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ワルディーの京都案内

2015/12/11
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テーマ:京都。(5819)
京都の地名の解答です。

問題は作ったものの、12月12日 試験前日です。解答する時間もなくなってしまいました。問題に直接正解を入れて投稿します。


●通り名・数え歌

・戯れ歌
 (坊さん頭は)丸太町 (つるっとすべって)竹屋町 (水の流れは)夷川
二条で買うた(生薬を)(ただでやるのは)押小路
(御池)で出会った(姉三)に (六銭)もろて(蛸)買うて 
錦で(落して)(四かられて) (綾まった)けど(仏々と)
(高が)しれてる(松(ま)ど)したろ

・五条通り以南
(雪駄ちゃらちゃら)(魚棚) (六条)(三哲)通りすぎ
(七条)こえれば(八、九条)、(十条)(東寺)でとどめさす

・南北の通り
 (近松門左衛門)の(浄瑠璃)(堀川波鼓(なみのつづみ))に登場
 (高倉通)が抜けている。

  寺、御幸、麩屋、富、柳、堺町、相(間)の東は(玉敷の)
  (御垣(みがき)に囲ふ五つ緒の)、車、烏丸、両替、室
  衣、新、釜、西、小川、油、醒ヶ井、堀川の
  (岸の平砂(へいさ)を白波に、照らせば今も夏の夜の・・・)

・江戸中期の雑俳集(口よせ草)に
 「(九重)(都の意味)は上がる下がるでむずかしい)」


●路地と辻子

・辻子の数
 (京羽二重) 47ヵ所
 (京(花洛)羽津根) 91ヵ所

・了頓図子
  桃山時代の茶人(広野了頓)の屋敷があった。

・革堂図子

・だいうすの図子
  キリスト教の建物があって(デウス)が訛ったとの説
  (大休寺)が転訛したという説

・膏薬図子
 (空也上人)が一宇を建て、悲運の武将(平将門)の霊を弔い、
 (空也供養の道場)と呼ばれた。それが訛ったという。

・団栗図子
  (天明の大火)の火元はここの民家といわれ、この火事を(団栗焼け)ともいう。


●難解、ユニーク地名

<難読地名>

・不明門通(あけず)
  因幡平等寺の正門が閉まっていた

・化野
  (雍州府志)では「化」は(阿太)

・一口(いもあらい)
  巨椋池西岸。三方が沼地で(入口)が一方にしかなかった。
  もともとの(芋洗)に一口の文字があてられた。

・太秦
  この地を領した(秦氏)が、朝廷に絹を献上するとき(うずたかく積み上げた)から
  という説
  (絹糸)が(巴渦)の形をしていたからという説

・御室
  (光孝天皇)が(仁和寺)を造営。完成は(宇多天皇)のとき。
  (宇多天皇)は法皇となって、仁和寺内に(御室(御座所))を営んだ

・鶏冠井(かいで)
  何らかの(井戸)や(名水)が存在したと推定。
  明治10年代編纂の(京都府地誌)では、(継体天皇)の時代、この地に(三井)が
  あり、(井戸)の傍らに(老楓)があった。その(楓)が(鶏冠)に似ていたこと
  からこの地名になったという。

・帷子の辻(かたびら)
  (上嵯峨・下嵯峨・太秦・常盤)への別れ道。
  その道が北側のみに分岐していたからという説。
  (嵯峨天皇)の皇后(檀林皇后)の(嵯峨深山谷)への葬送の際、棺を覆った
  (帷子の衣)が風で落ちたという説。

・釜座通(かまんざ)
  正応2年(1289)に「(三条まちかまのざの弥藤三(やとうざ))なる者」の
  活動が書かれている。

・雲母坂(きららざか)
  (修学院)から延暦寺(根本中堂)に至る山道。
  江戸時代の(山州名跡志)(白慧(坂内直頼))撰)によると、この坂道は
 (夕雲が覆い)都から見ると雲が生ずるようなので、この名になった。

・神足(こうたり)(長岡京市)
  地名としてはカンタリ、神社名としてはカウダニ、カムタリなどの読みが伝えられて
  いる。

・御幸町(ごこまち)
  (豊臣秀吉)が(御所)に参内するとき必ずここを通ったからとする説。
   ~(京羽二重)による
  (山州名跡志)ではこれを否定し、御幸とは(仙洞(上皇)・天子)の御行

・鹿ヶ谷
  (智証大師・円珍)がこの地を訪れた際に、一頭の鹿が現れて(円珍)を案内した
  というエピソードが(京都府地誌)にある。
  (平家打倒)の陰謀を企てた(僧俊寛)の山荘があった。

・直違橋(すじかい)
  (伏見街道)に対し(七瀬川)が斜めに流れて交差したので、橋が斜めにかけられた。

・糺の森
  「糺」は(只洲)から生まれた名称。
  平安時代は(潔斎(みそぎ))の場所
  (新古今和歌集)には(平貞文)の
  「偽りを糺の森の木綿襷(ゆうだすき)かけつつ誓へ我を思わば」の歌。

・天使突抜通

・椥辻(なぎつじ)
  古来神聖な樹木であるナギがあったことから。
  応仁2年(1468)の記録には、京都公家山科家の知行地として(南木辻)の文字も見え
  る。

・納所(のうそ)
  物資の荷揚げ場として重視された(淀津)があった。
  倉庫などが設置されこの地名になった。

・先斗町
  ポルトガル語でポントは(先)という意味。
  この付近は(御崎)と呼ばれていて、今も(岬神社)がある。

  先斗町.jpg



・御陵(みささぎ)
  (天智天皇山科陵)が所在のため

・壬生
  

<ユニークな町名>

・閻魔前町
  (定覚上人)が引接寺(千本閻魔堂)を創建

・柏清盛町
  (柏野町・清玄町・盛下町)が合併

・丁字風呂町

・百々町
  元禄3年(1690)刊行の(名所都鳥)には百々氏が住んだことによると記されている。

・堀出シ町
  (室町幕府)の堀が周囲にあった。

・悪王子町
  (スサノオの荒神)を祀る悪王子社があった

・匂天神町
  

・二帖半敷町
  (五条寺)があり、住職が二人の弟子に寺を二つに分けて与えた

・墨染町
  (薄墨桜)で知られる墨染寺がある

・髭茶屋町

・(東海道)と(伏見街道)の分岐点で、髭をたくわえた老人が茶屋を営んでいた。

・骨屋町
 (扇の骨)を作る職人が住んでいた

・正面町
  (方広寺大仏殿)の正面


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最終更新日  2019/01/15 10:20:55 AM
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