テーマ:京都。(6067)
カテゴリ:京都市内全寺社巡り
【2016年3月10日(木)】
曇りがちのお天気。気温もあまり上がりませんでした。春が足踏みしているようです。午前中、月イチのワンちゃんのトリートメントで、二人でペットサロンに預けにいきました。そのことと、ルーティーン以外は、今日も確定申告の関係で時間を費やしています。 25年度分、26年度分の「更正申告」を、今日中にやって、明日には、27年度分も含め、税務所に持っていきたいと思います。これが終わらないことには、再開するゴルフの練習にも行けません。 **** 京都市内全寺社巡り 伏見区#22-2 **** 「京都市全寺社巡り」2月10日の歩き・伏見区22日目の2回目。 上醍醐に上ろうとしましたが、午後1時を過ぎていて、入山できず、来た道を引き返して、下醍醐を参拝しました。 下醍醐境内は、多分3度めです。 説明文は、拝観時のパンフレットなどから引用しています。 ●醍醐寺 真言宗醍醐派の総本山。 醍醐寺は貞観16(874)年に弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝が創建した。山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れた地主神・横尾明神より、こんこんと水(醍醐水)が湧き出るこの山を譲り受け、准胆・如意輪の両観音を刻み、山上に祀った。それが醍醐寺の始まりである。 開創後、醍醐・朱雀・村上の三代にわたる天皇の深い帰依によって山上に薬師堂、五大堂、山下に釈迦堂、法華三昧堂、五重塔などが次々に建立され、山上山下にまたがる 大伽藍が完成した。通称、山上を上醍醐、山下を下醍醐と呼んでいる。 以後も、皇室をはじめ貴族や武士の支援を得て、三宝院をはじめとする諸院や種々のお堂が建立され、真言密教の中心的寺院として多くの信仰を集めている。 しかし、長い歴史のなかで何度も火災にあい、応仁・文明の乱では五重塔を残して下醍醐は焼失、上醍醐も荒廃。ながらく復興に至らずにいたが慶長3(1598)年の春、豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に秀吉と秀頼によって金堂や三宝院、また、山上では開山堂や如意輪堂などが再建された。 江戸時代に入ると、醍醐寺歴代座主が居住する三宝院が、幕府より当山派修験の本山であると明確に位置づけられた。そのことにより、山への信仰が高まり、一時衰退していた修験道も再び活気を取り戻していった。 明治維新後の「神仏分離令」や「修験道廃止令」などの数々の法難で大打撃を受けたが、歴代座主の尽力により、開山以来、醍醐の教えは燈し続けられ現在に至っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/08/03 09:37:35 AM
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