天皇) ・慶応4年(1868)に(明治天皇)が(讃岐)の(白峰▲)から(崇徳天皇)の神霊を、のちには (淡路)の(天王森)から(淳仁天皇)の神霊を(皇室鎮護)の神として当地に移して創建さ れた。 ・この地には(蹴鞠・和歌)の宗家である(飛鳥井家)の邸宅があり、末社の(地主社)に (蹴鞠道)の神である(精大明神)を祀る。 ・他の末社に(伴緒社(とものお))があり、(源為義・為朝)を祭神とする。 ・(オガタマノキ)が市指定天然記念物 ●晴明神社(上京区) ・祭神は(安倍晴明)他 ・寛弘4年(1007)に(一条天皇)の勅命によって(晴明)の邸跡に創建されたという。 ・(晴明)は平安中期の(天文博士)で、星座の急変するのを見て(花山天皇)の退位を予知したと される。 ・境内の(晴明井)は(晴明の念持力)で湧き出たといい、飲むと(▲悪病難病)が治ると伝える。 ・現在は(▲方除け)(▲火災除け)(▲病気平癒)の神として信仰されている。 よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 __________________________________ 「京都検定過去問」カテゴリー一覧表 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28 「京都検定出題傾向分析」カテゴリー一覧表 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=30 「京都検定勉強」カテゴリー一覧表 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=31 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/01/09 08:07:04 PM
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